4月の初めに井戸掘りをし、手押しポンプを据え付けた家の夫人から電話があった。「何時まで経っても、汲み上げた水は茶色の膜を張っている。バケツに汲んで雑巾を入れると、雑巾が真っ茶色になってしまう。なんとかならないの」という苦情である。
せっかく待ちに待った井戸が掘れ、水を出すことが出来たのに、こんな水では気に入らないという感情が剥き出しだった。それで今朝、井戸掘りに従事した3人が喫茶店に集まり、どうするかを話し合った。
70代と80代のふたりには、昔のような勢いが無い。出来ればもう、井戸掘りはしたくないと言う本音が現れていた。もう少し深くまで掘れたなら、水質も違うかも知れないが、私たちの道具や知識では、現状を突破することは出来ない。
「誠意を持って話すことは大事だが、これ以上望むことが出来ないこともキチンと伝えよう」ということで終わった。依頼主からすれば、せっかく水が出ているのに、鉄分が多くて酸化して茶色くなってしまうことは、屈辱に等しいのだろう。
明日の午後、出掛けて行って話をすることで別れた。私たちの経験では、尾張平野はどこを掘っても鉄分が多く出て来る。どうしたら良いのか、誰か教えて欲しい。今日は清須市の西枇杷島祭りで、長女のダンナも娘も祭りに参加していることだろう。
尾張地方には、山車を引き回す祭りが今も引き継がれている。比較的裕福な地域だったから、山車を維持継続できたのだ。農家よりも商家が多かったのかも知れない。無礼講が許される祭りがみんな好きなのだ。
この地域はどこを掘っても水が出ると豪語したが、稲作を維持するためには水の管理が大事で、給水と排水でよく揉めたと土地の人から昔話を聞いた。木曽川から水を引き、それを細かく分けて田んぼに流す。必要以上の水は下手に排水し、田んぼの水を保つ。
面倒な作業を細かくやって来たから、稲作を続けて来られた。しかし今、田んぼは埋め立てられ、畑地は平地にされ、家が立ち並んでいる。これが当然だと思って来たが、これからは違ってくるのかも知れない。
「盛者必衰」のことわざを探していたら、「井蛙は以って海を語る可からず」が出てきた。
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