暑い。暑いから何もやりたくないのか、やる気がないから暑さを口実にしているのか、何もせずにテレビばかり見ている。幸い、我が家は地上から30メートル以上ある高い場所にあるので、暑くても風があれば何とか過ごせる。おかげでまだ、クーラーは一度も使っていない。節電に協力しているという意識は私にはないけれど、電燈を点けておくとサッサと切って回る人がいるのだから仕方がない。それでも「昨年の夏より電気を使っている」とその人は言う。扇風機は2台あるが1台しか出していないし、ルーフバルコニーでの食事もしていないのに、不思議だ。
節電で一番困るのは電力会社だろう。売り上げが伸びないし、原発に頼らなくても電力需要に応えられることになってしまう。しかし、頭のいい人たちのことだから次のことはもう考えているに違いない。原発事故を起こした東電は、政府からの資金援助と一般家庭の電気料金の値上げを行い、それでも除染費用や住めなくなったことへの補償は、「東電の責任ではない」ようなことを言っている。いずれは政府が国の責任として行なうと踏んでいるのだ。1つの電力会社が何十万人という人々の生活の補償までしていたら、会社はもたないというのだろう。
車の中に生後5ヶ月の乳児を置いてパチンコをしていた母親が逮捕された。母親は「何度か車の様子を見に行った」と言うけれど、乳児は死亡していた。「父親のしつけに反感」を持った中学3年生が就寝中の両親と妹をバットで殴打し、「3人を殺すつもりだった」と言う。いじめで中学生が自殺した滋賀県大津市の教育長をハンマーで殴打し、「殺すつもりだった」と言う大学生もいる。いじめの対応が悪いと「殺す」思考が私には分からない。生きていれば、苦しいこともあるだろうが、楽しいことや素晴しいことに出会うかも知れない。それを誰も奪ってはならない。
郡上踊りが好きな長女のダンナは一家を連れて徹夜踊りに出かけて行った。3歳の孫娘も浴衣を着てはしゃいでいたようだ。けれども、踊りとなると3歳の孫娘にはまだ面白くはなかったようだ。もう少し大きくなれば父親がどうして郡上踊りに魅せられているかが分かるかも知れない。親が良かれと思って子どもに勧めても、タイミングが悪いとせっかくの思いが伝わらない。私も子どもが小さい時によいものを見せてあげたくて、クラシックコンサートに連れて行ったけれど、子どもには退屈なだけだったようでがっかりした覚えがある。
子どもらが大きくなって美術館などへ出かける時は、「解説者がいるから助かる」などと一定の評価をしてくれる。しかし、自分の価値観や美意識ばかりを押し付ける「偏屈な父親」と娘たちは思っているはずだ。私は何を大切に思ってきたのか、どういうものが美しいものなのか、を口うるさく言ってきた。それを受け入れるか否かは彼女たちであって、私という人間を知らせておきたかったし、それが親の務めだと考えてきた。40前後になった彼女たちはもう立派な大人で、私が口を出すようなことは何もない。むしろ、彼女たちの時代に私の方が従うことになる。
時代は変わっていく。変わっていく度に人は成長していくのだろうけれど、私たちがそれを確認できることはないだろう。何十年も何百年も何千年も積み重なって気付くことなのかも知れない。暑い。この暑さのためにおかしくなる人がまた現れるかも知れない。世の中でおかしいことが起きるのは、この暑さのせいである。
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