友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

断固とした強い国家は嫌い

2010年11月23日 21時53分25秒 | Weblog
 最近、誰それが入院したとか、診断を受けて3ヶ月で亡くなったとか、あまりいい話を聞かない。私の年齢なら当然なのだが、自分ではまだ若いつもりでいるのだから誠に勝手である。親しい人であっても何も知らずにいることもある。後になって、亡くなられたと聞かされてもどうしようもない。不義理な奴だと言われても仕方ないが、いい気持ちはしない。ある人が病院へ行ったところ、「すぐ入院してください」と言われ、次から次へと検査が続き、その間は食事も食べられずごっそり痩せてしまったそうだ。そこで友人は「3つの病院で診察を受けて、3つの診断が同じだったら、それから入院先を決めた方がいい」と言う。

 これは極端な気がするけれど、病気が気になるようならそれくらいな慎重さがあってもいい。私の友だちは70歳前後が多いけれど、「ここまで生きてくればどこか1つや2つ、悪いところがあっても当然だ」と言う。「だからと言って、酒をやめるとか、あれを止めるとか、そんなにまでして長生きするつもりはない」とまで言う。「本人が好きなように生きるのは勝手だけれど、そこでコロリと逝ってくれればいいが、もし何年も意識のないままで寝かされていたらどうするの」と野次が入る。「意識がなければ、そんなの知らん!」と開き直って大笑いとなった。

 笑っていられるうちならいいが、そのうちこれが現実になるだろう。生産に何もタッチしていない私たちのような年金生活者はできるだけ速やかにこの世からおさらばしなくてはならない。本当はそれが残された子どもや孫にとって一番の贈り物だ。そんなことを書いていたら、韓国の西海岸で北朝鮮と韓国軍との間で砲撃戦が起こっているとテレビが報じている。北朝鮮は核開発を見せびらかしたり、軍事挑発を行なったり、「断固とした強い意志を持った国家」であることを示そうとしている。

 私のブログに度々コメントを寄せてくれる40代の若い人々には申し訳ないけれど、私はこの「断固とした強い国家」が嫌いだ。国家が存在すること事態が気に入らない。どうして人間は自分たちを縛り付ける国家を作り出してしまったのだろう。いや何時か、人間は全ての人々が自由に暮らせる国家のない社会を作るだろう、そう思ってきたけれど、それにはまだ時間がかかりそうだ。それでも、人間が行き着く先は互いの食べ物を分け与える社会だと私は信じている。

 40代の若い皆さんは「軍事力が拮抗することで国家の安全が保たれる」と考えている。しかしそうなら軍備は拡大するしかない。攻められないためには他国よりも強い軍事力を維持しなければならない。武力を行使しなくても相手が手を出さないためには絶対的な軍事力を持つことになる。絶対的な軍事力を持っているからアメリカは世界の警察を自認している。アメリカを軍事力で攻めようとする国家はない。けれど力がなければゲリラやテロで自分の命も捧げて戦う。

 どうして戦争が起きるのだろう。戦争が起きないためにはどうすればいいのだろう。今、社会を支えている皆さんだからこそこの問題に取り組んで欲しい。年金生活者のたわごとなんかどうでもいいと思わずに、人生の先輩からの願いと思って欲しい。

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自己目的な戦争はないと思う (長女(40代)のダンナ(30代))
2010-11-24 00:57:40
国家権力が余りに力を持つとろくなことが無いので、近代民主国家は、様々な工夫によって国家の権力を削ぎ落とし、一箇所に集中しないようになっています、いるはずです。
最近の人治国家っぷりをみると、その仕組みも上手く働いているとは思えませんが。

それはともかく、そういう仕組みにしたのは、国内に於いて国家が唯一最大の権力だからです。なので弱者である個人や企業、集団を不当な権力の干渉から守る必要があるのだと思います。
しかし地球規模に於いては、国家はおおよそ国の数だけありますし、我が国家が絶対的強者などではないです。
それならばやはり対外的には断固とし、強い国家でなければならないと思います。その為には相応の軍事力も必要でしょうし、いざとなれば実力行使も辞さない構えも必要だと思います。
そうでなければ僕たちの生活が安泰しません。対外的に弱い国家であるなら、存在意義がありません。
そしてその為には相応のコスト負担も必要だと思います。
ただ無限に軍拡される、というのは杞憂に過ぎないと思います。冷戦時代ですら軍事費の圧迫に嫌気が差して軍縮協定が何度も行われています。
自己目的な戦争、軍隊など存在しないのです。
戦争やテロの目的はいつの時代も経済です。
戦争を必要としない経済状況であるならば、どれほど軍備を持っていても戦争は起きないと思います。

今日本という国が、どれ程僕の自由を奪っているかは良くわかりませんが、日本という共同体に属し、得る物と失う物を比べたら、はるかに得る物の方が大きいと思います。
直接的なシェアリングではないですが、社会的分業に加担する事で、個人の力だけでは到底不可能な量を生産し再分配を受けています。それは方法論は違えどシェアリングと同じ理念なのでは?
そして自由経済の波は世界広がり、世界的に分業が行われつつあります。それは既に地球規模で食べ物を分け合う社会が実現しつつあるという意味だと思うのです。

単なる現状肯定の意見で申し訳ありません。
しかし一度ゆっくり、国や国家が無く皆が食料を分け合う社会の方法論を伺いたいです。
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私も方法論が聞きたい (永谷 正樹(41歳))
2010-11-24 12:25:02
私も「断固とした強い国家」が大嫌いです。具体的に挙げれば、アメリカ、中国、ロシア・・・。
私がコメントにて繰り返し申しているのは、自分の国は自分で守るという当たり前のこと。
以前にも書いたかもしれませんが、パンチパーマで小太りの、いかにもヤバそうな隣人がいたとします。彼はときどき近所の人を拉致するだけではなく、ピストルを撃ってきます。
一方、また別の隣人はときどき自宅の庭へ無断で進入して栽培している野菜や果物を盗っていきます。「ここはウチの庭です」と、抗議しても「バカ言え!ここは昔からウチの庭だ!」と、聞く耳を持ちません。しかも、ピストルをチラつかせています。
このような場合、家に鍵をかけて、寝るときには護身用に金属バットを枕元に置いて自衛するでしょうという話です。
鈴木さんはこのような自衛のための戦力をも否定されてますよね?だとしたら、長女のダンナさんがおっしゃるように、国家が、軍隊がなくなるための具体的なプロセスを踏まえての方法論を一度ゆっくりと聞いてみたいもんです。オフ会でもやりますかぁ(笑)。
以前お聞きした「日教組のめざす世界」は、「考えたことがない」とのことでしたが、まさかそれと同じではないですよね?
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