朝、鷲津の彼女に電話した。「昨日はありがとう。車のバッテリーはどうだった?」と聞く。「ディーラーで見てもらったら、まだ取り替える必要は無いって。心配かけてごめんね」と言う。私のエンジンの止め方が悪かったために、バッテリーが上がってしまったから責任は私にある。
ダンナを亡くしてから元気も無くし、「ボーとした日々を過ごしていたけど、昨日はとってもよく眠れた」と明るい声で言う。そして、「近くに住んでいたのに、あなたの家がそんなだったと知らなくてごめんね」と私の遍歴を聞いて、改めて感想を言う。「あなたもそうだけど、みんな本当に頑張ったのね」と。
「多分、その時はみんな必死だったんだろうね。でも振り返ってみれば、結果として良かっただけで、流されて生きて来たんだと思う。結果良ければすべて良しだね」。またまた、昨日の話に花が咲き、「また、みんなで会いたいね」と言うから、「今年はクラス会もやるって言ってるから、すぐ会えるよ」と答える。
彼女の結婚式のアルバムを見ていた時、1枚の短冊が出て来た(写真)。彼女のお父さんが書いたものだと言う。「ご亭主を関白様と崇めつつ 可可天下でお家安泰」。達筆なので文字が読めないが、きっとこんな歌だと思う。友だちが「これは狂歌だな」と言う。娘のことを思う父親の粋な短歌である。
ダンナには仕え尽くしなさい、それでもかかあ天下なら、家はうまくいくし、良い家庭は繫栄する。私たち4人の同級生の家庭は、彼女のお父さんが願った通りになった。女性たちのダンナは先に逝ってしまったけれど、彼女たちの子どもたちは母親を心配し、ゆくゆくは一緒に住むと言う。
ダンナに先立たれ、一時は落ち込んだ彼女たちも、持ち前の明るさとマイペースさで、充実した毎日を送っている。情けない男たちの分まで、きっと長生きすることだろう。私たちはぼんくらですが、またお呼びください。駆けつけます。
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