姉の見舞いに行って来た。大部屋に入るとすぐに私たちを見つけて、ニコリと微笑む。個室に連れて戻って話が、今日は頭が冴えていて機嫌がいい。「私ね、もうすぐ死ぬの」と言うので、義弟が「そればっかりは順番ではないですから。私の方が先かも知れませんよ」と茶化す。私が「みんなが死んだら、姉さんが見送ってくださいね」と付け込むと、「私が一番上だから、任せなさい」と言う。
先ごろ読んだ瀬戸内寂聴さんの『いのち』を思い出した。この作品は、小説とあるがまるで日記のようで、スラスラと読めてしまう。大半が河野多恵子さんと大庭みな子さんの話で、時系列が一定でないからちょっと戸惑うが、3人の関係が実に面白い。年齢で見ると、瀬戸内さんが1922年(大正11年)、河野さんが1926年(大正15)、大庭さんが1930年(昭和5)の生まれだから、瀬戸内さんが一番年上である。
ところが、大庭さんは2007年に76歳で、河野さんは2015年に88歳でこの世を去っている。河野さんは瀬戸内さんに「弔辞はまかせておきなさい。天下の名文読み上げてあげるから」と告げている。「そんな話(葬儀のこと)になるといつでも河野多恵子は、はり切ってくる。自分が私よりも生き残ると信じきっているからだ」(172頁)。ふたりは若い時からの親友なのに、瀬戸内さんは「何度も裏切られた」と書いているばかりか、脳の手術で包帯のお化けとなった大庭さんに「河野多恵子さんは悪人です。気をおつけ、あそばせ!」と言わせている(198頁)。
小説だからどこまでが虚構でどこは事実なのか分からないが、小説家の3人の生き様はそれぞれで面白い。ただ、河野さんは37歳で、大庭さんは38歳で芥川賞を受賞していて、河野さんは88歳を迎える前年には文化勲章を授与されている。「のらくろの勲章」とふたりは揶揄して笑い転げていたのに、瀬戸内さんは受賞がないことが心のどこかで引っ掛かっているようだった。
私は河野さんも大庭さんも、名前は知っていても作品を読んだことがない。瀬戸内さんの作品もこの『いのち』が初めてだ。3人の作品がいずれも「性」に深くかかわっていると『いのち』から推察できるが、果たしてどんな小説なのか、姉と同世代の女性だから機会があれば読んでみようという気になった。
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