車で通り抜けただけの印象だが、生まれ故郷の刈谷の街は随分と変わっていた。私の子どもの頃は映画館は2館で、刈谷東宝では大映、東宝、松竹が上映され、花道まであった芝居小屋の大黒座では、洋画と東映、日活が上映されていた。
子どもの頃に大黒座へ映画を見に行った時、ストリップショーが始まりビックリしたことがあった。そのうちに洋画専門の日劇が出来たので、大黒座は洋画を止めてしまった。刈谷東宝へは、長谷川和夫や市川雷蔵が好きだった祖母がよく連れて行ってくれた。
書店も3店あり、小学校の帰りに3店を回り、店内にどんな本が並んでいるのか見比べるのが好きだった。学校からの帰り道は毎日が散策で、2時間でも3時間でも街中を見て回った。集団下校は無かったし、塾も無かったから、暗くなるまでに帰ればよかった。
両親は教師だったのに、「勉強しなさい」とか「宿題はすんだのか」と言わなかった。中学3年の時、夏休みの宿題をやることがバカらしくなって、何もしなかった。両親も担任も叱らずに、「そうか」と言うだけだった。
今の子どもたちは可哀想だ。集団に居ることを求められ、勉強や習い事を強いられ、スマホを眺めることしか楽しみが無いようだ。市内に映画館はもとより、書店も無いところが増えているという。新聞を購読する家も減っている。スマホだけが文化の入口になっていていいのだろうか。
午後、マンションのコーラスグループから出発した合唱団の発表会に行ってきた。「歌と共に41年」とタイトルにあるように、随分と長く活動してきた。揃いの舞台衣装で登壇されたが余りにも高齢で、しかもメンバーはかなり減っていた。
歌が流れ、楽器の演奏が聞こえる、そんな音楽の街が少しずつ変化している。市民オーケストラが誕生し、少年少女合唱団が生まれ、音楽活動は広く盛んになった。多くの市民が楽しめる機会が、今後も増えていくことを願いながら聴いた。
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