パソコンを開いたら、「石原慎太郎氏が死去」と出ていた。石原慎太郎氏の名前を知ったのは、芥川賞を受賞した『太陽の季節』だった。受賞は1956年とあるから、私が12歳の時だが、実際に作品を読んだのは中学生か高校生になってからだ。三島由紀夫の『美徳のよろめき』も、石原慎太郎の『太陽の季節』も、隠れて読んだ記憶しかない。
『太陽の季節』は映画にもなって、弟の裕次郎が出演し、太陽族は無軌道で享楽的な若者の代名詞となった。道徳に徹していた戦前とは全く違う、反倫理的な新しい若者像だった。私には湘南の金持ちの坊ちゃんたちというイメージが強く、石原氏が政界に打って出た時は何がしたいのだろうと不思議だった。
高校生の時は共産党に入党しようとしたらしい人が、自民党から出馬するのもよく分からなかった。「反共」を旗印に「青嵐会」を立ち上げたので、根っからの右翼だったと知った。政治家の石原氏には全く興味が無かったが、戦後の新しい時代を築いたひとりであることは間違いない。
池袋で82歳の老人が、若い女性に殺害された事件があった。女性は24歳でパパ活していたと報道されている。パパ活は部活とか就活とか婚活のようなものなのか、そう思ってパソコンで調べたら、昔なら美人局と言われていたものだった。殺された老人のことも載っていて、毎週誰かと来ていたと書かれていた。
以前、「同情するなら金をくれ」というセリフが流行ったが、今は「愛は無くても寂しさは埋められる」時代なのかも知れない。互いが納得できるならいいじゃないか、他人がどうこう言うことではない。そんな価値観が生まれてきたようだ。倫理に反するなどと思うのは、時代遅れなのだろう。
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