友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

現実と理想と

2012年11月07日 18時32分31秒 | Weblog

 朝早く突然に生命保険会社から電話がかかってきて、「保険の見直しはお済みですか?」と言う。近頃は「保険の見直し」を専門とする店もあるから、そういう商売が流行っているのだろう。「どこの保険に入っているのか、私は知らないので」と答えると、「保険のことは奥様に任せられているのですね」と言う。他人の家のことなのにと思いながら、「はい」と答えてしまった。「それではまた、改めて電話いたします」と丁寧に相手は切った。

 以前はよく、東京でマンション経営をしませんかとか、穀物の取引で大きな利益になりますとか、金を買って儲けませんかとか、絶対に損をしない投資話とか、いろんな電話がかかってきた。私はプロテスタント的な人間なので、他人が儲けることにとやかく言う気はないけれど、働かずに儲けようとは思っていない。そのように答えると、「お金が要らないと言う人はいない」と説教する人もいた。

 私も生活しているので、お金が要らないわけではないけれど、楽して儲けようという気持ちがないので、儲け話を聞く耳がない。「宝くじに当たっても受け取らないのか」と責める人もいる。もちろん私は受け取るだろう。どう使うかは、当たったことも無いので分からないけれど、当たればいいなとは思うし、世界遺産の旅など憧れるけれど、そういった夢とか希望とかを無くすことはないと思う。

 何に価値を置くかは人様々だ。私や私の仲間は、井戸を掘ることに生き甲斐を持っている。それで儲けるつもりなどないし、やってみて分かったけれど、儲かることはない。それでも続けているのは、やっていることが楽しいからだ。市の夏祭りに参加して、祭りを見ることもなく、屋台で「いらっしゃい」と呼びかけているのは、それが楽しいからだ。そしてもっと楽しい原因は、仲間とやっているということから生まれる喜びだろう。

 たいして利益が生まれるわけではないけれど、みんなでやり遂げた実感は大きい。井戸掘りにしても夏祭りの屋台にしても、やっている時はもうやめようかと思う時もある。馬鹿な冗談を並べ、時には運営を巡って言い合うことがあっても、やり遂げた時は何かしらわからない充実感がある。「利益もないのによくやるよ」と横槍を入れるのも、「利益はないけれど頑張ろうね」という励ましである。

 昨日の私のブログに、市の職員から「誤解があるので」とメールが来た。行政の人はなぜ「誤解」を説明したがるのだろう。自分たちに落ち度はないと自己弁護に走るのだろう。作業の出来る服装で手伝いに来てくれた方がもっと大きな信頼が生まれるのに。協同は市民とNPOとのことだけれど、職員はどこで汗を流すのだろう。どのような街を理想に描いているのだろう。

 アメリカ大統領にオバマさんが再選された。これからの4年間で、オバマさんは自分の理想をどれだけ実現できるのだろう。

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