友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夏祭り

2010年08月02日 23時12分21秒 | Weblog
 疲れた!何もしたくないし、何も食べたくない。気持ちのよいところで何も考えずに横になっていたい。水ばかり飲んでいたけれど、だんだん水も飲みたいと思わなくなる。暑さのせいもあるかも知れないが、思考も散漫になる。夏祭りとその前後の合計4日間、よく動いたとは思うけれど、65歳を過ぎた昨年から、体力は確実に落ちていると感じた。祭りの前の日は買い物や器具の準備を行い、祭りの日の2日間は朝9時半から夜10時まで、ほぼ立ちっぱなしであった。祭りの後、土曜日は反省会を日曜日は打ち上げ会を我が家で行なった。

 昨夜は、終わってみれば午前1時を過ぎていた。それでも今日は、使った器具を洗い、分別し、倉庫に格納する作業が残っている。午前中で終われる予定だったけれど、午後までかかってしまった。準備と後片付けは男たちの仕事であるが、月曜日なので参加できる人は限られている。それに今日も暑い。5人で昼ご飯を食べたけれど、決して残すことのなかった私もどうしても全部食べられなかった。水ばかり飲むから余計に食欲が減退するのかもしれない。全ての作業を終えて、今日会いたいという人に電話をすると午後6時にして欲しいと言うので、助かったとばかりにシャワーを浴びて、クーラーの効いた部屋で昼寝をした。目が覚めたら、クシャミが止まらなくなってしまった。

 「手作りの夏祭り」はまだ町の時代に、亡くなった町長が「町民参加の祭り」を呼びかけて出来上がった。ステージのプログラムも会場の屋台も全て「町民のよる手作り」としたことが、祭りを盛り上げる原動力になった。屋台も全てが素人のにわか作りだから面白い。商店街の人たちも参加しているけれど、眼鏡屋さんが生ビールを売っている。焼きソバの腕前ならば、素人の私たちの男衆の方が手際いい。小学校の低学年の子どもたちも大きな声で、「ビールにラムネはいかがですか。冷たいお茶もありますよ」と呼びかける。

 それしても今年はぐんと若返った。私たちの仲間の息子や娘が活躍してくれたし、孫に当たる世代が参加してくれるようになった。先ほどの小学生もそうだ。一番大変な持ち場である「焼きトリ・ネギマ・トリかわ」を高校生と大学生が引き受けてくれた。夕方の4時から夜の9時まで、火の傍に立ちっぱなしで、立ち上る煙と格闘しなくてはならない。彼らは「楽しいですよ」と文句ひとつ言わなかった。おじいさんやおばあさんに囲まれながら、上手に付き合っている彼らを眺め、世代交代ができているのを感じた。

 私たちの屋台はアユの塩焼きがメインだ。仲間にアユ釣りの「名人」が3人いて、毎年アユを釣ってきてはここで塩焼きを売っている。今年のように天候不順だとアユも釣れないから、天然だけでは数が足りないので養殖も揃えているが、お客はやはり「天然アユが食べたい」と言う人が多い。しかし、祭りの会場で一番よく売れるものは、お腹の足しになるものである。国際交流の仲間がインドカレーを扱ったけれど、よく売れたそうだ。焼きソバはどこも行列ができていた。私たちのところの「焼きおにぎり」も好評だ。

 それにしても高齢化は避けられない。いつまでも若いつもりでいたけれど、そろそろ限界に来ているのかなと思う。そう言いながらもまたやってしまうのは、みんなでやり遂げるということに、何か不思議な魅力があるようだ。
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