私の母は働き者だった。母は学校の先生を辞めて、家で裁縫を教えていた。評判が良かったのか生徒さんは増え、昼間だけでなく夜間も教えるようになった。それでも、洋服や和服の仕立てをしていた。毛糸でセーターも編んでいた。
たくさんの生徒さんが居て、仕立てもしていたからお金には困らなかったはずなのに、いつも「お金が無い」と零していた。父が定年になったら、土地を買い、家を建てるのが夢だったかも知れない。けれど、兄貴の借金のために夢は消えてしまった。
母は物乞いの人に平気でお金をあげてしまい、生徒さんが心配することがあった。優しい人であったが、気丈夫な人でもあった。材木屋の事務所の、祖父が座っていた席の隣りの土壁をどういうつもりだったのか、私が壊して穴を空けてしまった。
祖父に叱れていると、母が謝り、落とした壁土に水をかけて捏ねて、素手で壁の穴を塞ぎ出した。祖父は「もういい」と怒鳴り、母は私の手を引いて下がった。けれど、どうしてなのかとか、一切聞かなかったし、怒りもしなかった。
私は母に1度だけ、箒で追い回されたことがある。私が「こんなウチより、姉さんところの方がよっぽどいい」と言った時だ。もの凄く怖い顔だった。私が中学生になってしばらくすると、母は体調を崩すようになったが、相変わらず徹夜で仕事をしていた。
ふくよかな体形が痩せてきて、高校1年の夏に名古屋日赤病院で亡くなった。母の身体を抱きあげて、私はベッドからストレッチャーに移したが、余りの軽さに驚いた。母がいなくなったベッドを見ていたら、涙が溢れてきて声を抑えて泣いた。母は享年54歳だった。
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