友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

世界3大悪妻って

2012年10月10日 21時57分42秒 | Weblog

 「彼はお茶にはうるさいの。葉はどこどこのものがいいとか、葉を入れる前には器を温めておけとか、とにかくこだわるから、『そんなに言うのなら自分でやって』と思って、私は一切手を出さないの」。「ええ、それで、アナタの分まで入れてもらっているのでしょう」と茶々を入れると、「もちろんそうよ」と言う。こんな風に、小うるさいことをいうダンナに対して、カミさんたちの方が上をいくようだ。

 私の知っているダンナたちは、お茶やお酒そして肴なども自分で用意してしまう人が多い。それでダンナたちは、自分のお茶の入れ方に、あるいは肴の料理に、小さな自慢と優越感を味合っている。ダンナたちの自尊心をちょっとくすぐるだけで、カミさんたちは動くかなくても美味しいものが食べられる。まあ、これで夫婦円満ならそれでいいだろう。

 昨日、つまり10月9日は、ロシアの文豪トルストイの誕生日だった。トルストイは1828年生まれだから、極端な言い方をすれば2百年も前の人だ。私が初めてトルストイを読んだのは小学校6年の時だと思う。学校図書館にあった「キリスト教的な愛による人の道を説いた」とか解説のあった少年少女世界文学全集だった。私はストウ夫人の書いた『アンクルトムの小屋』を読んで、キリスト教に関心を持っていたのでトルストイを読んだのだと思うけれど、それが何だったのか覚えていない。説教じみているという印象しか残っていない。

 還暦を過ぎて、トルストイの『アンナ・カレリーナ』を勧められて読んでビックリした。トルストイが文豪と称される意味が分かった。この小説はひとりの女性の物語だけれど、その当時のロシアの現状、農奴を解放しようとする貴族や自分たちの地位を維持しようとする地主を根底で描きながら、真実の愛を求めて夫や子どもの下を去っていく、壮大な社会派ドラマだった。私が子どもの頃に感じたものはどこにも見当たらなかったから、トルストイの意図とは別に子ども向けに書かれたものだったのだろう。

 ところでトルストイのカミさんは、ソクラテスのカミさんとモーツァルトのカミさんとともに世界3大悪妻といわれているけれど、なぜそんな風にいわれるのだろう。トルストイは高齢になってから家出をして、どこかの駅で息絶えた。だからきっと、カミさんの元から逃げ出したかったのだというような解釈が生まれたのかも知れない。それが真実だったのか否かは知るよしもないけれど、確か、トルストイのこの晩年を描いた映画があったと思う。ぜひ、観てみたいものだ。

 夫婦はもともと別の人格であるけれど、縁あって一緒に暮らすようになった男女である。好みも考えた方もそれぞれ違っていたのだけれど、長い年月が作用していくらか似てくるものだ。それでも完全な一致などありえないから、どこかで対立することもある。埋められない溝があっても目をつむるしかないし、他の異性に惹かれるのも仕方ないだろう。世界3大悪妻と言われたカミさんたちだって、ダンナたちに言い分があるように、さらに多くの言い分があるだろう。

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