友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

そう思うのは私だけの感覚なのか?

2017年10月03日 18時16分23秒 | Weblog

  今日から『二科展』が、県美術館で開催される。二科には知り合いも多く、招待状を送ってもらったからには出かけない訳にはいかない。最近は県美術館の一般使用がずいぶん制限されてきていると聞く。同程度の展示面積のある施設が他にないので、取り合いになるし、できるだけ多くの団体が使用できるようにすれば、展示スペースを狭くしたり、期間を短くしたりしなくてはならない。

 私が勤めていた高校の卒業展も、県立なのに県美術館から名古屋市博物館に変わった。多くの人が美術に関心があり、制作団体も増えているようだ。それはよい傾向だと思う。特殊な人たちの特殊な遊びではなく、広く多くの人々が美術や文学や音楽や芸能など、自己表現することに関心があるのは平和の証でもある。

 誰もが皆、それぞれに自己表現の手段を持っている。うまく歌わなくても、うまく書けなくても、その人が着る物やしぐさ、あるいはちょっとした話し方や笑い方などで、素敵だなと思うことはいくらでもある。気づかいや優しさもまたその人の貴重な表現だ。私はまだ人生の結論は出せないが、一生懸命であることが、自ずと自分を磨き輝かせ、よい表現者にしてくれるように思う。

 小2の孫娘は、自分ができないことに涙を流した。母親と一緒に食事ができない時も涙が溢れた。3歳の孫娘はまだ、そこまでの自己表現はできない。ふたりが以前、我が家で遊び半分に描いた絵は、残念ながら褒めるところがなかった。次に遊びに来た時、もう一度絵を描かせてみるつもりでいるが、大きく成長していることを祈りたい。

 何か夢中になるものがあれば、見守って伸ばしてやる。それが大人の努めだ。先日の木版画展でも、今日の二科展でも、私の心をとらえたのは「空間の表現」だった。友だちはよく「女房なんて空気のようなものだ」と言うけれど、空間には絶妙な何かがある。そう思うのは私だけの感覚なのか。


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