友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

深入りしない生き方は出来ないが

2016年10月22日 18時21分16秒 | Weblog

 一日中曇り空だから絶好の作業日和。朝からずーと、ルーフバルコニーで鉢の土を入れ替える作業をしていた。長く同じ姿勢を続けていたので、ひざや腰が痛い。黙ってひたすら土を見つめているといろんなことが頭を過る。ノーベル文学賞に決まったボブ・ディランさんの公式サイトから、「ノーベル文学賞受賞者」の表記が削除されたらしい。ノーベル賞を辞退するのではないかと言う人までいるが、授与式に出席しなくても賞と賞金は受け取り貧困で苦しむ人たちに役立てればいいのにと思う。

 新任で一緒だった7人の中に、今も貧困や不平等をなくすために取り組んでいる女性がいる。昔から正義感が強く、行動的だった。もし、ボブ・ディランさんが受賞を拒否しても、あるいは反対にタキシードを着て授与式に参列しても、それは彼の選択だからどうこう言うことはないが、賞金まで無駄にすることはないと考えるのは「下司の極み」だろうか。続いて、新任の7人が再会した時、「深入りしないと決めて生きてきた」と言った男のことを思い出した。

 とてもいいヤツで優しく、明るく素直で頭も切れる。けれど、私が物足りなく思ったのは「深入りしない」生き方にあったことが分かった。例えば、高校の生徒会で反戦ビラを撒くか否かと議論していて、彼はきっとビラ撒きに賛成するだろうが決して首謀者にはならないし、校則違反で咎められるなら、「本当は反対だった」そこまで言わなくても、「ごめんなさい」と言いそうな気がする。体制にベッタリではないが、そうかといって自分の生活までも犠牲にしたくない。それを非難する気持ちはない。やはり、人はそれぞれ、結局は自分が納得できる生き方しかできないのだから。

 さて、今晩はプロ野球日本シリーズ第1戦が始まる。野球が好きでたまらない私ではないが、大谷投手がどんなピッチングをするのか見てみたい。

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