友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どう生きたところで大差ない

2015年04月03日 17時10分42秒 | Weblog

 「春に三日の晴れなし」などと書いた故なのか、今日は雨降り。4月に入って3日目だがメールも電話もない。忙しいのはよい便りと言い聞かせている。明日は「桜の宴」だけれど、どうも雨模様らしい。雨を受けてチューリップはどんどん大きくなっているが、一斉に咲き揃うようにと鉢を北側に移しておいた。

 尾崎豊の最後の言葉は、「オレ、勝てるかな?」だった。やっぱり尾崎は戦っていた。大人たちが作り上げた社会の不条理に逆らい戦っていたのだろうが、戦うことで自分自身を見つけ出したかったのだろう。彼は路上に裸で倒れていた。目撃した人の証言では、自らの身体を顔を地面に叩きつけて暴れ回っていたという。

 私は小学校4年の時、登校しなかった時がある。クラスのボスがわがままなヤツで、宿題をさせられたり写生大会の絵を描かされたりした。それはそんなに苦ではなかったけれど、放課後の教室でプロレスゴッコを強要され、しかも彼に勝つことは許されなかった。便所に連れて行かれて「チンチンを見せろ」と言われた時は頭に血が上るほど屈辱だった。絶対に学校へは行かんと決めた。

 彼とは中学校も同じ学校だったのに、その時はどこに居るのかと思うくらい存在がなかった。50代になって、クラス会の2次会のスナックで偶然彼に会ったけれど、しょぼくれた男になっていた。同級生たちが「お前にはよくいじめられた」と言うが、何をして遊んでいたかも覚えていなかった。どうしてこんなヤツが恐かったのだろうと思い、自分が情けなかった。

 この街にも学校へ行けない子どもが何人かいる。学校は数を掌握しも、具体的に対策を立て、活動している話は聞かない。一時的な「心の病気」かも知れないが、一生のトラウマになることだってある。「人生なんてたいしたことない。どう生きたところでわずか70年、大差ないさ」。尾崎豊にそう言ってあげる人はいなかったのか。いや、言っても聞く耳を持たなかっただろう。

 明日は「桜の宴」のためブログを休みます。

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