友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

地方議会の議員選挙

2015年04月22日 18時27分02秒 | Weblog

 暖かな一日になった。公園を散策している人たちがいたけれど、汗ばむほどだろう。三重県の友だちが市議会議員選挙の応援に行きたいと言うので、朝、7時20分に駅まで迎えに行き、選挙事務所へと向かった。応援者が少ないというが、壁のスケジュール表には細かく役割分担が書き込んであった。選挙期間に入ってからジタバタしても後の祭りだけれど、やらないよりはやった方がいい。

 それにしても、若い人の立候補が目立つ。「就職活動ですよ」と言うが、確かに私が無党派市民派の学習会を行なっていた時も、「議員になりたい」というだけで参加してきた若者がいた。議員になって何がしたいのか、目的がなくても議員になれてしまうことに問題があるだろう。父親が議員だったとか、夫が議員だったとか、そういう身内で議員職を受け継いでいくのも困る。

 議員になって4回目とか5回目というのに、1度も議会で発言しないのはどうしてなのか。有線テレビで議会の様子が全戸に中継されるようになって、発言する議員がいなくなった議会もある。自分の家の前の道路を修繕して欲しいとか、ゴミの回収車を家の近くに来るようにとか、そんな個人的な要求を平気で議会で発言していては恥ずかしい限りだ。行政のあり方を正す質問が出来ないばかりか、行政に頼まれて質問する輩までいる。質問文書を職員に作ってもらい、壇上に立ったけれど漢字が読めない議員もいた。

 無党派・市民派の候補者は団体や業界などの支持がない。地域推薦も受けないから、全市から票を集めなくてはならない。一番やっかいなのは同じような考えの候補者が何人も出た時だ。組織がないから区割りは出来ない。そもそも誰が投票してくれるのか、「読み」など出来る状態ではない。「ふたりとも落ちるのでは」と心配する人もいるけれど、私は逆に「ふたりで切磋琢磨して票を掘り起こせ」と励ます。

 自分が当選することだけが目的ではない。議会で働ける議員を送り出すことが大事だから、1人よりも2人、2人よりも3人と、真面目に活動する議員が増えた方がいい。地域を回っていても、立派な屋敷に紅白幕を廻らし、たくさんの運動員が道路に立ってひたすら手を振る陣営があった。地域の代表であろう候補者は街宣車にも乗らず、来客の接待に専念している。まだまだ、日本の地域選挙は古い。どういう結果になるのか分からないが、何とか当選して欲しい。

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