「タケテとバルーマって知っていますか?」と、今では超有名人となった卒業生が言う。「知らないなあ」と答えると、彼は直線による図形と曲線による図形を描き、「どちらがタケテで、どちらがバルームですか?」と、さらに質問する。「言葉の印象から、タケテは直線の図形で、バルームは曲線の図形だろう」と答える。「これって、先生が意匠学の時に教えてくれた『タケテとバルームの法則』ですよ。私も大学でこれを教えています」と言う。
高校生の時の彼は少し変わり者だった。変わり者だけなら他にもいたと思うけれど、どちらか言えば正統派の変わり者だった。70年安保で東京では学生たちが暴れ回っていた。彼は理屈っぽいというレッテルを貼られ、先生たちからマークされていた。礼儀正しかったし、問題児とは思わなかった。むしろ、特異性のある生徒を可愛がる傾向が私には強かった。石膏デッサンの時間、見回りをしていると彼は線だけで描いていた。その線はとてもよかった。思わず褒めた。そのことをすっかり忘れていたけれど、有名人になった彼から「褒められたことが自分の出発点でした」と手紙をもらって、そんなことがあったと思い出した。
意匠学で何を教えていたかも曖昧だ。教科書はあったけれど、指導要領のようなものはなかったので、その都度授業の材料を探して行なった。日本人の美意識についてはかなり触れたつもりであるし、「造反有理」の意味を解説したことはあったけれど、「タケテとバルーム」は覚えていない。生徒たちを驚かせるための口からでまかせだったのだろうか。しかし、彼の記憶にはっきりあることから推察すると、どこかで誰かが教えたことを、私だと思い込んでいることなのかも知れない。こういうことはあれ(私のこと)なら言うだろうと思っていたことが、何時しか言ったとなることはある。
人間はとてつもなく賢いが、とても感覚的な動物でもある。赤い色を見て失望をイメージしないように、言葉の響きからも連想が生まれる。音が音楽になることを考えれば、人間がいかに感覚的存在かが理解できる。「タケテとバルームの法則」が実際に存在し、それが私とは無関係であっても、むしろ私をそんなに評価してくれた彼こそが真の天才であろう。ありがとう。