友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人類の末路

2011年04月14日 22時34分52秒 | Weblog
 チューリップは咲いた。早いものは咲いてすでに1週間ほどになる。暗い部屋に入れておいたけれど、もっと早くそうしなければいけなかった。それでも今日、明日が一番の見ごろになりそうだ。まだ7鉢くらいがつぼみのままだから、花はまだ楽しめるけれど、早くから咲いた赤いチューリップはもう終わりを迎えている。例年ならお世話になったデイサービスへチューリップの花束を届けるのだが、今年は選挙のために時間が取れないかも知れない。屋上の防水工事に伴い鉢を移動した時に、かなりの数が割れてしまい、もうチューリップを楽しむことも止めようかと思ったけれど、数少ない鉢でもこうして並べてみるとそれなりに様になっている。夏にはやはりサルビアの庭を作ろうという気持ちになった。

 チューリップは咲いたけれど、井戸堀りはダメだった。13メートル近くまで掘っていながら、どうしてもその先が掘り進めない。今朝、新しくお金をかけて作った4メートルの鉄管が作業中に抜けなくなった。上げることも下げることも出来ない。鉄管と外側の塩ビ管との間に石が詰まってしまったと推測される。チェーンを使って引き上げようとするが、スチール製の綱が切れそうになってしまう。これまでかと思われた時に、先輩がやって来てゴチャゴチャやっているうちに大事な鉄管を引き上げることが出来た。これを機に塩ビ管も引き抜き、この場所での井戸掘りを諦めることにした。ここで出来なければどこでやっても出来ないのではないか、まずここで成功させ、器具と手法を確立させよう、そう言い聞かせてきたけれど、「引く時は引かなきゃいかん」と先輩に言われて、みなさん納得した。

 地震と原発のニュースばかりで、気持ちが重いのにさらに井戸が掘れなくて、もっとため息をつくようになってしまった。気持ちが落ち込むと肉体までもが疲れ果ててしまう。果たして次の場所でも掘り進めることが出来るのだろうかと、やってもいないうちからマイナス思考になってしまう。先輩は言う。「場所を変えて掘ってみると全く違う結果になることもある。出ないところに何時までも固執していても仕方ない」。おっしゃるとおりだけれど、どうして掘り進められないのかという問題は未解決のままだ。そうやって次に移り、たまたま水が出れば、もう何も問題はなかったかのようになってしまう。仕事ならばそれでよいのだろうが、名誉でやっている私たちとしてはどうしても納得できないことだ。

 地震や津波は自然の出来事で防ぎようがないけれど、それでも被害を最小限にとどめることは出来る。ましてや原発事故は天災とは言い難い。原発は造ることも多額の費用がかかるけれど、維持することはもっと多くの費用がかかるし、廃炉にすることは出来ないくらいの費用がかかる。自分で造った物を自分で壊せないほど恐ろしいことはない。まるで人類の末路を象徴するようなものだ。「引く時は引かなきゃいかん」と言うのに、引くことも進むことも出来ない。それでもやはり、どうするべきかという根本の問題は残る。

 さて、明日は信州へ出かけるので、休みます。
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