友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

2学期が始まった

2008年09月01日 21時41分57秒 | Weblog
 今日から2学期が始まった。カミさんは10月31日までの2ヶ月間、またお呼びがかかって働くことになった。「疲れるから、どうしよう」などと言っていたが、結局は引き受けざるを得なかったようだ。「初めての職場は緊張する」と言いながら、朝早くから出かけていった。

 浮かない顔は孫娘の方で、友だちのことで悩んでいる。友だちの両親が離婚をし、その子は母親と一緒に暮らしているのだが、その母親に再婚相手が出来たというのだ。「そんなケースはいっぱいある」と言うものの、いざ自分が当事者になってみるとなかなかすんなりとは割り切れず、孫娘に相談を持ちかけたのだ。

 友だちの母親も、年頃の娘だからどうしたものかと悩んでいるのだろう。友だちのケイタイにその母親から「実父のところへ行くのもよいし、祖父母のもとで暮らすのもよい。あなたの好きなようにしていいのよ」といった趣旨のメールが届いて、友だちは「いったい私はどうすればいいの?私のことはどうでもいいの?」と絶叫していたと言う。

 おそらく友だちの母親は、その子の意思を尊重していることを伝えたかったのだろう。けれども子どもからすれば、母親に捨てられたのかと思ったのだ。母親ならまず、あなたの幸せを一番に考えていると伝えて欲しかったと私は思う。その上で選択権はあなたにあると言うのなら、まだ子どもも納得できたかもしれない。

 それにしても、子どもに「選択権はあなたにあるのよ」と言うのも実に残酷だ。子どもは母親と一緒に暮らしたいのに、その選択権がないというのも理不尽と言うものだろう。母親からすれば、自分が好きな人と暮らすのだから、あなたもそうしてくれるわねということなのだろうが、子どもにその辺の判断が本当に出来るのだろうか。

 人を好きになれば当然、一緒にいたいと思う。何もかも一緒にしていたい。朝目覚める時も、夜でなくてもいいが、裸で抱き合っていたいと思う。一緒に食事をし、話をし、一緒にテレビなどを見たりして、どうでもいいような、しかし相手の考えや感じ方を知っていたいと思う。男と女はそういう存在なのだから、二人がそうしたい気持ちはよくわかる。

 それでも子どもを連れた再婚は慎重な方がいいと私は思う。愛し合うことと家庭を構えることとは少しズレがある。孫娘は相手の言い分を聞くことが出来ても、どうすれば良いかの判断までは出来ないだろう。いいや、聞いてあげることが今の友だちには一番大切なことだ。「聞いてあげたのだから、あなたはちゃんと役目を果たしたと思うよ」と孫娘を褒めておいた。
コメント
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