「京都中、桜だらけ…すごくキレイだねぇー」とミモロは、連日、桜見物に京都の町を歩いています。
「でも、見たいところがいろいろあって、行ききれない…フーどうしよう…」ミモロの悩みは、たくさんある桜の名所から、どこを選んだらいいかということ。
本当に、数えきれないほど見たい場所があって、悩んでしまいます。
4月8日にお友達と出かけたのは、京都屈指の桜の名所「醍醐寺」です。
そもそも「醍醐寺」は、真言宗醍醐派の総本山で、貞観年間(859-877)に聖宝が、草庵をむすび。観音像を安置したのが始まりで。その後、金堂や五重塔が建立されましたが、応仁の乱などで、五重塔を覗く多くの伽藍が焼失。そのお寺を再建したのが、豊臣秀吉だそう。
お寺には、豊臣家の桐の紋章が、随所に見られます。
この日、醍醐寺は、大勢の人が、訪れて、境内は、身動きができないほど。訪れる人のお目当ては、もちろん、境内を彩る約1000本の桜。満開のものや、まだ蕾の桜など、いろいろですが、温かくなったこの日、桜は開花を待ち焦がれたように、一機に咲き始めました。
そして、もうひとつのお目当てが、この日行われる「豊太閤花見行列」です。
三宝院唐門を出発し金堂へと、桜の馬場を進む行列を見ようと、多くの人が道の両脇を陣取ります。
ちょっと出遅れたミモロですが、なんとか見物できる場所を確保。「ここなら見えるねー」
体の小さなミモロを見た、周囲の方々が、「どうぞもっと前へいっらしゃい…」とミモロを一番前に座らせてくださいました。いつもラッキーなミモロです。
行列が始まる前には、地元婦人会による醍醐花見音頭が、華やかに。ミモロも一緒に踊ります。
13時過ぎ、いよいよ行列が門を出発。「あ、来たみたい…」
さて、この「豊太閤花見行列」は、秀吉が慶長3年(1598)春に、秀頼、淀殿をはじめ、多くの側室や家来を伴って行った超豪華な花見の雰囲気を再現しようと、昭和27年から毎年行われているもので、今年は、なんと60回目。
花見を行った同じ年の8月、秀吉は、63歳の生涯を閉じることに。つまり、この花見が、彼にとって、最後の華やかな舞台となりました。この花見は、豊臣家の威信をかけたもの。多くの桜が、この日のために植えられたそう。秀吉のパワーのフィナーレを飾る花見です。その2年後に始まる関ケ原の戦い。そして豊臣家は滅びることに。
実は秀吉は、秋の紅葉狩りも楽しみにしていたようですが、その夢を叶えることはできませんでした。
いよいよ始まった花見行列の先頭は、京都の撮影所から参加した俳優さんたち。
ミモロの姿を見て、「この子はなんだろう?」と怪訝な視線を。
それを見た周囲の人たちから、笑いがこぼれます。
豊臣家の紋章を染めた旗に、先導され、華やかな行列が続きます。
雅楽の衣装の人、また豊臣家の重臣たちなど、次々にミモロの前に現れます。
時代祭り同様、歴史上の人物に扮するため、名前のプレートがないと、誰が誰やらわからい状態。
「あ、太閤さまだー」輿に乗った秀吉が現れます。この太閤役は、毎年、地元の経済人や文化人から選ばれ、今年は、漬物で有名な「西利」の会長さんが、その役をつとめました。
太閤に続き、北の政所や淀殿が、しずしずと行列に続きます。
今回は、「西利」の関係者が多く出演。「えらい、お金かかってるでー」と周囲の京都スズメがピーチク、パーチク。
「あ、もう終わっちゃたー」
時代祭りの規模ではないので、割とあっさりと終わった感じが。
「でも一度は、見たかったから、来てよかったー」とミモロ。境内の桜は、まだしばらく咲いている様子。
ゆっくり桜を見るなら、今からがおすすめです。
*「醍醐寺」の詳しい情報は、ホームページで。
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