今からちょうど4年前車でフランス各地を回りました。最終的な目的地がボルドーでした。ドイツ・ボンから車でボルドーを目指すと、必然的にフランス中部を横断することになります。だから『フランス横断旅行記』というタイトルにしてみました。それ以外に大した意味はありません。
2012年6月24日に出発し、最初の宿泊地はロワール川沿いのブロワ(Blois)でした。
ブロワは15世紀から16世紀末までフランスの王都でした。残念ながら到着した頃かなり激しい雨に降られ、さほど街中を見て回ることはでませんでした。泊まったホテルはibis styles Blois Centre Gare Hotelという三ツ星ホテル。その名の通りブロワ中央駅の近くに建っています。現代的でシンプルすが、ビジネスホテルというほどそっけなくはない庶民向けのホテルです。ツインで一泊一人当たり45ユーロでした。値段はシーズンや曜日によって変わります。
翌日も雨がぱらついていてあまり外を歩く気にならなかったのですが、天気が良ければきっとそれなりに美しい街なのでしょう。
宮殿シャトーロワヤル・ド・ブロワは王様が変わるたびに増築されたようで、13-17世紀の建築様式の宝庫のような感じです。
ブロワからほど近い、ロワール川支流コソン川沿いにロワール地方最大の有名なシャンボール城(Château de Chambord)があります。シーズン中は常に観光客でごった返しているところですが、いかにもメルヘンチックな宮殿は確かに見る価値があります。もともとその場所にはブローニュの森での狩りのための居城があったそうですが、1519年にフランソワ1世が取り壊しを命じ、その後レオナルド・ダ・ヴィンチのものと思われる設計図に従って礎石が置かれたそうです。400室を擁する宮殿はルイ14世の時代、1685年に完成しました。よくそんなお金があったものだと感心する次第です。
シャンボール城見学後はまたブロワに戻ってディナー。
翌日6月26日はブロワからロワール川沿いに西へ35km、アンボワーズ(Amboise)へ。 アンボワーズはルイ11世の居城があり、またシャルル8世の生誕地でした。フランソワ1世及びカタリーナ・ディ・メディチの10人の子どもたちもここで育ちました。レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごし、またフランソワ2世に対するユグノーの陰謀が失敗した場所でもあります。
あまり時間がなかったので、アンボワーズ城には入らず、近くのレオナルド・ダ・ヴィンチ博物館クロ・リュセ(Clos-Lucé)へ。通り道には崖を刳り抜いたような家が何件かありました。ぜひ中を見て見たかったのですが、博物館で時間を取られると思ったので断念。
ここからクロ・リュセ。フランソワ1世が1516年にレオナルド・ダ・ヴィンチをアンボワーズへ招き、このクロ・リュセ城を与えました。彼はモナリザ、洗礼者ヨハネ、アンナ・メッテルツァの3点の絵をここへ持ち込み、1519年に亡くなるまでここで過ごしました。
ここからレオナルド・ダ・ヴィンチのデザイン画から再構した様々な機械のモデル。
これらのモデルの他、ダ・ヴィンチグッズや本などが置いてあるショップは下の写真のようなかわいらしい建物の中に納まっています。レオナルド・ダ・ヴィンチのお墓も近くにあるということでしたが、お墓参りは省略。
この日の宿泊地ラ・ロシェルに向かう途中でニオール(Niort)によりました。ニオールもラ・ロシェルも既にロワール地方ではなく、ポワトゥー・シャラント地方で、ラ・ロシェルは大西洋沿岸の地です。アンボワーズから南西へ200km近く走るとニオールに辿り着きます。
ニオールには12世紀にヘンリー2世とリチャード獅子心王によって建てられたダンジョンがあります。このダンジョンは100年戦争で随分重要な役割を果たしたそうです。
中世にセーヴル川の港町として栄えただけあって、いまでも水路が美しい街並みです。
ラ・ロシェルのホテルに着いたのは夜遅い時間でした。「光の海岸」編へ続く。