徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:『Der Erste Weltkrieg(第一次世界大戦)』、シュピーゲル出版

2016年06月14日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

ヴェルダンの戦い100周年ということもあって、シュピーゲル出版から出ている『Der Erste Weltkrieg:Die Geschichte einer Katastrophe (第一次世界大戦:破滅の歴史)』を読みました。この本は編纂者だけでも三人いて、執筆者は21人。歴史研究家やシュピーゲルのジャーナリストたちが執筆に当たり、第一次世界大戦を様々な角度から切り込んだ記事が集められています。「Die große Krise (大きな危機)」、「Im Krieg (戦中)」、「Epochenwende (時代の転換)」、「Der lange Weg zum Frieden (平和への長い道のり)」の4部構成になっています。ハードカバー302ページ。

ページ数的にも内容的にも読むのはハードでした。個々の記事は比較的短いので、その点は読みやすく、中断もしやすかったです。

 

サラエボでオーストリア・ハンガリー帝国皇太子夫妻が暗殺されたことで始まった第一次世界大戦ですが、暗殺事件から開戦に至るまでの過程は大して知りませんでした。実は高齢のオーストリア・ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフは戦争には乗り気ではなかったのに、ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世が彼に開戦するよう積極的に働きかけていたのですね。もちろん極秘裏に。外交的には「戦争しません」という態度を見せていながら。背景にあるのはドイツの「敵に囲い込まれている」という被害妄想で、この囲い込みを打ち破るために戦争が必須だと考えていたからです。加えて軍上層部の過信と敵(特にフランス)に対する侮り及びヴィルヘルム2世の無能さが重なって戦争に突入し、ヨーロッパ全土に惨劇をもたらすことになったワケです。つまり、第一次世界大戦におけるドイツの責任は重大で、その見方がヴェルサイユ条約にもおもむろに反映されています。

おや?と思ったことは、イギリスとフランスが正式な軍事同盟を結んでいたわけではなかったということですね。イギリス王室は周知の通りドイツ系で、政府も親ドイツ派が結構多かったそうです。ただ、ドイツがフランスを攻撃するために中立のベルギーに侵攻し、通過のためにはじっこの領土を持っていくにとどまらず、ベルギー中枢部へも侵攻し、市民を惨殺し、有名なルーヴェンの図書館も破壊してしまったことが知れ渡ると、一気に反ドイツ機運がイギリスで高まり、王家はドイツ語の家名ザクサン・アンハルト・ゴータからウィンザーへ改名するはめになりました。ベルギーの中立はイギリス王家によって保証されていたため、それを破ったドイツに宣戦布告する流れに。

なるほど!これは知りませんでした。

ドイツ帝国は自らの愚策によってイギリスと、後にUボート攻撃でアメリカを参戦させてしまって墓穴を掘った感じですね。同盟国であるオーストリア・ハンガリーとオスマントルコ帝国は多民族国家ならではの問題を抱えていて、戦争で大量の兵士を動員することによって内部崩壊を起こすほうが、軍功を挙げるよりも速かったみたいです。

第一次世界大戦の犠牲者数などの統計はどこにでもありますが、面白いと思ったのは手紙や小包などの郵便物の統計。戦中4年間で、前線とドイツ本土でやりとりされた郵便物の総数はなんと287億!最も多かったのが家族から全線で戦う兵士へ送られたタバコや食料、手袋やリストバンドなどの愛情のこもった小包だったとか。
そして前線のドイツ兵士たちは一日に平均680万通!!!の手紙あるいははがきを出していたそうです。郵便配達はさぞかし大変だったことでしょう。
前線では兵士が毎日ボロボロ死んでいくので、郵便物の配達が間に合わず、「Unzustellbar (配達不能)」あるいは「Tot(死亡)」と走り書きされて差出人の元に送り返されました。軍から正式な死亡通知が出ず、郵便物が戻ってくることで身内の戦死を初めて知ることになった家族のやるせなさが目に浮かぶようです。実際にこのやり方への苦情が相次いだそうですが。 

 

最後の章、「平和への長い道のり」ではいかに第一次世界大戦後の和平交渉の中に次の大戦の種がまかれていたかを考察する記事が集められています。政治的変化で言うなら第二次世界大戦後よりも第一次世界大戦後の方が変化が大きかったですね。何せ4つの帝国(ドイツ、オーストリア・ハンガリー、オスマントルコ、ロシア)が滅んだのですから。ロシア帝国の崩壊は、ドイツがレーニンを送り込み、彼の革命運動を数百万ゴールドマルクの支援金で支えて、革命の成功に一役買っています。ロシア帝国はソビエトに、ドイツ帝国はドイツ(ワイマール)共和国に引き継がれましたが、他民族を支配していたオーストリア・ハンガリーとオスマントルコの崩壊は、覇権の真空状態を生み、次の紛争を招かずには済まなかったのは周知の通りです。

 


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