ストラベーナ・アレクシエービッチ著「チェルノブイリの祈り」は電子書籍で読みました。本当は紙書籍で欲しかったのですが、在庫切れとのことで、電子書籍で購入せざるを得なかったのです。これもノーベル文学賞効果でしょうか。
原文での刊行は1997年。日本語版の初刊行は1998年。311ページ。訳者松本 妙子
目次は以下の通り:
孤独な人間の声
見落とされた歴史について
第1章 死者たちの大地
兵士たちの合唱
第2章 万物の霊長
人々の合唱
第3章 悲しみをのりこえて
子どもたちの合唱
孤独な人間の声
事故に関する歴史的情報
エピローグに代えて
訳者あとがき
岩波現代文庫版訳者あとがき
解説 広河隆一
この本は普通の人たちのチェルノブイリ原発事故についての証言を集めています。データや情報としてのチェルノブイリ原発事故ではなく、それを普通の人たちがどう受け止めていたのか。もちろんベラルーシの田舎の「普通」ですから、文化的な違和感は否めないのですが、科学でも医学でもない人々の心が見えてきます。インタヴューを受けた人の中には物理学者や放射能の影響力を理解している人たちもいましたが、大半は放射線と言われてもなんのことか分からない、ジャガイモや牛乳はだめと言われても、他の食糧なんか買えない貧しい農村の人々や、やれと言われたら義務だと思ってやるあるいは特別報酬のためなら(危険がきちんと理解できないために)危険な仕事を引き受けた軍人や技師や運転手など。戦争のひどさは知ってるし、どういう風に振る舞ったらいいか分かるけど、放射能なんてわからない。だけどチェルノブイリに駆り出された男たち、夫たちが次々死んでいくことをまじかに体験せざるを得なかった妻たち。事故後に生まれた子どもは死産だった、子供の死体は取り上げられ、放射性廃棄物のごとく埋葬されてしまった母親。「私は健康な子供が欲しいの」と振られてしまったチェルノブイリ出身の若者。自分たちが死ぬことを分かってる子どもたち。何が起こったのか分からない、これからどうしたらいいのか分からない、ただ祈るしかない人たち。そういう人たちの思いのたけがつづられています。
証言からは、いかに兵士たちや技師たちの命が使い捨てられたか、党内の出世や弾圧の恐怖から情報を隠蔽しようとする役人たちの身勝手さや、中央の指示にきちんとは従わずに適当な放射性廃棄物の処理をする現場の人たちのいい加減さも見えてきます。日本の福島でもそれは繰り返されているようです。さすがに普通の服装で長靴とゴム手袋をはめただけの装備で放射能が溢れている中に人を送るようなことは日本では起こりませんでしたが…
読んで気持ちの良い本ではありません。でも歴史を伝える大切な証言集です。もちろん現在汚染地域に住んでいる人たちにとってはチェルノブイリは「歴史」ではなく現実以外の何物でもないでしょうけど。ベラルーシではチェルノブイリ原発事故後485の村や町を失い、うち70の村や町は永久に土の中に埋められました。それでも5人に1人(約210万人)は汚染された地域に住んでいるといいます。被ばくの影響は1代では終わらないことも多々あるので問題は深刻です。