徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:オリハ・V.ホリッシナ著「チェルノブイリの長い影」

2016年01月16日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

低線量放射能の影響に関しては原子力ロビー(日本では原子力ムラ)の思惑が絡み、世界規模で正当な評価が妨げられています。WHOは放射能の健康影響に関してはIAEAとの協定により独自に調査・発表できないことになっています。日本で「お墨付き」をもらっているUNSCEARによる福島の健康被害評価は原子力ロビーに都合のよいようにデータが改ざんされ、健康被害を過小評価しています。

この「チェルノブイリの長い影」はUNSCEARのように広島・長崎のデータを基にしたモデルによる統計的健康被害評価ではなく、実際の医学的データに基づく統計資料を紹介しています。放射能の影響に関して、正確な情報が欲しい人には必読の書です。わずか123pの薄い本ですが、情報密度は非常に高いです。原著の発行は2006年で、日本語版の発行は2013年です。

本の目次は以下の通り:

日本語版によせて
はしがき

序文

      1. チェルノブイリ原発事故の概要
      2. 放射線被ばくの病理学的な影響
      3. チェルノブイリの健康被害
      4. 健康被害の実態解明
      5. 国際機関の政策の危うさ

検証結果
提言
解説:放射能汚染被害の科学的解明のためにどういう取り組み姿勢が必要か(船橋晴俊)
チェルノブイリ事故被害略年表
訳者あとがき
参考文献

日本語版に寄せて著者であるオリハ V. ホリッシナ医学博士は次のように書いてます。

親愛なる友人のみなさん!

私たちの学術研究に、みなさんが関心をもってくださったことに衷心より感謝申し上げます。私たちはつねに、自分たちの経験と研究成果をみなさんと共有し、放射線が人体へ与える影響を解決することに専念しています。
この人体への放射線の影響という問題は、私たちとみなさんの共通した心痛であり、不安となっています。残念ながら、今日、私たちはまだ放射線の脅威を撲滅することはできません。しかしながら、私たちに課せられた責務は、放射線が私たちを滅ぼすことがないようにすることです。放射線の脅威をなくすことは不可能であっても、好ましくない影響を最小限にすることによって、その脅威の下で生きていくことを学ばなければなりません。 
経験が示すように、このことは実に現実的なのです。大事なことは、優先順位を明確に決めること、市民そして政治が強い意志と経済力を持ち、好ましくない影響を最小限にすることについて、社会の理解と賛同を得ることなのです。 

「好ましくない影響を最小限にすること」とは反対のことが日本では行われているという印象を私は持っています。その最たる例は汚染された瓦礫の焼却処分(放射能物質の拡散に貢献)、「食べて応援」、避難基準の年間20ミリシーベルトへの引き上げなどがそうです。正確な情報の隠蔽ばかりか誤情報の拡散も「好ましくない影響」の拡大に貢献しているといえるでしょう。

検証結果のところから重要な部分をここに抜粋します。下線はブログ筆者の私見で引きました。

  • 事故後の初期段階における主要な放射能源はヨウ素131と132、テルル131と132のような短寿命同位体であった。それらは主に甲状腺に影響し、急性被ばくの主要因となった。現在、そして近い将来においては、半減期の長い放射性同位体が主要なリスク要素である。それは特にセシウム137(30年)とストロンチウム90(100年)である。これらは、外部・内部被ばくの累積線量を形成する最大の脅威である。
  • (略)事故後の数日間に、放射性ヨウ素131による広範囲にわたる被ばくの結果として、ベラルーシ、ウクライナ、そしてロシア南西部の子どもと大人の甲状腺がん及び内分泌疾患の水準が劇的に増加したことである。(略)
  • 1992-2000年の間に、避難者の子どもの腫瘍の罹患率が65倍増加した。そのうち、甲状腺の悪性腫瘍は1987年と比較して60倍に増加している。WHO及び権威ある多数の研究によれば、ベラルーシの汚染地域とその周辺に住む子どもの甲状腺がんの割合が、1993年までに80倍、1996年までに100倍増加した。ウクライナ全体では、同期間における子供の甲状腺がんの増加率は10倍である。
  • 内分泌系は、放射性元素の影響を特に受けやすい。最も被害の大きかったグループの子どもたちの内分泌系疾患の有病率は、ウクライナ全体の子どもたちの3倍に値する。従って、汚染地域に住む子どもや避難者の子どものような高リスクグループには、今よりも注意深い調査が必要である。注意すべきことに、事故後に事故処理作業者〔いわゆるリクイダートル〕や避難者から生まれた第4グループの子どもたちでさえ、ウクライナ全体の同年代、同経済状態の子どもたちに比して、内分泌系疾患に侵される可能性が2.7倍となっている。
  • (筆者注:白血病の発生割合についての比較研究について)…新規診断数はジトームィル州の方がポルタヴァ州(筆者注:白血病の発生割合が事故前から高い地域)より2倍多かった。更に、男子の急性リンパ芽球性白血病(ALL)の新規診断数は4倍で、それらの患者の血液サンプルは、被ばくの遺伝子マーカーを明確に示していた
  • 事故処理作業者、避難者、または汚染地域に住み続けている親から生まれた子どもの間で、血液及び造血器官の疾病割合が増加している。罹患率水準はウクライナの他地域の子どもに比して2.0-3.1倍高い。
  • (略)ウクライナとベラルーシで並行的に実施された研究では(Petrova et al.; Hulchiy et al.)、汚染された村に住んでいる女性が、比較的汚染されていない地域に住む女性に比して、著しく高い割合で流産、妊娠合併症、再生不良性貧血及び早産を経験していることが明らかになった。
  • ウクライナとベラルーシの至る所で、チェルノブイリ原発事故の後、先天性異常および深刻な奇形が顕著に増加していることが、医療従事者によって報告されている。それらは口蓋裂、多指、欠指、手足の奇形や欠損、内臓の欠損や奇形、眼内腫瘍、二分脊椎、多発性出生時欠損などで、しばしば手術不能である。(略)
  • セシウム137とストロンチウム90はそれぞれカリウムとカルシウムによく似ており、骨組織に容易に吸収される。その為研究者は、チェルノブイリ原発事故後の子どもたちが高い確率で先天性脊椎奇形(関節軟骨症)などの発育不良を経験していることに注目する必要がある。(略)1950年代の核実験後のマーシャル諸島と同様にチェルノブイリ地方でも、事実上骨格がまったくない死産児の「ジェリーフィッシュベイビー(クラゲのような赤ちゃん)」事例が医師によって記録されている。
  • 幼児期の放射線被ばくは、ウクライナとベラルーシの少女のリプロダクティブヘルスに甚大な悪影響をもたらしてきた。ウクライナ国立医学アカデミー小児科・産婦人科研究所は、14年間にわたる産科患者の調査において、汚染地域における正常妊娠の割合がわずか25.8%であることを発見した。被ばく者のほぼ75%が妊娠合併症を経験していたのである。
  • 放射線レベルが高い地域に住んでいる子どもたちには、染色体異常の進行を意味する染色体異常誘発因子があることが分かった。
  • 低線量の電離放射線はDNA配列の損傷(切断や再配列)を引き起こす。DNA構造のそのような変異は、更に細胞核の中でも発生し、細胞破壊に結びつく。
  • 世代を経るにつれ、体細胞突然変異と胎児死亡率が激増し、また変異の頻度が加速することを科学者は実験動物の試験研究において発見した。この実験結果は、人間についても、チェルノブイリ原発事故のさらなる影響が後の世代にもたらされるであろうことを示唆している。この段階で私たちは、「チェルノブイリの孫」にあたる新しい世代の出現を目撃している。彼らは、人間の健康および生命に対する未知の脅威、すなわち染色体突然変異、免疫異常および他の望まれない被ばくの「贈り物」を受け継いでいる

以上の低線量被曝の医学的影響が「抜粋」に過ぎないことを念頭に置いて頂きたいと思います。つまり、これだけでは済まされないということです。ただ日本では、ウクライナやベラルーシの地元の食品を摂取せざるを得なかった被災者たちに比べて、少なくとも汚染食品を回避するだけの経済力を持つ人たちが多いため、貧富の差も罹患率の差に出てくる可能性も高いです。放射能汚染されているのは福島県に限らず、程度の差こそあれ東京を含む北関東一体もですが、放射能の脅威の下で生きていくために必要なのは何をおいても正確な情報です。正確な情報を得た上でどう行動するかは一人一人が考えて決断すればいい。しかし現状では正確な情報が隠され、「日本の放射能は安全」的な似非情報が出回っている始末。不安を払しょくするために耳に心地よい「大丈夫」「安全」「安心」という言葉しか聞きたくない人たちはもうほっておくしかありませんが、そうでない人たちはより正確な情報を得る努力を怠るべきではないでしょう。そのための一冊がこの「チェルノブイリの長い影」だと思います。