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昭和の古い町並み写真展 その47 「子供の遊ぶ風景 2」 岡山県倉敷市玉島
子供が一列になりどこかに向かっている。
バケツを持ってどこへ行くのであろう。
果物やトウモロコシでももらいにいくのであろうか、それとも金魚やフナをもらいに行くのであろうか、想像を掻き立てられる光景である。
バケツを男の子が先頭で小さな男の子の手をとり女の子はみんなまとまって付いていく。
この頃のバケツはブリキでなくプラスチックになっている。
生活も豊かになり着る物もまともな物を着ている。
格子の昔ながらの民家が残っていた。
一枚の写真から物語がうまれそうである。
子供が一列になりどこかに向かっている。
バケツを持ってどこへ行くのであろう。
果物やトウモロコシでももらいにいくのであろうか、それとも金魚やフナをもらいに行くのであろうか、想像を掻き立てられる光景である。
バケツを男の子が先頭で小さな男の子の手をとり女の子はみんなまとまって付いていく。
この頃のバケツはブリキでなくプラスチックになっている。
生活も豊かになり着る物もまともな物を着ている。
格子の昔ながらの民家が残っていた。
一枚の写真から物語がうまれそうである。
あっても最近では、近所の親同士の付き合いの仲でそれぞれの子供がたまたま遊んでいるというのがほとんどのようです。
年少の子の面倒を見るとかそうした体験から思いやりの心が育まれるのでしょうが、近年はそのような機会に恵まれた子供は少なく、ある意味不運ではありますね。
撮影する時は何も考えずに撮影したのに時代が経過すると写真はいろんな事を語ってくれますね。
それが写真の持つ記録の力かもしれません。
なにはともあれ撮影しない事には残りません。
しかし、通りすがり撮ったりハイキングの傍ら撮影した写真はすぐにばれます。私の写真も根性を入れずに撮った写真が沢山あります。見る人にはそんな写真は見破られてしまうのが写真の怖いところでもあります。