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9/17 「今川焼き」と「中華まん」

2012年09月17日 | スイ-ツ・お菓子

【今川焼き】

「今川焼き」は、小麦粉を主体としいて型で焼いた和菓子。小麦粉・玉子・砂糖を水で溶いて作った生地を円形のしぼみのある鉄または銅製の焼き型に流し込んで餡をのせ、その上にさらに生地を流し入れるか、別の型で焼いておいた同型の生地をのせて、高さの低い円形に焼いたものである。各地で呼び名が異なる。

生地に挟まれる餡は、小豆餡が主流であるが各種あり、白餡やカスタ-ドクリ-ム・ポテマヨ・ラザニア・チ-ズなど多種多様である。

「今川焼き」の名称は、江戸時代中期の安永年間に、江戸・神田「今川橋」近くの店からこの種の焼き菓子が売り出されたことによる。しか、全国に広がったがこの「今川焼き」の名称は全国的なものとならず地方や店によって違う名前が付けられた。

形状や製法に基づく名としては大判焼き・二重焼き・回転焼きめきんつば・おやきなどの別名がある。

また店名やそれに近しい名称を用いた名称も全国各地に点在しており、主なことろでは甘太郎焼き・義士焼き・太閤焼・夫婦まんじゅう・あじまん・びっくり饅頭など多彩である。なお、

台湾では、車輪餅・紅豆餅・太鼓饅頭の名で売られている。餡は、タロイモ・胡麻餡とピーナッツ・キャベツ炒めやカレーなどの具を入れた商品もある。

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【中華まん】

「中華まん」とは、小麦粉、水、砂糖、イースト、酵母、ベ-キングパウダ-などを捏ねて発酵させた柔らかい皮で具を包みね蒸し上げた饅頭である。肉まんと餡饅が代表的である。

「中華まん」の起源については諸説ある。「中村屋」は、1927年に売り出した「天下一品支邦饅頭」が最初としている。これは大正14年に中国へ旅行した後、目に止まった「包子」と呼ばれる具の入った饅頭を元に、日本人向けに改良した製品である。老祥記の先代は、1915年に「豚饅頭」として売り出した当店の中国包子が日本の中華まんの起こりであるとしたが、現在の日本の中華まんと同一かどうかは定かではない。

三国志演義では蜀の諸葛亮が南蛮征伐の後成都帰還の際、大河が氾濫して立ち往生して難渋したが、南蛮の風習で生け贄として人間の生首を差し出せば河の主の怒りが収まるとの古老の話を聞き、これは野蛮な行為だとして麦粉の皮に肉の詰め物をしたものを大河に流したところ氾濫が収まったという。これが「饅頭(肉饅頭)の始原だとする。

蒸籠の饅頭

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肉饅頭

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餡饅頭

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