先日初めて知ったミニ知識を一つ。
「おはぎ」と「ぼたもち」は一緒のものとのこと。
「おはぎ」=萩の咲く秋に食べるもの。
「ぼたもち」=牡丹の咲く春に食べるもの。
だそうです。
知らなかった!
他に色々な諸説があるようですが…。
でも、和菓子一つの呼び名にも、季節によって変わる。
今の所?四季のしっかりある日本ならではの趣のある感覚で、素敵ですねえ。
地球温暖化による気象異常が叫ばれている昨今、いつまでこのはっきりと四季のある日本の気候が続いてくれるのでしょうか?
先日(9/22)、鳩山由紀夫首相がニューヨークで開かれた国連気候変動サミットで演説し、温室効果ガスの排出量を1990年比で25%削減するとの中期目標を表明しました。
この目標を達成するためには、かなりの努力が必要のようですが…。
さて、どうなるのか?
ひとまず、自分のできることを小さなことからこつこつとやりますか!
今(9/16.8:10)、朝のテレビ番組で司会者が紹介していたので、あわてて私もご報告することにしました。
観客の年齢層は―
二十代後半~六十代後半
男女比は―
3(男性):7(女性)
やはり、イケメン・迫力満点の歌声・サービス満点のステージ。
中には、ペンライトやキラキラと飾り立てたウチワを持ったおばさま?軍団がぎゃーぎゃー騒いでました。
あんなに夢中になれるなんてうらやましい!?
でも…、悲しいかな私にはできなかった!
そう言えば、最近夢中になっていた韓国俳優から日本の時代劇俳優に鞍替えした友人がいましたっけ。
やはり、いくつになっても夢中になれる人やものがあることは、大切で幸せなことですねえ。
さあ、私も今から「IL DIVO」のCD・DVDを鑑賞して、夢中になろうっと。
キャーキャー!ギャーギャー!
ちなみに、上の写真はお父さんに夢中な我が家のお転婆娘わんこです。
「キャ~ン!お父さん!だ~い好きだワン!」
日本人ほど、月を愛でることの好きな民族はいないのではないかと…。
(松尾芭蕉)
・名月はふたつ過ぎても瀬田の月
・名月や池をめぐりて夜もすがら
・名月や座にうつくしき顔もなし
・月や児立ち並ぶ堂の縁
・月や門にさしくる潮がしら
・名月や北国日和定めなき
(種田山頭火)
・ほつと月がある東京に来てゐる
(詠み人知らず)
・月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月(「月」が8回あり、「この月」が8月であることを示している)
(上杉謙信)
・『十三夜』-霜滿軍營秋氣 数行過雁月三更 越山併得能州景 遮莫家郷憶遠征
先日、あるテレビ番組でモナコにある日本庭園について報道していました。
亡くなられたグレースモナコ王妃が無類の日本びいきで、王妃がその庭を作らせたとか。
王妃は、庭の池に月を映して鑑賞する日本民族の勝れた感覚・豊かさを絶賛していたそうです。
そう言えば、このところ我が家ですすきと団子をかざってお月見をすることも無くなりましたっけ。
そうだ!
また、飯田へ月見蕎麦を食べに行こう!
先日、中秋節について調べていたところ、お月見についての興味深い事柄が載っていましたので、ご紹介したいと思います。
古くから旧暦8月(グレゴリオ暦(新暦)では9月ごろ)は、北半球では太陽と月の角度が観月に最も良い時節(明るい)である。この夜は、月が見える場所などに、薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺めた(お月見料理)、豊作を祈る満月法会など。このことから芋名月とも言う地方もある。
十五夜は、日本では、1684年に、十三夜を満月に合わせた宣明暦を廃止して貞享暦に改め、毎月1日が新月になるように2日ずらしたため、満月が15日目の夜に当たるようになった。また、十五夜は、中国が始まりとされ、仲秋節として日本より盛大に祝い月餅を作ってお供えする。この月餅が日本に伝わって、月見団子に変ったという。朝鮮にもこれは伝わり、チュソク(秋夕)とよび、ソンピョン(松餅)をつくる。大陸(中国、朝鮮)では、大きな年中行事になり、休暇をとり帰省する者も多いが、これは節句の名残であり月の風情を楽しむ日本の月見とは少々異なる。
十三夜は、日本では、862年から1683年まで822年もの長きにわたって続いた宣明暦に基づくもので、毎月13日目が満月に当たるように定められていたもの。なお、中国では、822年から892年まで使われていたもの。日本独自の風習があり、ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月または栗名月という。
江戸時代の遊里では、1684年貞享暦元年以降、満月が15日の夜に変わっても、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」と言って遊女らに嫌われた。二度目の通いを確実に行うために、十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった。
更に、地方によっては月待ちという風習があり、十七夜以降を立待月(たてまち-)、居待月(いまち-)、寝待月(ねまち-)、更待月(ふけまち-)、というのはこの名残である。二十三夜待ちまでを行う地域が多くを占めたが、二十六夜待ちまで行う地域があり、月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が現れる(『広辞苑』より)、という口実を付けて月が昇る(大体、深夜二時ごろ)まで遊興にふけった。この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようだ。
中国、日本では、月を愛でるという習慣が古くからあり、日本では縄文時代ごろからあるといわれ平安時代ごろから中国から月見の祭事が伝わると貴族などの間で観月の宴や舟遊び(直接月を見るのではなく船などにのったりして水面に揺れる月を楽しむ)など歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。
ヨーロッパでは満月は人の心をかき乱し、狂わせるものであるといわれ、月の女神が死を暗示したり、狼男が月を見て変身するというのは、その典型的な例で、とても月を眺めて楽しむという気分にはなれなかったようだ。日本では『竹取物語』に、月を眺めるかぐや姫を嫗が注意する場面があるため、中国から観月の風習が入るまでは月に対する考えがヨーロッパと似ていたようだ。
なお、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。また、俳諧では葉月十四日、十六日のことを特に「待宵(まつよい)」「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でるが、日本の関東以西では、この時期、晴天に恵まれる確率は低い。
(百科事典調べ)
「贅沢コース 秋の味覚と薬膳料理(中秋節と重陽節)」
平安時代初期に中国より伝わった慣習の一つで長寿を祝ったとされる重陽節(菊の節句)にちなみ、不老長寿の菊を用いた前菜ではじまる全9品の薬膳料理のコースです。
と言うものだったんですが…。
中秋節とは―
家族が集まり、月をめでる中国の伝統的な祭日です。旧暦の8月15日頃で、秋の真ん中なので中秋と言います。 |
紅茶教室の開講10周年のお祝いの食事会がありました。
以前にも利用した有名ホテルの中の中華料理のお店での食事会。
今回は、お祝いと言うことで豪華コースメニューで、料理長から細工物のプレゼントとあったり、副支配人からシャンパンのプレゼントがあったりと、久しぶりのゴージャスで幸せなひとときを味わうことができました。(と言うのも、お店も開業10周年記念期間だったり、副支配人が教室メンバーの同級生だったりと、ラッキーな偶然が重なったためでして…)
ちなみに、上の画像が料理長が腕をふるって作ってくださったものです。
それぞれにんじんや大根などの野菜で作ってあるんですが、美しく見れば見るほど精巧にできていた、びっくりでした。
春の七草が、摘んで食べるものであるのに対し、秋の七草は、鑑賞して楽しむもの。「中秋の名月」や「後の月」の月見に、団子や芋、豆などの農作物とともに供えられていた。この風習にはすすきねように魔除けの意味や、秋の豊穣を祝う意味が込められているとか。
ところで、この花は何?(何か萩に似ているようですが…。違うか。)