わたしの心 

日々の出来事・感動などを日記にして公開したいと思います。
(管理人:Mrs.modest)

臥薪嘗胆

2010年02月19日 | 思うこと
寒空を眺めていたら、こんな言葉「臥薪嘗胆」が頭に浮かびました。
たまたま見ていたメルマガにこの言葉について書かれていたので、ご紹介したいと思います。

 昨年の今年を表現する漢字は「新」でしたね。「新」は、とってのついた大きな針(辛)を投げて、位牌を作る木を選び、その木を斧で切ることを意味します。神意によって選ばれた木を新しく切り出すことで「あたらしい、はじめ」の意味を持つと『字通』にあります。
 重要な建物の建設場所を決めるとき、神聖な矢を放ってその到達地点を建設場所とすると同様で、破魔矢や通し矢に通ずるところがあるようです。
 さて、針のあたった木は切り出されて位牌になり、それを見て拝む形が「親」で、祖先を祭る廟の中にに新しく祭られる人ということから「おや」の意味になります。
 「針」「辛」「新」「親」のいずれもが音読みでは「シン」ですね。
 今月の一字「薪」も音読みは「シン」です。「艸(くさかんむり)」+「新」が「新」と違うところは、「薪」は位牌を作った残りの木をさし、神事の「たきぎ」や火祭りの「たきぎ」として用いられるということです。
 この「薪」を用いた論語で有名なのが
「 臥薪嘗胆(がしんしょうたん) ~『十八史略』春秋戦国 」
です。春秋時代の末期、江南の地に呉と越という二つの新興国が興りました。呉の国の闔慮(こうりょ)が即位するとめきめきと国力をあげ強国となりましたが、越の王・句践(こうせん)と戦って、敗北し死去します。その息子の夫差(ふさ)は父の無念を晴らそうと、朝晩、薪の上に寝起きして(臥薪)痛さを噛みしめながら、復讐の思いを新たにし、その二年後に句践を会稽山においつめて降伏させます。
 許されて帰国した句践は、「会稽の恥」を雪ごうと、部屋の中に肝を吊るし、いつもそれを嘗めて苦さを噛みしめながら(嘗胆)、屈辱を忘れないよう自分に言い聞かせ、23年後に夫差を破って思いを遂げた、という故事です。
 意味は、目的を達成するために機会を待ち、苦労を耐え忍ぶこと。類義語には「坐薪懸胆」というのがあります。
 すぐにだめだと諦めてしまわないで、いつか機会がくると信じ、その日のために自分を磨くという姿勢は、現代を生きるものにとってはとても大事なことかもしれませんね。
              (メルマガより抜粋)

ちと意味合いが違うかもしれませんが…
「ピンチをチャンスに!」
この頃リコール問題でたたかれているトヨタさんに(日本経済のためにも)この言葉を贈りたいと思います。
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