堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

歴史ワーキンググループ 速水堅曹の演説

2009-08-07 01:52:18 | 勉強会、講演会

8月6日は前橋へ毎月の歴史ワーキンググループの勉強会に行ってきました。

なんか高速道路が渋滞しています。

サービスエリアも家族連れで大賑わい。

平日なのになんでこんなに混んでいるの?

そう、この日から高速道路の「お盆時期休日特別割引」(例の高速1000円)がはじまったのですね。



さて歴史WGの勉強会では、続けている堅曹さんの自叙伝『六十五年記』を読みました。


Img066_3  『六十五年記』原稿 



速水堅曹は明治21年(1888)山梨県に出張に行き、共進会や各地の製糸所を視察しています。

そして10月26日に蚕事協会で演説をします。

演説文は自叙伝の中にたくさん載っていますが、これはめずらしく口語体の文章です。

誰かが速記で採録したものだとおもいます。


堅曹さんの演説口調がわかり、話しっぷりが想像できます。

「私はご承知の通り富岡製糸所長速水堅曹であります。

どちらの地方に於いても養蚕製糸の業に従事するものには知己がたくさんありますが・・・・・・」

という話出し。


「私は元来演説も下手のみならず、口を利くの学問も知りませぬから

お聴取(ききとり)悪しき所も沢山ありましょうが、此段はご免くだされ。

又腰を据えて緩々(ゆるゆる)御話を致す積りですから、

諸君も煙草でも上がりながら暫く御静聴を願います。」

などと謙遜をしながらも、達者な話しぷりです。



内容は、養蚕製糸業が発展していくにはどのように取り組んでいったらいいのか。

世界の大局から具体的な糸の繰り方にいたるまでをわかりやすく話しています。

彼の持論である、養蚕は農業、製糸は工業として完全に分業としてやっていくのがベスト

という考え方にもとづき、

その中での繭の改良と桑園の改良、そして養蚕業の経済を述べています。


製糸業については

「明治三年夏、私は前橋に些少の器械を設けその利害を試みたるに・・・・」

と器械製糸の成り立ちより話をはじめます。

そして模倣による簡便な器械をつかって多くの利益を上げようとする風潮に釘をさしています。

きちんとした器械を使い、それを扱う工女の精神的なものを高めることによって良質の糸がとれるという、

これも堅曹さんの持論を語ります。

工場での人の使い方、労働意欲の高め方などのいわゆる労務管理は今でも通用する内容ばかりです。


そして最後に座繰製糸と器械製糸はどっちがいいのか、という

当時世間では結構議論になっていた事柄について話しています。

「これは比較にも何にも及ばず、その際には上州碓氷社その他有名の座繰糸を製する社ですら、

器械でなければならぬと云う議論が起きております。

案ずるに座繰の命脈も永くはあるまじと思われます。」

器械製糸派であった堅曹さんの予想は後年見事に的中します。



とにかく、この演説は海外の事情、横浜の状況、生糸の相場に通じ、

かつ日本の最高製糸技術者で指導者だった彼が、養蚕製糸業の現状を見事に分析して、

警告と提案を聴衆に語っています。

事業の捉え方、仕事の取り組み方、人の使い方、どれをとっても今読んで納得できることばかりで、

何を語らせても一流だな、と思いました。


テープやレコードのある時代だったらいいのに。

本物の声で話を聞いてみたかった。


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