「けんそう」と「けんぞう」のつづき
反論がきました、コメント欄に。
なんと身内です。速水堅壯さん。
9/10のブログに名前のでている者です。堅曹の読み方について私はちょっと違う考え方をしています。堅曹の読み方は生来『けんそう』であり、海外へ行く時の為だけに『ケンゾウ』としたと思います。私は自分の名前をローマ字表記にする際にいつも『KENSO』にするか『KENSOU』にするか考える事があります。また、海外では『ケンソウ』は発音しにくいという事もあると思います。堅曹さんもそんな事を考えてKENZOと書いたのではないでしょうか?自分の名前に大変関係深い話しなので、つい一言言いたくなってしまいました。
夫婦でも考え方はいろいろです。
私のブログを読んで、それはちょっと違うんじゃないか、とおもったそうです。
彼のいうのは
- 「ケンゾウ」一時パスポート説
- 本来の読みは「けんそう」
- 海外に行くにあたってローマ字表記やサインのこと、外国人の発音のしやすさを考えて、「kensou」から「kenzo」にした。外国に行くときだけ。
- だから、身内はだれも「けんぞう」という読みを知らない。
う~ん。
「けんそう」という同じ読みの名前をもち、その名前で海外で暮らした経験のあるものの実証的な偽らざる気持ちに基づく考察です。
実際にローマ字をサインするように筆記体で書いてみました。
「kensou」と「kenzo」この活字体では想像できない違いがあります。zoのほうが数段書きやすいし、サインとして様になる。
本人はよく「kenzo」だったらいいのに、おもったそうです。
また、外国の人には「sou」の発音はむずかしいというのも経験ずみです。「kenzo」のほうが海外ではとおりがいい。
そして、もし親のつけた名前じゃないのにするんだったら、読みをちょっと替えてなんてしないで、漢字も替えて違う名前にしたんじゃないか。
だから、「けんそう」と「けんぞう」のもともとの論議になれば、自分は「けんそう」だとおもう。
なるほど。
ここからは彼の意見を聞き、私の考えたことです。
以前は私もそう考えていました。でも確信がもてなかった。
いろいろ航海免状のことを調べたけれど、よくわからない。
いまでいうパスポートにうその名前を書くはずがない。
でも「けんぞう」というのは納得できない。
そんな時に前回のブログで書いた「堅曹さん本人がけんそうにしたかったんだ」という見解にたどりつき、妙に納得していたのでした。
でも今回、速水堅壯さんから反論をうけ、もう一度考えてみました。
以前に考えた時ネックだった航海免状に書く名前。本名に決まっている、という考え。
これは今は法律で決まっているし、常識だけれど、当時はどうだったのか。
明治8年のはなしである。
明治時代のことを考えるときに「今の常識を当てはめたら理解できないことばかりですよ」と大学の講座で教わった。
幕末維新のころは海外にいくとき変名や別名で行った人は多い。
五代友厚→関研蔵、寺島宗則→出水泉蔵、森有礼→沢井鉄馬、伊藤博文→伊藤俊輔、折田彦市→折田権蔵、等々調べればきりがないほどである。(ちょっと発音してみてください)
現代の様に戸籍謄本を提出して、などと厳重なことがなかったのはたしかなようです。
であれば堅曹が自分の名前のよみかたをちょっと変えるなんてことは全然OKだったのではないか。
ここはもっと詳しく調べなくちゃいけませんが、考え方としてはすすめます。
日記にわざわざ「ケンゾウ」とカタカナで書いた理由。
疑問ですが、航海免状の申請は漢字ではないのでしょうか?
その部分の引用(明治8年)
十二月廿四日航海免状を得ン為人相書ヲ出ス
熊谷県士族 速水ケンゾウ
明治八年十二月
三十六年七ヶ月 (『履歴抜粋 甲号自記』)
前にも書きましたが、この日記は子孫のためにわざわざ書きなおして、その他速水家の歴史や系図とともに残していったものです。
このことを肝に銘じて考えてみると、自分は海外に行くときは「ケンゾウ」にしたんだよ、というメッセージを込めたのではないか、とおもえてきました。
賞状、賞牌、などには「kenzo」という文字が残るだろうから、はっきり知らせておいたほうがいい、と考えたのではないか。
そう考えると「海外一時パスポート説」もがぜん真実味を帯びてきた。
さて、ここでいままで出てきた説をまとめてみましょう。
①群馬のIさんから提起された、航海免状の申請書に「ケンゾウ」と記されていること。「Hayami Kenzo」と書いてあることから、「けんぞう」が正しい。
②私の前回のブログで書いた考え。親のつけた読みかたは「けんぞう」。しかし途中から堅曹さん自身の意思で読み方を「けんそう」にしてそれを通した。
③速水堅壯の考え。本来は「けんそう」。海外に行くときだけ「けんぞう」にした海外一時パスポート説。
この3つの説、ここまで読んでくださった皆さんはどう思われますか?
第三者が客観的にみた意見がぜひお聞きしたい。
そして、航海免状のこと、明治時代の海外渡航についてお詳しい方、ぜひおしえてください。
間違えていることもあるとおもいます。
公開してしまった以上、ブログのよさを生かして、お尋ねします。
コメント欄にどうぞよろしく。
コメントありがとうございます。
う~ん、するどいご指摘。
見落としていました。
親がつけた名前ではなかった!
そうすると「堅曹」の名がつけられた時は本人も納得している可能性がたかい、ということになりますね。
②の説はちょっとあやしくなってきた。
そういう私も限りなくいまは③の説支持になっております。
またまた課題を与えられたのでしらべてみます。
③の説ご支持とのこと。
夫はニンマリしています。
Iさんのご質問からこんな展開になりましたが、結果として、私自身は考えをまとめる機会をあたえられたようで、とてもよかったとおもいます。
また、堅曹に関することなら、なんなりとお問い合わせください。
ただちょっと気が付いたのですが、速水家の嫁様が最初に述べられている「堅曹の名付けは親である」というのは違うと思います。
というのは通常、武士は生まれた時に幼名が付けられ、その後元服の時に諱(いみな)に変ります。
速水堅曹の幼名は惣三郎ですが、堅曹の日記によれば元服する前に、父親が嘉永2年(堅曹11才)に亡くなり、同時に家督相続が行われ、この時実名の好信の名が付いたとあるので、速水堅曹好信の名はこの時誕生したのではないかと推測されます。これによれば元服の前に諱に変ったことになります。
又この日記によると家督相続の時、間宮才多という方に頼み事を依頼してるので
この人が堅曹の命名者と推測されます。
そうだとしたら、この人がどのような人物だったのかを探ることにより堅曹の読み方のヒントが得られるかもしれません。どうでしょうか?
結論から言えば私は③の堅壮さんの説に近いと思います。理由は文字の持つ意味と、この名が付けられた時代を考えると、やはり「けんそう」が正しいと思うからです。その上で海外へ渡航する時、先達からの advice により kenzo としたのでしょう。それが後にその部分が取り上げられて「速見ケンゾウ」や「Hayami Kenzo」の表記から「けんぞう説」が出たのではないでしょうか?又そう考える事により、『親戚では誰一人「けんぞう」と言う人は居なかった』と言う理由も分かると思います。どうも有り難うございました。