gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

斎藤美奈子さんのコラム・その52&前川喜平さんのコラム・その13

2020-02-24 06:39:00 | ノンジャンル
 先日、母と行った劇団民藝の5月の公演が、小田急線の新百合ヶ丘駅に近い劇場で行われることを知り、同時期にそこから近い川崎アートセンターで、伊福部昭さんの音楽映画が上映されるとのことなので、YouTubeで実際に音楽を聴いていたら、本多猪四郎監督の偉大さに改めて気づきました。本多さんの映画、『ゴジラ』以外も必見かも!

 さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず2月19日に掲載された「ございません。」と題された、斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「モリカケサクラ、ヤジコロナ。赤子泣いても認めるな。そんな標語(ないし念仏)を唱えていそうな安倍晋三政権。
 イライラが募るなか、十七日にはサクラ案件が動いた。衆院予算委員会での立憲民主党・辻元清美議員の質問である。辻元議員は2013年、14年、16年の桜を見る会・前夜祭が行われたANAインターコンチネンタルホテル東京との間で交わされた文書を紹介した。この七年間に開かれたパーティーや宴席に関する質問と回答は…。
 Q「貴ホテルが見積書や請求明細を主催者側に発行しないケースは」
 A「ございません」
 Q「個人・団体を問わず、貴ホテルの担当者が金額などを手書きし、宛名は空欄のまま領収書を発行したケースは」
 A「ございません」
 Q「ホテル主催ではないパーティー・宴会で、代金を参加者個人から、会費形式で貴ホテルが受け取ったことは」
 A「ございません」
 Q「以上について、主催者が政治家や政治家関連の団体であることから対応を変えたことは」
 A「ございません」
 辻元議員の追及もさすがだったが「ございません」の連打で首相答弁を否定したANAホテルの回答にもシビれた。曖昧な態度で逃げ切りを図ったホテルニューオータニとの差は歴然。これが正常な企業の姿だ。官邸の介入や妨害にも負けないで!」

 また2月16日に掲載された「慶田盛安三氏との再会」と題された、前川さんのコラム。
「十三日、沖縄県石垣市へ招かれて講演した。
 2011年当時、石垣市、竹富町、与那国町からなる八重山地区は教科書共同採択地区だったが、中学校公民教科書について、石垣市と与那国町が育鵬社版を、竹富町が東京書籍版を採択し、一本化できなかった。当時の文科省は、採択協議会での多数決を根拠に、石垣市と与那国町の採択は適法、竹富町の採択は違法と断じたが、これは完全に誤った判断だった。
 第二次安倍政権下では、下村博文文科大臣や義家弘介政務官が竹富町に育鵬社版を採択するように執拗(しつよう)に迫ったが、竹富町が全く折れなかったので、14年3月ついに地方自治法上の是正要求という暴挙に出た。竹富町の慶田盛安三(けだもりあんぞう)教育長(当時)を文科省に招き、是正要求に従うよう求めたが、実はその裏で、当時国会提出中の法案が成立すれば竹富町を単独採択地区にできると考えていた。
 慶田盛氏にもひそかに真意を伝えたが、面談後の記者会見で慶田盛氏は「全く理解してもらえず残念」と嘆いてみせた。なかなかの演技力だった。法案成立後の五月、沖縄県教委は竹富町を単独採択地区と決定。慶田盛氏は長い戦いに勝利した。
 講演会で慶田盛氏と再会し、往時を振り返る対談もした。「竹富町の島々は平和を作る工場」と語る慶田盛氏。尊敬すべき教育者である。」

 そして2月23日に掲載された、「子どもたちをよろしく」と題された、前川さんのコラム。
「二十九日から全国で順次公開する映画『子どもたちをよろしく』。文部省の先輩である寺脇研の企画に僕も加わった。監督・脚本は隅田靖。
 この映画は、地方都市に住む中学生のいじめと自殺を描くが、学校は出てこない。描かれているのは家庭だ。そこには貧困、暴力、虐待、ギャンブル依存、アルコール依存、対人依存など、さまざまな問題が渦巻いている。その中で苦しむ子どもたち。「普通」の人たちからはその姿が見えず、声も聞こえない。しかし、それは現実なのだ。
 背景には現代の日本社会が抱える歪(ゆが)みと人を幸せにしない政治がある。人間が使い捨ての道具のように扱われ、敗者や弱者は「自己責任」として切り捨てられている。人の命や幸せを蔑(ないがし)ろにする政治は、最も弱い子どもたちに最も過酷な状況をもたらし、子どもたちは生きる場所を失う。
 「教育勅語」でいじめは解決できない。「親学」で児童虐待はなくせない。憲法に「家族は助け合わなければならない」と書いても、この子どもたちは救われない。
 見終わって心が重くなる映画だ。幸福感や爽快感は得られない。でも目を背けずに見てほしい。この子どもたちのために何ができるのか。この社会をどう変えたらいいのか。人を幸せにする政治を、どうしたら取り戻せるのかということも。」

 どの文章も謹聴に値すると思います。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

 →FACEBOOK(https://www.facebook.com/profile.php?id=100005952271135

レフ・クレショフ監督『掟によって』

2020-02-23 06:48:00 | ノンジャンル
 もう昨年の末のことになりますが、川崎市アートセンターにて、レフ・クレショフ監督の1926年作品『掟によって』を観ました。サイレント映画で、柳下美恵さんによる即興伴奏付きという豪華な上映会でした。

 あらすじは以下の通りです。

 北アメリカ北西部のユーコン川に、黄金を求めて一組の夫婦を含む、男4人と女1人が訪れる。鉱脈を発見し、喜ぶ男。だがその男は株主ではないため、他の男にこき使われる。
 冬が来て、やがて妻の夫は妻が不逞を働いているのでは、と疑心暗鬼になり、男2人を射殺するが、残った男に銃を奪われ、コテンパンにやっつけられ、縄で縛られる。
 妻は夫であるにも関わらず、自分がイギリス人であることから、イギリスの法にのっとって裁判で夫が審判を受けなければならないと言い、雪解けで川の中に家が浸かってしまっている状態で、裁判を開く。生き残った男が裁判官となり、証人と傍聴人の両方を演じる妻。
 そして夫は殺人の罪で絞首刑が執行されることとなり、春が来て、家と陸地がつながるようになると、妻は男と一緒になって、絞首刑を実行し、夫を木に吊るす。
 その晩、ひどい雨が降る中、ゆっくりとドアが開く。そこに現われたのは首に縄をつけたままの夫であった。彼はテーブルの上に置いてあった、これまで集めた砂金はすべて自分のものとして持ち去り、男と妻に首からはずしたロープを投げつけると、「お前たちも幸せにな!」と言い放ち、雨の夜の中に姿を消していくのだった。

 この映画はとにかく「目」の映画であり、これほど「目」の持つ力を前面に押し出した映画はいまだかつてないような気がしました。見事な構図。力強い編集。効果的に使われる逆光の画面は影絵を彷彿とさせる素晴らしさで、クレショフの偉大さを再認識した次第です。柳下さんの音楽も「ブラボー!」ものでした。

 ちなみにレフ・クレショフ監督について、少し書いておこうと思います。(以下、Wikipedia からの引用です。)

1899年(明治32年)1月13日、ロシア帝国(現在のロシア)のタンボフに生まれる。
1917年(大正6年)、18歳のころ、エフゲーニー・バウエルを師とし、美術監督として映画に関わる。翌年1918年(大正7年)、初めて映画監督として映画を演出する。1924年(大正13年)に監督した『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』は、世界中で公開された。
1943年(昭和18年)、ソ連軍のための映画を監督したのを最後に、映画製作から退く。
1964年(昭和39年)、博物学博士号を授与される。1966年(昭和41年)、ヴェネツィア国際映画祭で審査員を務めた。1969年(昭和44年)、ソ連人民芸術家の称号を受ける。ほかにもレーニン勲章、赤旗労働英雄勲章受章を受章している。
1970年(昭和45年)3月29日、ソビエト連邦(現在のロシア)の首都モスクワで死去した。満71歳没。

 アメリカで生まれ、映画文法の基礎を築いた人物であり、様々な映画技術(モンタージュ、カットバック、クローズアップなど)を確立して、映画を芸術的な域へと高めたことにより「映画の父」とも呼ばれたデイヴィッド・ウォーク・グリフィス監督(1875年1月22日生まれ)よりも、25年、つまり2回りほど遅く生まれているレフ・クレショフ監督(1899年)ですが、上記にある「ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険」(1924年)も抱腹絶倒の映画で、今観てもまったく古びていない、というか若々しいエネルギーに満ちたあふれた映画となっていました。レフ・クレショフ監督(1899年生まれ)と同じ時代にソ連を生きたジガ・ヴェルトフ監督(1896年生まれ 、代表作『カメラを持った男』 )や、アレクサンドル・ドヴジェンコ監督(1894年、代表作『大地』)とともに、後世のソ連の映画人(ボリス・バルネット監督(1902年)らにも多大な影響を与えてくれた監督さんなのだと思います。
 「レフ・クレショフ監督作品DVD-BOX」は現在アマゾンで品切れ状態ですが、ヤフオクで辛抱強く待っていれば、そのうち誰かが出品するかもしれません。おそらく値段は5000円前後となるでしょうが(もしくは25.000円ぐらいで売りに出す人もいるかもしれませんが)、入手する価値は十分あると思います。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

 →FACEBOOK(https://www.facebook.com/profile.php?id=100005952271135

金子勝『平成経済 衰退の本質』その4

2020-02-22 12:51:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

・日銀の国債保有、株式保有は歴史上かつてない異常な水準に達し、日銀の資産は(中略)GDPとほぼ同じ規模に達した。その間に、国の借金は(中略)増加した。GDP比で見れば、これは戦時中の水準に匹敵する。

・国内では、東京オリンピックが終わると、それまで流入してきたヒトやカネが急激に引いて行くので、不動産バブルがはじけて景気が後退することが懸念されている。18年下期から不動産取引は減少しており、オリンピック前に、投機目的で買っている国内外の投資家が売り抜け、マンションや貸家バブルの破綻から大幅な値崩れが始まっていく可能性もある。銀行は、超低金利の下で貸付利息収入が極端に縮小しており、(中略)とりわけ地方金融機関は、(中略)不動産融資に傾斜しているところも少なくない。地方銀行や信用金庫を中心に金融機関が経営困難に陥り、引き取り手のない地銀・信金が出てくる可能性がある。そうなった場合、ただでさえ疲弊している地域経済は一層の困難に陥るだろう。

・では、現時点において産業戦略の中で、最も重要なものは何か。
 エネルギー転換である。
 それは、IoTを使った送配電網のインフラから省エネと建物の構造、そして耐久消費財を大きく変えてしまう。ヨーゼフ・シュンペーターがいう50年周期の「コンドラチェフ循環」の中でも、石炭と蒸気機関、電力と電化、石油とエンジンというように、エネルギー転換は波及する範囲が大きいがゆえに、膨大な需要と投資をもたらす可能性を秘めている。

・原発をはじめ「集中メインフレーム型」という20世紀型の仕組みは、同じモノを大量生産し大量消費することで成り立つ。大規模化を追求するので、人口が増え、所得や雇用が増え、作っているモノに国際競争力がないと成り立たない。しかし、いまの日本はこれらの条件が失われつつある。「集中メインフレーム型」の旧来型産業を守ろうとすればするほど、かえって地域から日本経済は壊れて行くようになっていくのである。
 一つ一つは小規模で分散していても、IoTやICTの情報通信技術を基盤に連携する「地域分散ネットワーク型」への移行が求められている。固定電話から携帯電話・スマートフォンへの移行、大型スーパーの不振とコンビニの隆盛が典型的な事例だろう。「地域分散ネットワーク型」への移行には情報通信技術が不可欠である。このような情報通信技術の活用を通じて、“毛細血管”でニーズがすばやく反映され効率化されていくことが必須だからである。
「地域分散ネットワーク型」のシステムへの移行は、社会保障制度も同じである。もはや国が現金給付を出して、民営化された医療・介護・保育・教育を買う仕組みは、財政赤字と格差の拡大によって限界に達してきている。実際、現状の社会保障制度を前提として、財政事情を理由に給付をひたすら縮小していくだけでは安心は得られない。そこで、財源と権限を地方に譲り、医療・介護・保育・教育といった現物サービスを地域できめ細かく対応できるようにしていくことが必要である。ここでも、IoTやICTの情報通信技術を基盤にネットワークを構築することで「効率化」と安心を同時に追求していくことができる。
 地域の基盤産業である農林業も、食の安全と環境を守るという点では、もはや大規模専業をモデルとする「集中メインフレーム型」の時代は終わった。小規模零細の農業を基盤に安全な農業こそ先進的なものである。しかし、コストが高く、収入が上がらない。それを六次産業化とエネルギー兼業でカバーしていくのである。ここでもIoTやICTの情報通信技術でネットワークを構築することが不可欠になる。
 こうして電力システム改革を突破口にして、持続可能な発展を実現するため、地域から逃げない資源や人間のニーズに基礎を置いた産業(エネルギー、食と農、福祉)において雇用を創出する。それを基礎にして、インフラ、建物、耐久消費財などでイノベーションを引き起こすのである。

・イノベーションに関しては、ヨーゼフ・シュムペーターが最も有名である。その主著『資本主義・社会主義・民主主義』(中山伊知郎・東畑精一訳、東洋経済新報社、1995年)は依然として示唆に富む。しかし、技術転換と産業革新に関しては企業家精神の衰退に直面してどこか「悲観的」で、政策論としては、『租税国家の危機』(木村元一・小谷義次訳、岩波文庫、1983年)におけるタックス・ハンドルくらいしか提示されていない。これに対して、マリアナ・アッツカート『企業家としての国家 イノベーション力で官は民に劣るという神話』(大村昭人訳、薬事日報社、2015年)がある。情報通信や再生可能エネルギーを事例に、基盤技術の開発や初期投資の赤字をまかなう国家の役割を強調している点で興味深い。

 本の内容は以上です。面白くて一気に2日で読み終えてしまいました。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

 →ブログ「今日の出来事」(https://green.ap.teacup.com/m-goto/

金子勝『平成経済 衰退の本質』その3

2020-02-21 00:31:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

・バブルが崩壊すると、金融機関に大量の不良債権が発生し、金融危機が引き起こされる。そして、政府と中央銀行が金融機関の救済に乗りだす。それが落ち着くにしたがって、金融自由化の下で再び金融革新で新しい手法が作られ、そこに大量の投資資金が流入して、またバブルが作り出される。こうしてバブル循環が繰り返されていった。

・新興国でもブラジル、アルゼンチンあるいはロシアが低迷しているのとは対照的に、唯一アジアだけが高い経済成長率を保っている。いまや世界の成長センターと言っても過言ではない。

・郵政選挙の結果、たしかに自民党は変わった。小選挙区制度では、候補者は自民党本部の公認を得られないと、当選できないことが明らかになった。経世会(旧田中派)や宏池会の保守リベラル系の派閥は少数派に転落し、タカ派の清和会が主流になるとともに、小選挙区では当選しやすい地盤、看板を引き継ぐ二世三世議員の比重を高めていった。自民党内部ではかつての派閥間の激しい論争は消え、多様性を失っていった。

・小泉政権期の雇用規制の緩和や社会保障費の削減は個人間地域間格差を一層拡大させ、地域の少子高齢化を進行させていった。とりわけ若い世代で急激に非正規雇用が増加したことで、日本は新陳代謝のない社会となっていった。

・(民主党政権の問題について)まず第一に、政府に政務三役を送り込んだとしても、民主党の政治家には統治の経験がなく、政策形成能力にも疑問符がつく中、メディアパフォーマンスばかりを優先する稚拙さが目立った。(中略)
 第二に、マニフェストでは財源が不明確であった。マニフェスト・ブームもあったために、それが国民に過剰な期待を抱かせたのは、総花的に並べられた項目に、短期、中期、長期といった優先順位がつけられておらず、実現のための工程表もなかった。しかもマニフェスト作成時の「影の内閣」とは別の人物が閣僚になった。それは、マニフェストが全議員に共有されていないことを露呈させる結果をもたらした。(中略)
 第三に、政権発足時から、小沢・反小沢の党内対立があった。(後略)

・ただし、あえて付け加えておくべきは、民主党政権にとって不運だったのは、リーマンショックに加えて、東日本大震災と東京電力福島第一原発で重大事故が発生したことであった。しかも、第二次安倍政権になってからも菅直人首相にたいする執拗な攻撃が起きている。たとえば、菅首相が海水注水を中断させたといった類いの事実に基づかない攻撃も繰り返されている。逆に、菅首相が東京電力本社に乗り込み、全員撤退はありえないと叱責していたことは意図的に無視された。

・これまで日本の政治は独特な展開をたどってきた。まず、早い時期から労働組合や医師会・農協(農業協同組合)あるいは商店街などの職業団体や中間団体の影響力が落ちていった。(中略)労働組合をバックにした社会民主主義の政権もコーポラティズムの政治も一度も誕生したことはない。加えて医師会・農協あるいは商店街なども衰弱していく。こうした中間団体の影響力の低下によって人々は個化していき、「政党支持なし」という無党派層を拡大させた。その意味で、メディアの流す情報の影響力が高まっていった。

・外交も同じような役割を果たしている。ほとんど成果がゼロなのに、メディアの批判能力が著しく低下しているので、それが“やっている感”を演出する効果を持つ。不正・腐敗スキャンダルや欠陥法案が表面化するたびに、安倍首相を筆頭に閣僚の答弁能力が低いことが露呈し、都合が悪くなると、外遊で逃げる。そして、不正・腐敗スキャンダルや欠陥法案の問題点の追及が中断される。メディアが、その追及をかわす役割を果たすのである。

・首相官邸において、その中枢を担うのは、今井尚哉首相秘書官を筆頭とする経産省原子力ムラと、公安警察出身の杉田和博官房副長官と外事警察出身の北村慈内閣情報官らである。彼ら側近が中心となって、原発再稼働・原発輸出路線が推進され、特定秘密保護法、安保関連法、「共謀罪」法(組織的犯罪処罰法改正)など、公約にない法律を国会通過させてきた。

・検察行政は、福島第一原発事故を引き起こした東京電力経営陣に始まり、大臣室で現金を授受した甘利明経済再生相(当時)をはじめ、不正・腐敗を行った政治家・経営者を次々と免罪していった。そして、閣僚による政治資金規正法違反、公選法違反は当たり前となり、一昔前には辞任に追い込まれたのに、今は謝罪会見と返済で終わりになる。これにつれて、法務省において検察と人事交流が行われて、裁判所にも忖度が波及するようになっている。

(また明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

 →FACEBOOK(https://www.facebook.com/profile.php?id=100005952271135

金子勝『平成経済 衰退の本質』その2

2020-02-19 00:22:00 | ノンジャンル
 昨日、劇団民藝の『白い花』という舞台を観てきましたが、素晴らしいものでした。新宿で23日まで行われているので、ぜひ足をお運びください。

 では、昨日の続きです。

 今度は「おわりに」と題された文章の一部を転載させていただきます。

 思えば、「平成」という時代はバブルとバブルの崩壊から始まったが、経済学の有効性が厳しく問われる時代でもあった。大恐慌がケインズやシュンペーターや計画経済を産み落としたように、100年に一度の経済危機は新しい経済学の考え方が創造されねばならない時なのだろう。現実が変われば、理論は革新を求められていく。理論に現実を押し込めようとすれば、政策はかえって破綻を導くからだ。現実に合わせて理論が革新されねばならない。今は、その途上にある時代なのかもしれない。
 平成という時代を通じて、結局、財政金融政策を使ったマクロ経済政策も、規制緩和を中心とする構造改革も、「失われた30年」を克服できないどころか、症状を重くするばかりだった。アベノミクスの失敗はその集大成にすぎない。そして、従来の主流経済学は、マクロ経済学もミクロ経済学も日本経済の衰退に有効な処方箋を提示できないでいる。こういう中から行動経済学ビッグデータを使った統計解析など新しい経済学の動きも出てきているが、まだ未成熟で有効な政策体系を打ち出せていない。
 他方、マルクス経済学は、社会主義はもともと集産主義(collectivism)の意味であって多様な形態があるとはいえ、1990年代初めの「社会主義」体制の崩壊とともに、影響力は大きく減じた。国家が巨大な設備投資をコントロールするという政策が有効性を持っていた重化学工業の時代が終わるとともに、有効な政策を打ち出すことはできなくなったのである。もちろん、資本の無限の価値増殖や資本蓄積という概念は、近年の格差拡大についてひとつの説明を与えているが、主流経済学とは異なる全体的な体制概念を提供するという魅力はもはやない。
 こういう中で、バブル崩壊後に訪れた「失われた30年」を克服するために、筆者なりに悪戦苦闘しながら日本経済を分析し、セーフティーネット概念の革新、反グローバリズム、長期停滞、脱原発成長論などをキー概念にして、その時々に具体的な政策提案を行ってきた。と同時に、自分がどのような方法論に立つかについても、拙い考えをめぐらせてきた。それは、ゲノム科学の成果を踏まえつつ、児玉龍彦との共著、『逆システム学 市場と生命のしくみを解き明かす』(岩波新書、2004年)と『日本病 長期衰退のダイナミクス』(岩波新書、2016年)となっている。
 この二著で書いたのは、制度経済学の病理的アプローチとでも言うべき方法であった。前者は、市場を「制度の束」ととらえ、多重な調節制御の仕組みを解き明かすことで、できるだけ副作用のない政策の組み合わせを提示する方法を考えたつもりである。後者は、歴史的動態的な変化をとらえる際に、周期で変化を見つつ断絶的な非線形的変化がなぜ起きるかを解き明かすとともに、階層的に積み上げられてきた調節制御の仕組みのどこが壊れて「病気」になっていくかを解明する試みであった。なおも方法的に未熟な部分が多く残っているが、本書もそうした観点が応用されている。(後略)

 最後に、本文の中で書きとめておきたい文を以下に示します。

・世界経済に占める日本の地位低下は著しい。

・安倍政権の下で、その歪みが次々と表に出てきている。三菱自動車、神戸製鋼、旭化成建材、東洋ゴム工業、日産自動車、スバル、三菱マテリアル子会社、三菱電機子会社、東レ子会社、KYB、日立化成、クボタ、IHIなど、名だたる一流企業がデータ改竄に手を染めていることが露見した。

・一人当たり所得のランキングで見ると、日本は25 位(2017年)まで落ちている。日本は、必ずしも「豊かな国」とは言えなくなった。

・もはや有効求人倍率は「景気が良い」指標と言い切ることはできず、少子高齢化と地域衰退の指標でもあるのだ。

・重複する部分もあるが、高齢者、非正規雇用、障がい者などを単純に合計すると、一億人の半分以上になる。

・自民党政権は(中略)地域を壊す政策をとってきた。(中略)とりわけ小泉「構造改革」の下で、地方交付税を大幅に削り、診療報酬を継続的に引き下げたり臨床研修医制度の「自由化」で医師偏在問題を引き起こしたりしたことで地域医療の中核となる公立病院が経営困難に陥るケースが数多くでた。

・1990年代初めに世界中で不動産バブルが崩壊したと同時に、旧ソ連邦と東欧諸国で「社会主義」体制が崩壊した。それを契機にして、バブルが崩壊したにもかかわらず、「新自由主義」イデオロギーに基づくグローバリズムが世界中で吹き荒れた。しかし、それはリーマンショックに行き着き、今度は極右ナショナリズムとポピュリズムを産み落としている。

(また明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

 →FACEBOOK(https://www.facebook.com/profile.php?id=100005952271135