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レフ・クレショフ監督『掟によって』

2020-02-23 06:48:00 | ノンジャンル
 もう昨年の末のことになりますが、川崎市アートセンターにて、レフ・クレショフ監督の1926年作品『掟によって』を観ました。サイレント映画で、柳下美恵さんによる即興伴奏付きという豪華な上映会でした。

 あらすじは以下の通りです。

 北アメリカ北西部のユーコン川に、黄金を求めて一組の夫婦を含む、男4人と女1人が訪れる。鉱脈を発見し、喜ぶ男。だがその男は株主ではないため、他の男にこき使われる。
 冬が来て、やがて妻の夫は妻が不逞を働いているのでは、と疑心暗鬼になり、男2人を射殺するが、残った男に銃を奪われ、コテンパンにやっつけられ、縄で縛られる。
 妻は夫であるにも関わらず、自分がイギリス人であることから、イギリスの法にのっとって裁判で夫が審判を受けなければならないと言い、雪解けで川の中に家が浸かってしまっている状態で、裁判を開く。生き残った男が裁判官となり、証人と傍聴人の両方を演じる妻。
 そして夫は殺人の罪で絞首刑が執行されることとなり、春が来て、家と陸地がつながるようになると、妻は男と一緒になって、絞首刑を実行し、夫を木に吊るす。
 その晩、ひどい雨が降る中、ゆっくりとドアが開く。そこに現われたのは首に縄をつけたままの夫であった。彼はテーブルの上に置いてあった、これまで集めた砂金はすべて自分のものとして持ち去り、男と妻に首からはずしたロープを投げつけると、「お前たちも幸せにな!」と言い放ち、雨の夜の中に姿を消していくのだった。

 この映画はとにかく「目」の映画であり、これほど「目」の持つ力を前面に押し出した映画はいまだかつてないような気がしました。見事な構図。力強い編集。効果的に使われる逆光の画面は影絵を彷彿とさせる素晴らしさで、クレショフの偉大さを再認識した次第です。柳下さんの音楽も「ブラボー!」ものでした。

 ちなみにレフ・クレショフ監督について、少し書いておこうと思います。(以下、Wikipedia からの引用です。)

1899年(明治32年)1月13日、ロシア帝国(現在のロシア)のタンボフに生まれる。
1917年(大正6年)、18歳のころ、エフゲーニー・バウエルを師とし、美術監督として映画に関わる。翌年1918年(大正7年)、初めて映画監督として映画を演出する。1924年(大正13年)に監督した『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』は、世界中で公開された。
1943年(昭和18年)、ソ連軍のための映画を監督したのを最後に、映画製作から退く。
1964年(昭和39年)、博物学博士号を授与される。1966年(昭和41年)、ヴェネツィア国際映画祭で審査員を務めた。1969年(昭和44年)、ソ連人民芸術家の称号を受ける。ほかにもレーニン勲章、赤旗労働英雄勲章受章を受章している。
1970年(昭和45年)3月29日、ソビエト連邦(現在のロシア)の首都モスクワで死去した。満71歳没。

 アメリカで生まれ、映画文法の基礎を築いた人物であり、様々な映画技術(モンタージュ、カットバック、クローズアップなど)を確立して、映画を芸術的な域へと高めたことにより「映画の父」とも呼ばれたデイヴィッド・ウォーク・グリフィス監督(1875年1月22日生まれ)よりも、25年、つまり2回りほど遅く生まれているレフ・クレショフ監督(1899年)ですが、上記にある「ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険」(1924年)も抱腹絶倒の映画で、今観てもまったく古びていない、というか若々しいエネルギーに満ちたあふれた映画となっていました。レフ・クレショフ監督(1899年生まれ)と同じ時代にソ連を生きたジガ・ヴェルトフ監督(1896年生まれ 、代表作『カメラを持った男』 )や、アレクサンドル・ドヴジェンコ監督(1894年、代表作『大地』)とともに、後世のソ連の映画人(ボリス・バルネット監督(1902年)らにも多大な影響を与えてくれた監督さんなのだと思います。
 「レフ・クレショフ監督作品DVD-BOX」は現在アマゾンで品切れ状態ですが、ヤフオクで辛抱強く待っていれば、そのうち誰かが出品するかもしれません。おそらく値段は5000円前後となるでしょうが(もしくは25.000円ぐらいで売りに出す人もいるかもしれませんが)、入手する価値は十分あると思います。

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