また昨日の続きです。
・バブルが崩壊すると、金融機関に大量の不良債権が発生し、金融危機が引き起こされる。そして、政府と中央銀行が金融機関の救済に乗りだす。それが落ち着くにしたがって、金融自由化の下で再び金融革新で新しい手法が作られ、そこに大量の投資資金が流入して、またバブルが作り出される。こうしてバブル循環が繰り返されていった。
・新興国でもブラジル、アルゼンチンあるいはロシアが低迷しているのとは対照的に、唯一アジアだけが高い経済成長率を保っている。いまや世界の成長センターと言っても過言ではない。
・郵政選挙の結果、たしかに自民党は変わった。小選挙区制度では、候補者は自民党本部の公認を得られないと、当選できないことが明らかになった。経世会(旧田中派)や宏池会の保守リベラル系の派閥は少数派に転落し、タカ派の清和会が主流になるとともに、小選挙区では当選しやすい地盤、看板を引き継ぐ二世三世議員の比重を高めていった。自民党内部ではかつての派閥間の激しい論争は消え、多様性を失っていった。
・小泉政権期の雇用規制の緩和や社会保障費の削減は個人間地域間格差を一層拡大させ、地域の少子高齢化を進行させていった。とりわけ若い世代で急激に非正規雇用が増加したことで、日本は新陳代謝のない社会となっていった。
・(民主党政権の問題について)まず第一に、政府に政務三役を送り込んだとしても、民主党の政治家には統治の経験がなく、政策形成能力にも疑問符がつく中、メディアパフォーマンスばかりを優先する稚拙さが目立った。(中略)
第二に、マニフェストでは財源が不明確であった。マニフェスト・ブームもあったために、それが国民に過剰な期待を抱かせたのは、総花的に並べられた項目に、短期、中期、長期といった優先順位がつけられておらず、実現のための工程表もなかった。しかもマニフェスト作成時の「影の内閣」とは別の人物が閣僚になった。それは、マニフェストが全議員に共有されていないことを露呈させる結果をもたらした。(中略)
第三に、政権発足時から、小沢・反小沢の党内対立があった。(後略)
・ただし、あえて付け加えておくべきは、民主党政権にとって不運だったのは、リーマンショックに加えて、東日本大震災と東京電力福島第一原発で重大事故が発生したことであった。しかも、第二次安倍政権になってからも菅直人首相にたいする執拗な攻撃が起きている。たとえば、菅首相が海水注水を中断させたといった類いの事実に基づかない攻撃も繰り返されている。逆に、菅首相が東京電力本社に乗り込み、全員撤退はありえないと叱責していたことは意図的に無視された。
・これまで日本の政治は独特な展開をたどってきた。まず、早い時期から労働組合や医師会・農協(農業協同組合)あるいは商店街などの職業団体や中間団体の影響力が落ちていった。(中略)労働組合をバックにした社会民主主義の政権もコーポラティズムの政治も一度も誕生したことはない。加えて医師会・農協あるいは商店街なども衰弱していく。こうした中間団体の影響力の低下によって人々は個化していき、「政党支持なし」という無党派層を拡大させた。その意味で、メディアの流す情報の影響力が高まっていった。
・外交も同じような役割を果たしている。ほとんど成果がゼロなのに、メディアの批判能力が著しく低下しているので、それが“やっている感”を演出する効果を持つ。不正・腐敗スキャンダルや欠陥法案が表面化するたびに、安倍首相を筆頭に閣僚の答弁能力が低いことが露呈し、都合が悪くなると、外遊で逃げる。そして、不正・腐敗スキャンダルや欠陥法案の問題点の追及が中断される。メディアが、その追及をかわす役割を果たすのである。
・首相官邸において、その中枢を担うのは、今井尚哉首相秘書官を筆頭とする経産省原子力ムラと、公安警察出身の杉田和博官房副長官と外事警察出身の北村慈内閣情報官らである。彼ら側近が中心となって、原発再稼働・原発輸出路線が推進され、特定秘密保護法、安保関連法、「共謀罪」法(組織的犯罪処罰法改正)など、公約にない法律を国会通過させてきた。
・検察行政は、福島第一原発事故を引き起こした東京電力経営陣に始まり、大臣室で現金を授受した甘利明経済再生相(当時)をはじめ、不正・腐敗を行った政治家・経営者を次々と免罪していった。そして、閣僚による政治資金規正法違反、公選法違反は当たり前となり、一昔前には辞任に追い込まれたのに、今は謝罪会見と返済で終わりになる。これにつれて、法務省において検察と人事交流が行われて、裁判所にも忖度が波及するようになっている。
(また明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
→FACEBOOK(https://www.facebook.com/profile.php?id=100005952271135)
・バブルが崩壊すると、金融機関に大量の不良債権が発生し、金融危機が引き起こされる。そして、政府と中央銀行が金融機関の救済に乗りだす。それが落ち着くにしたがって、金融自由化の下で再び金融革新で新しい手法が作られ、そこに大量の投資資金が流入して、またバブルが作り出される。こうしてバブル循環が繰り返されていった。
・新興国でもブラジル、アルゼンチンあるいはロシアが低迷しているのとは対照的に、唯一アジアだけが高い経済成長率を保っている。いまや世界の成長センターと言っても過言ではない。
・郵政選挙の結果、たしかに自民党は変わった。小選挙区制度では、候補者は自民党本部の公認を得られないと、当選できないことが明らかになった。経世会(旧田中派)や宏池会の保守リベラル系の派閥は少数派に転落し、タカ派の清和会が主流になるとともに、小選挙区では当選しやすい地盤、看板を引き継ぐ二世三世議員の比重を高めていった。自民党内部ではかつての派閥間の激しい論争は消え、多様性を失っていった。
・小泉政権期の雇用規制の緩和や社会保障費の削減は個人間地域間格差を一層拡大させ、地域の少子高齢化を進行させていった。とりわけ若い世代で急激に非正規雇用が増加したことで、日本は新陳代謝のない社会となっていった。
・(民主党政権の問題について)まず第一に、政府に政務三役を送り込んだとしても、民主党の政治家には統治の経験がなく、政策形成能力にも疑問符がつく中、メディアパフォーマンスばかりを優先する稚拙さが目立った。(中略)
第二に、マニフェストでは財源が不明確であった。マニフェスト・ブームもあったために、それが国民に過剰な期待を抱かせたのは、総花的に並べられた項目に、短期、中期、長期といった優先順位がつけられておらず、実現のための工程表もなかった。しかもマニフェスト作成時の「影の内閣」とは別の人物が閣僚になった。それは、マニフェストが全議員に共有されていないことを露呈させる結果をもたらした。(中略)
第三に、政権発足時から、小沢・反小沢の党内対立があった。(後略)
・ただし、あえて付け加えておくべきは、民主党政権にとって不運だったのは、リーマンショックに加えて、東日本大震災と東京電力福島第一原発で重大事故が発生したことであった。しかも、第二次安倍政権になってからも菅直人首相にたいする執拗な攻撃が起きている。たとえば、菅首相が海水注水を中断させたといった類いの事実に基づかない攻撃も繰り返されている。逆に、菅首相が東京電力本社に乗り込み、全員撤退はありえないと叱責していたことは意図的に無視された。
・これまで日本の政治は独特な展開をたどってきた。まず、早い時期から労働組合や医師会・農協(農業協同組合)あるいは商店街などの職業団体や中間団体の影響力が落ちていった。(中略)労働組合をバックにした社会民主主義の政権もコーポラティズムの政治も一度も誕生したことはない。加えて医師会・農協あるいは商店街なども衰弱していく。こうした中間団体の影響力の低下によって人々は個化していき、「政党支持なし」という無党派層を拡大させた。その意味で、メディアの流す情報の影響力が高まっていった。
・外交も同じような役割を果たしている。ほとんど成果がゼロなのに、メディアの批判能力が著しく低下しているので、それが“やっている感”を演出する効果を持つ。不正・腐敗スキャンダルや欠陥法案が表面化するたびに、安倍首相を筆頭に閣僚の答弁能力が低いことが露呈し、都合が悪くなると、外遊で逃げる。そして、不正・腐敗スキャンダルや欠陥法案の問題点の追及が中断される。メディアが、その追及をかわす役割を果たすのである。
・首相官邸において、その中枢を担うのは、今井尚哉首相秘書官を筆頭とする経産省原子力ムラと、公安警察出身の杉田和博官房副長官と外事警察出身の北村慈内閣情報官らである。彼ら側近が中心となって、原発再稼働・原発輸出路線が推進され、特定秘密保護法、安保関連法、「共謀罪」法(組織的犯罪処罰法改正)など、公約にない法律を国会通過させてきた。
・検察行政は、福島第一原発事故を引き起こした東京電力経営陣に始まり、大臣室で現金を授受した甘利明経済再生相(当時)をはじめ、不正・腐敗を行った政治家・経営者を次々と免罪していった。そして、閣僚による政治資金規正法違反、公選法違反は当たり前となり、一昔前には辞任に追い込まれたのに、今は謝罪会見と返済で終わりになる。これにつれて、法務省において検察と人事交流が行われて、裁判所にも忖度が波及するようになっている。
(また明日へ続きます……)
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