gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

小林節・竹田恒泰『憲法の真髄』その2

2020-02-09 06:59:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

・フランス人には「リセットボタンを押して、新しいものをつくることができる」「人間は全能であり、神に代わってすべてのものをつくることができる」という意識があるようです。(竹田)

・「過去を正しい」と見るのか、もしくは「自分たちがつくりあげていく先に正しいものがある」と見るのか。イギリス人の発想とフランス人の発想は、まったく逆なんですね。「保守」と「革新」と、最近ではよくステレオタイプ的に言われます。(中略)この2つの国が隣り合っているのが非常はおもしろいな、とは思っております。(竹田)

・(前略)徳川期の日本は、それぞれに法体系が違う藩が三百いくつもあった国(いわば「国家連合」)でした。それが明治維新によっていきなりひとつの国になった。そして、列強に侵犯されないように、世界に向けて「日本はひとつの国です」ということを示さなければいけなかった。時間をかけて判例や習慣を形成している暇などありません。成文の「大日本帝国憲法」で示す。(小林)

・(前略)大日本帝国憲法は、「外国から入ってきた思想」として片付けることもできませんし、「全部、古来の日本のもの」と言って片付けることもできません。(竹田)

・日本において「憲法」という言葉は確かに、「十七条憲法」として『日本書紀』に出てきます。この憲法という言葉は、現在で言う憲法とどう違うのか、という質問をこの対談の編集担当者から受けました。また、鎌倉時代の「御成敗式目」、江戸時代の「武家諸法度」などは憲法と呼べるのか、つまり明治憲法以前に、憲法と呼べるものはあったのか、ということですね。
 簡単な話です。これらは全部、当時の公務員の「職務規律」です。(小林)

・周辺諸国に朝貢、つまりおみやげを運ばせて王として認めてやる。これが中華帝国の、冊封体制と呼ばれる支配方法です。周辺諸国にとっては安全保障の一環です。もし、困ったことがあれば中国が援軍を送ってくれるのです。(中略)
日本は第21代雄略天皇の時代、区分で言えば古墳時代ですが、初めて中国の冊封体制から抜け出しました。日本独自の天下をつくり、この時に、「皇帝」に対する「天皇」という考えを持ったと言われています。
すると、何が起きるかというと、中国からいろいろなものをもらえなくなります。そのひとつが「暦」です。(竹田)

・そして、暦とは別に中国皇帝からもらえるもののひとつに「律令」があったのです。これも周辺諸国にとっては便利でした。法を運用する力だけあればよく、法を生み出す力は必要なかったからです。(竹田)

・日本は当時の周辺諸国がやらないことをやってのけました。それが、「大宝律令」です。大宝律令が基礎となって、その後の御成敗式目や武家諸法度ができています。(竹田)

・(公家諸法度には書かれているのは)天皇は(中略)文化的存在でありなさい、ということです。(竹田)
 それはまったく正しいけれどね。(小林)

・弥生時代後期にもなりますと、安定した食糧生産のもとに人口も増えていきます。そこで、日照りが続いて雨が降らず、飢饉になると、なんとか村人の命をつなぐために、隣村の食糧倉庫を襲ったりしたいうことが頻発したようです。(竹田)

・そういった時代に、「戦争はやめよう」と言った人がどうやら神武天皇ではないかと考えられます。(竹田)

・「国家総動員法」や「治安維持法」などは、立憲主義とはとても言えない事例です。(竹田)

・「天皇は神である」というようなことを政府が突然言い始めたのもこの時期です。(竹田)

・戦争となると、「立憲主義がなくなる」、もしくは「弱くなる」━━、そういう事態に陥るような気がします。(竹田)

・やはり、本当に立憲主義を守り通すためには、とにかく戦争を避けることが大切だと言えそうですね。(竹田)
 その通りです。ただし、戦争を避けるということは、相手国の脅しに屈服するということではなりません。(中略)日本は世界有数の大国です。「手を出したらただではおかない」ということを見せるだけでいい。(小林)

・天皇からすると、「民は本当の子供のように愛する対象である」ということですね。(竹田)

・(前略)内閣で争いが起き、抵抗する閣僚がいればすぐには物事は決まりません。「全会一致」を憲法慣行としているからですが、これに関する条文は日本国憲法のどこにもありません。
 なぜ全会一致を慣行としているかというと、反対者がいるとその決定の執行の際に齟齬(そご)が起こるからです。(小林)

・帝国憲法の時代には、閣議で不一致が起きれば、即、内閣総辞職です。(小林)

・国家がある以上必ず元首がいるわけですが、天皇以外に誰が元首たりうるかという問いに答えられた憲法学者は、私の知る限り小林節教授の他にいないのです。(竹田)

(また明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

 →FACEBOOK(https://www.facebook.com/profile.php?id=100005952271135