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金子勝(まさる)『平成経済 衰退の本質』その1

2020-02-18 06:54:00 | ノンジャンル
 金子勝さんの2019年作品『平成経済 衰退の本質』を読みました。

 まず「はじめに━━失われたものを取り戻す」の全文を、一部手を加えた上で転載させていただくと、

 日本はもはや先進国とは言えない。
 今の日本は、厳しい眼で自分を冷静に見つめ直す謙虚さを失ったかのようである。それこそが、戦後日本の美徳のひとつであったはずなのに、だ。いまや政府は平然と公文書や政府統計を改竄(かいざん)するようになり、森友・加計問題では、改竄を指示し、国会で偽証を繰り返した高級官僚が不起訴となり、高額な退職金を受け取る一方で、改竄を強いられた現場の近畿財務局職員は自殺に追い込まれた。閣僚が公職選挙法や政治資金規正法に違反しても、一切罪を問われることはない。
 政府だけではない。名だたる大手企業でもデータ改竄や会計粉飾が当たり前になり、それが露見しても経営者は責任をとらない。かつての日本では、トップから末端の現場まで生真面目に物作りに励み、それが高品質の日本製品を世界に広めたはずだった。
 どう見ても、日本は衰弱する国である。ナショナリズムをかき立てて、いくら中国が嫌いだ、韓国が嫌いだと言ったところで、何も始まらない。実際、中国のファーウェイや韓国のサムソンに勝てる日本企業は見当たらないからだ。かつて世界有数のシェアを誇っていた日本製品は自動車を除いて次々と地位を落とし、情報通信、バイオ医薬、エネルギー関連などの先端分野では、日本企業は完全に立ち遅れてしまった。
「平成」時代が始まった1989年はバブルの頂点にあり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だとおごり高ぶっていた。しかし、おごり高ぶっている時にこそ、滅びは始まるものだ。実際、その後に続く『失われた30年』は日本の産業競争力を決定的に落としてしまった。
 本書で明らかにするように、バブル崩壊後の「失われた10年」と言われる中で、経営責任も監督責任も問われることなく、不良債権の抜本的な処理を怠ったために、97年11月に北海道拓殖銀行、山一證券などが経営破綻する金融危機が発生した。この時を境にして、賃金も、中位の所得も、家計消費も、生産年齢人口も、そしてGDPも減少ないし停滞していった。97年に日本経済の構造が一変し、「失われた10年」が「失われた20年」になった。そして2011年の福島第一原発事故でも同じことが繰り返され、さらに「失われた30年」になっていった。リーダーが責任を問われなければ、産業も社会も生まれ変われない。しごく当然のことが起きているだけである。
 実際に政府は、厳格な債券査定に基づいて貸倒引当金を積んで企業再建に取り組むことも、いったん国有化して不良債権を切り離してゆっくりと処理することもなく、ひたすら財政金融政策でずるずるとゾンビ化する企業群を救済してきた。そして、その行き着いた先が「アベノミクス」だったのである。
 当初二年で終るはずだった異次元の金融緩和は、デフレ脱却に失敗して六年以上も続いたため、“出口のないネズミ講”と化してしまった。だが、政策的失敗に対する根本的批判はかき消されてしまう。その結果、言論の世界の萎縮もあって、人々は目先のことしか考えず、“ゆでがえる”になっている。もはや、ルイ15世の治世下のように、「我が亡き後に洪水よ来たれ」の状況に陥っていると言ってよいだろう。
 安倍晋三政権は、外交も内政も掲げた政策目標をほとんど達成しておらず、首相はそのことにまともに答えず、つぎつぎとスローガンを変えていくだけ。メディアはひたすら自粛を重ね、政策の失敗の検証も批判もせず、政権の“やっている感”を「演出」することに終始する。まるで開発独裁の国になってしまったようだ。このままでは、近い将来に滅びが待っているだろう。
 本書は、この「失われた30年」となった「平成」時代を振りかえり、その「衰退の本質」に迫ることを目指す。まず第一章で、(いまや政府統計の信頼度が落ちているとはいえ)できるだけデータを使って、経済衰退の実相を明らかにする。つぎに、第2章で先進諸国における経済政策の変遷をたどったうえで、第3章では、「失われた10年」の原因が全く誤ったグローバリズムにすり替えられ、周回遅れで「新自由主義」的政策を採用しては失敗を繰り返し、その度に財政金融政策でごまかす政策がとられてきた日本の経済政策の変遷をたどる。そして、第4章において、この衰退のメカニズムを作り出した誤った政策の集約点としてのアベノミクスが、経済破綻を導く危険性を指摘する。そして第5章で、新しい産業と社会を創出するために、どのような経済政策に転換すべきかを論じ、最小限必要なオルタナティブを提示する。
 本書を通じて明らかにしたいのは、何よりも戦後直後にもう一度戻る気持ちで、やり直す謙虚な気持ちをもたなければならないということである。そうしなければ、日本は半永久的に再生することはできず、「失われた50年、100年」になってしまうだろう。

(明日へ続きます……)

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