今全世界で注目を集めているアメリカ大統領予備選挙のアイオワ州の民主党の候補者選び。中間集計では、私が絶大的に応援するバーニー・サンダースさんは僅差の2位で25.2%、首位にはアイオワ州に全精力をかけて選挙戦を戦って来た、38歳で自身がホモセクシュアルであることを公表しているブティジェッジ前インディアナ州サウスベント市長が26.8%で立っています。東京新聞の記事によると「2000年以降、民主党でアイオワでの対決を落として党の指名を勝ち取った候補はいない。ブティジェッジ氏は初戦を重視。米紙ニューヨーク・タイムズによると、サンダース、ウォーレン両上院議員、バイデン氏と比較してもアイオワ滞在は六十二日間と最も多く、州内で流すCMにもトップのサンダース氏とほぼ同じ十一億円をつぎ込んだ。サンダース、ウォーレン両氏らが、トランプ氏の弾劾裁判でワシントンの上院にくぎ付けになっていた時に、現地で活動できたことも功を奏したとみられる」とされています。今回は初めてスマートフォンのアプリを使って、選挙結果の途中結果も発表しようとして、トラブり、まだ最終結果が発表されていませんが、トップのブティジェッジさんとサンダースさんの差はわずか1.6%。競馬なら直線半ばにして2頭の一騎打ちで、ブティジェッジさんの方が半馬身、いや首差でリードといった感じです。サンダースさん、差せ!差せ!差ってアイオワでの勝利を!!
さて、2月1日(土)の朝日新聞の夕刊の「惜別」の欄に、記者の石川智也さんの記事『ウルトラシリーズの脚本家 上原正三さん 「在日琉球人」の心 物語貫く』が載っていました。ここにその全文を転載させていただこうと思います。
「ウルトラマンの故郷『光の国』は、沖縄のことですね」
取材時にそう聞くと、目を輝かせて「ニライカナイ」の説明をしてくれた。沖縄で海のかなたの理想郷を指す言葉。「地上の争いを、平和の国から来た正義の使者が取り除いてくれる。素敵でしょ」
静かな語りと控えめな微笑の奥には、自任する「在日琉球人」としての太い芯があった。
原点は大学入学で那覇から上京した際の体験。車窓の景色にまず驚いた。「基地がない」。そして沖縄出身と明かしたとたん、大家に下宿を断られた。
円谷プロに入ったのは1965年、同郷の脚本家でウルトラマン原案者の金城哲夫に誘われた。戦争と基地問題を描く脚本家を目指していた上原さんは、最初はかなりためらった。
デビュー作は音に敏感な海底怪獣の話。息を殺し航行していた海上保安庁の巡視船が、客船を救うためにエンジン音を響かせ、注意を引きつける。住民を犠牲にした沖縄戦での日本軍の行為とは、反対に描いた。「怪獣ものでも自分のテーマを書ける」と手応えを得た。
金城と手がけた「ウルトラマン」「セブン」は大ヒット。だがその頃、基地のない島を願う県民を裏切る沖縄返還が決まり、2人は苦悩を深めた。当時を知る元TBSプロデューサーの橋本洋二さん(88)は「米国や本土の善意への信頼が崩れ、地球を無償で守るヒーローへの疑問も募ったのでは」と見る。
2人は69年に円谷プロをやめた。帰郷した金城は酒量が増え、失意のうちに世を去る。
橋本さんに止められ東京に残った上原さんは「帰ってきたウルトラマン」のメインライターに就く。前2作と違い、戦う理由に悩む主人公を設定。傑作「怪獣使いと少年」では宇宙人を迫害する群衆の狂気を描き、むしろ人類を悪役にした。関東大震災の朝鮮人虐殺が隠れた主題だった、と私に明かした。
それでも「僕の作品はテーマ性が出過ぎ。金城が作った、どこまでも伸びやかな初代ウルトラマンを、ついに超えられなかった」と盟友を懐かしんだ。「一緒に沖縄発の作品を作ろう」という金城の誘いを断ったことを、ずっと心の片隅で気にかけていたようだった。
ここ数年は、取材の度に「沖縄を舞台にしたヒーローものを作りたい」と語っていた。
きっと今ごろ光の国で金城と再会し、脚本の相談でもしているのだろう。」
素晴らしい記事だと思いました。
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
→FACEBOOK(https://www.facebook.com/profile.php?id=100005952271135)
さて、2月1日(土)の朝日新聞の夕刊の「惜別」の欄に、記者の石川智也さんの記事『ウルトラシリーズの脚本家 上原正三さん 「在日琉球人」の心 物語貫く』が載っていました。ここにその全文を転載させていただこうと思います。
「ウルトラマンの故郷『光の国』は、沖縄のことですね」
取材時にそう聞くと、目を輝かせて「ニライカナイ」の説明をしてくれた。沖縄で海のかなたの理想郷を指す言葉。「地上の争いを、平和の国から来た正義の使者が取り除いてくれる。素敵でしょ」
静かな語りと控えめな微笑の奥には、自任する「在日琉球人」としての太い芯があった。
原点は大学入学で那覇から上京した際の体験。車窓の景色にまず驚いた。「基地がない」。そして沖縄出身と明かしたとたん、大家に下宿を断られた。
円谷プロに入ったのは1965年、同郷の脚本家でウルトラマン原案者の金城哲夫に誘われた。戦争と基地問題を描く脚本家を目指していた上原さんは、最初はかなりためらった。
デビュー作は音に敏感な海底怪獣の話。息を殺し航行していた海上保安庁の巡視船が、客船を救うためにエンジン音を響かせ、注意を引きつける。住民を犠牲にした沖縄戦での日本軍の行為とは、反対に描いた。「怪獣ものでも自分のテーマを書ける」と手応えを得た。
金城と手がけた「ウルトラマン」「セブン」は大ヒット。だがその頃、基地のない島を願う県民を裏切る沖縄返還が決まり、2人は苦悩を深めた。当時を知る元TBSプロデューサーの橋本洋二さん(88)は「米国や本土の善意への信頼が崩れ、地球を無償で守るヒーローへの疑問も募ったのでは」と見る。
2人は69年に円谷プロをやめた。帰郷した金城は酒量が増え、失意のうちに世を去る。
橋本さんに止められ東京に残った上原さんは「帰ってきたウルトラマン」のメインライターに就く。前2作と違い、戦う理由に悩む主人公を設定。傑作「怪獣使いと少年」では宇宙人を迫害する群衆の狂気を描き、むしろ人類を悪役にした。関東大震災の朝鮮人虐殺が隠れた主題だった、と私に明かした。
それでも「僕の作品はテーマ性が出過ぎ。金城が作った、どこまでも伸びやかな初代ウルトラマンを、ついに超えられなかった」と盟友を懐かしんだ。「一緒に沖縄発の作品を作ろう」という金城の誘いを断ったことを、ずっと心の片隅で気にかけていたようだった。
ここ数年は、取材の度に「沖縄を舞台にしたヒーローものを作りたい」と語っていた。
きっと今ごろ光の国で金城と再会し、脚本の相談でもしているのだろう。」
素晴らしい記事だと思いました。
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