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アレクセイ・ゲルマン監督『フルスタリョフ、車を!』

2018-08-13 07:33:00 | ノンジャンル
 昨日WOWOWシネマで『海辺の生と死』が放映されました。特攻隊長だった島尾敏雄と、彼と恋に落ちた地元の娘・大平ミホを描いた映画だと思われ、私は迷うことなくすぐに録画の設定をしました。今年の9月にはクラブツーリズム主催の「奄美大島と加計呂麻島」3泊4日の旅に行く予定なので、こうした映画が放映されてしまうと、ツアーの定員20名があっという間に一杯になるのでは、と密かに危惧しています。

 さて、先日、国立映画アーカイブで「ロシア・ソビエト映画祭」の一環として上映された、アレクセイ・ゲルマン監督・共同脚本の1998年作品『フルスタリョフ、車を!』を観てきました。2時間22分の長編映画です。

チラシに掲載されている紹介を全文転載させていただくと、
「1953年冬、のちに『医師団陰謀事件』と呼ばれる事件に巻きこまれて逮捕されたクレンスキー将軍(ツリロ)は、なぜか釈放され、とある人物のもとへ送られる。反ユダヤキャンペーンが猛威を振るう、断末魔のスターリン独裁を背景としたかのような映像と音響の洪水が、つぶてのように見る者を襲い惑乱する。寡作の巨匠ゲルマンによる、1990年代世界映画最重要作品の一つ。」

 冒頭のシーン。
 冬の夜、管理人が鼻歌を歌いながら門を閉め、タッチパネルを操作すると、火花が上がります。鋭く響く指笛の音。管理人が帰路に着こうとすると、いつもはない真っ黒な自動車が停車していて、管理人が不審に思い、車を調べていると、またするどい指笛の音がし、3人の黒ずくめの男たちが管理人を襲い、「私は何も見ていないし、何も聞いていない」と訴えて抵抗する管理人をコートごとひきずっていきます。

 数シーンの後、クレンスキー将軍の家での様子が描かれますが、奇跡のようなワンシーンワンショット、そして演出で、コントラストの強い白黒画面が続きます。(なんとこのワンシーンワンカットにはペットの動物も出てきます!)

 クレンスキーはユダヤ人を匿った容疑で、シベリア送りになり、他の囚人とともに貨物列車の中に閉じ込められますが、そこで他の犯罪者によってレイプされます。クレンスキーは立派な体躯を持ち、それが集団レイプされる様は、まさに動物的迫力で我々に迫ってくる画像で、裸の肌から湯気が立ち、カメラはアップのままなので、何が行われているのか、時折見えるクレンスキーの顔と、登場人物たちのうなり声で、こちらは何が行われているのか推察するしかありません。

 列車が到着地に着くと、クレンスキーは急いで雪を食べ、喉の渇きを潤します。ズボンがずり下がったまま、「このユダヤ人の肛門野郎!」との罵声を浴びせられても、クレンスキーの動きは止まりません。

 そしてクレンスキーはその場で書類検査を受けると、無実であることが判明します。医師でもあるクレンスキー。モスクワではある医師によってスターリンの逝去が発表され、そのスターリンの死に付き添った医師と、クレンスキーの姿がダブって見えます。

 そしてラスト。シベリアからモスクワへと戻る列車の無蓋車に乗っているクレンスキー。スターリン主義者は列車から弾き飛ばされ、クレンスキーはグラスに酒を注ぎ、それを自分の禿げ頭に乗せて、喜びの歌を歌いながら、仲間とともにシベリアを後にします。カメラは列車が遠ざかっていくのを、俯瞰の縦の構図で映し出し、暗転して映画は終わります。ちなみにエンディングタイトルはありませんでした。

 私は冒頭のシーンを見た瞬間から、「これは傑作だ!」と確信し、映画が終わった瞬間に拍手しようと、心の準備をしながら途中から映画を観ていたのですが、実際に映画が終わった瞬間に私が拍手をすると、数人の方がそれに合わせて拍手をしてくださいました。そしてシアターから出て熱心にアンケート用紙に書き込んでいると、「何を言いたいのか分からない!」「実際にあったことと違うんじゃないの?」などと言う方が結構いらっしゃって、「そうか、ゲルマンでも分からない人がいるのか……」と改めて気が引き締まる思いをしました。今日ご紹介したゲルマンの映画はおそらく、国立映画アーカイブさんがモスフィルムから借りてきたのではないかと思われ(ということはつまり国立映画アーカイブでは持っていないフィルムではない)、国内で観ることができる機会は限られていると思うので、次回もしどこかで上映されることがありましたら、是非ご自分の目で見て、ゲルマンの素晴らしさ、あるいはゲルマンの難解さを体験していただきたいと思います。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤先生、それから当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さんと福長さんと私が首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。)連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。