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石坂敬一『我がロック革命 それはビートルズから始まった』その2

2018-08-28 05:31:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
・「(前略)各社にはそれぞれ看板となる女性アイドルがいたが、東芝EMIは手薄だったので、なんとかして薬師丸ひろ子と原田知世を獲らなければと思っていた。二人を育てた角川春樹さんを口説かない限りは彼女たちと一緒にやることは難しい。そう考えて、知識や技術ではない大勝負に出た。体育会系発想とでもいうのか、宣伝部・制作部の総勢20人に指令を出し、麹町にあった角川春樹さんの自宅周辺に僕も含めて早朝4時に集合し、全員で家の近所の掃除を始めた。会社からホウキとチリトリを持ってきて、家からもちゃんと見えるように、掃除をする場所も指定した。すると1時間後くらいに、角川春樹さんが起きて家から出てきた。『お前ら、偉い。これで飯でも食え』と現金50万円を渡された。この人の懐の大きさに感服した。そうやって信頼関係を築き上げたところで、『薬師丸ひろ子と原田知世の映画主題歌を東芝EMIでリリースしたい』と頼みこみ、結果的に二人とも東芝EMIからレコードを出すことができた。」

・「(前略)僕は99年から日本レコード協会の理事を務めていたので、2001年頃に経済産業省へ『1兆円クラブ』の入会申し込みに行ったことがあった。『1兆円クラブ』とは、その名の通り、経済界にある1兆円以上の売上のある業界が入会できるクラブ。ところが、それを口にした途端に(売上の)伸びが悪くなってしまった。成長を遂げていた音楽産業が2000年代前半から急降下していく。デジタル時代に入り、その対応が万全でなかったこと、さらには安い音楽が巷に溢れ、レベルが下がってしまったことは事実として否めない。良い歌をコピーなりカヴァーなりするならいいけど、レベルが低いオリジナルを作って四方八方にばらまくと、世の中にレベルの低い音楽が流行る。その様子を見て失望感を抱いた。音楽がハードウェアに合わせているかのように見えた。70年代初頭から40年も時間が経てば変化があるのは当然だが、音楽至上主義者の自分としては、音楽にハードウェアが合わせていくのが、あるべき姿だと思う。」

。「日本人アーティストの世界制覇を実現できなかったのは、今でも無念に思う。キョードー東京の永島達司さんと組み、じっくり腰を据えてやるべきだった。二人で協力すれば、きっと大きな成果をもたらすことができたはずだ。
 僕にとって永島達司さんは、特別大きな存在だった。僕より背が高く、183センチくらいあり、外国人に比べても見劣りせず、威厳と気品をもった業界随一の国際人だった。永島さんに教えられたことはいろいろあるが、いちばん大事なのは『ビジネスマンには品格が必要だ』ということだった。我々のしごとは 個人対個人だから、最終的には信頼関係になり、そこで品格が問われる。『上品な英語を使うように』とよく言われた。あとは『仕事は一人でやる』ということ。永島さんはなんでも一人でやる人だった。」

 上記以外でも、本で触れられている忌野清志郎さんのアルバム『カヴァーズ』や『君が代』も聴いてみたいと思いました。読みやすい本で2日かけて一気に読んでしまいました。60年代から90年代にかけて音楽(とくに洋楽)を聴いてきた人は、特に楽しめる本だと思老います。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。

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