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エドワード・ヤン監督『クーリンチェ少年殺人事件』その1

2018-08-29 05:03:00 | ノンジャンル
 WOWOWシネマで、エドワード・ヤン監督・製作・共同脚本の1991年作品『クーリンチェ少年殺人事件』を見ました。4時間弱の映画です。
 “1959年夏”の字幕。「息子は国語が得意なのに50点しか取れていない。他の教科の点も悪く採点の間違いがあるはずだ。汪(ワン)さんは共通の友人だ。理解してくれるはず」。
 ラジオ「(人名が列挙され)以上が国立政治大学文学部教育学科の合格者、計25名です」。
 “1949年頃、中国から数百万人が国民党政府とともに台湾へ渡り、誰もが安定を願った。しかし子供たちはその成長過程で大人の不安を感じ取り、少年たちは徒党を組んだ。脆さを隠し、自分を誇示するかのように”の字幕。
 “1960年9月”の字幕。スタジオ。「予算がないので白黒映画にするしかない」と監督。「これでクランクアップだ」。その様子を天井から見ていた少年が冊子を落とす。「クソがきが!」(中略)
 「名前は? 夜間部の何組だ? 黙っててもダメだぞ。(服にぬいつけてある学生番号を見て)86089だな」。ガラスが割れる。「誰だ! 逃げるな!」。どさくさに紛れて懐中電灯を盗み、逃げだす少年。(中略)
 教室。「起立。礼。着席」。プリントが配られる。
 夜のスタジオ。懐中電灯で照らされ、「まぶしいよ」。「“小豆氷”が来た」「照らせ、早く」「何を照らすの?」「(パンツは)きっと赤だ。賭けよう」「いくら?」「10元」「1元だね」「よく言えるな。賭け金をけちる奴なんて、負けても払わない」「その通りだ」「小四(シャオスー)、事件だ。滑頭(ホアトウ)が小学校で因縁をつけられた。懐中電灯を貸せよ」「いいよ。だが俺はいかない」「誘ってないぞ」「放っとけ」(中略)。
 武装した集団。逃げ出した生徒を追いかけ、捕らえる。「なぜジュエンツン派がここへ? ここは俺たちの縄張りだぞ。(レンガを手に持ち、仲間に)殴ってみろ」。恐れる仲間たち。「よく見てろ」。レンガで顔を殴るリーダー。殴られた生徒は立ち上がらせると、口からひどく出血している。「ボスに伝えろ。今後は“小公園”に遊びに来るなと」。
 帰宅する小四。母「遅かったわね」小四「同級生と話をしてた」。
 小四が目を覚ますと、もう既に皆出かけていて、自分も土曜日の週会の当番だったことを思い出す。
 教師「毎週土曜の午後は医務室で診察を受け、ボランティアとして働くように。それから学生番号86089の生徒は今すぐ補導室へ。昨日の昼間、野球部の学生がバットで先生を殴った。今日から全てのバッドを登記し、登記されてないバッドは没収する」。
 補導室。「間違いなく彼だ」「僕は取ってない」「学校もスタジオも開けっ放し。ご近所づきあいみたいなものだ」。
 教室。小四に隣の生徒「答案を見せろ」。
 「無視しやがって。小四がおとなしいからって、ナメるなよ。
 「僕のバッド没収されちゃった」「他のバットで返す」「買ったばかりだったのに。70元はするよ」。
 「ボールでこんなに?」「母さん、ツケで買うの止めたい。お店のおじさん、すごく意地悪。自分の娘が受験で失敗したせいで?」」
 食卓につく家族7人。母「露店の果物屋の音楽うるさい。日本と8年戦って、日本家屋に日本の音楽。日曜は汪さんに招待された」「行っても下男ばかり?」。(中略)
 押し入れの中の寝どこにはいる小四。「滑軽はメーデーを避けられない」と写真の裏に書く。兄「70元もっていけよ」。
 教室。「国際社会を考える頃、彼の行動は限られている。国際的な共産陣営の陰謀に対してアメリカ市民も不安に違いない。若過ぎる大統領なのだ」。
 パーティ。「汪さん、アメリカの視察のたびに悪いね」「アメリカはすごいぞ。写真がある(中略)」。
「1949年、中国に戻れるとは思わなかった。ならば早いうちに長い目で計画しよう。僕らは身内だ。小四の昼間部への編入する件だ。俺の人脈だけでいける。夜間部は環境が悪い。感化されるのが心配だ」。(中略)
 汪宅からの帰りのバス。「夫人の前で夏先生のことを語るな。夏先生がよくない」「一人で上海に戻るんだもの。小四の昼間部への編入は問題なんだ」「教師証書の件は? 私のことだと急がないのね」。何台もの戦車とすれ違うバス。
 「君が美人だから僕らは常連なんだ」「売り物に手をつけないで!」どさくさにまぎれ、スカートをめくり、「赤だったぞ」と叫ぶ生徒。
 バスケのカップル。小明(シャオミン)「小虎(シャオフー)ずるい」。
 注射し、整列させ、投薬する女医師。脚の傷の手当を受けた少女を教室まで付き添うように言われる小四。
 並んで歩く2人。「歩けるから教室へ先に」と小明。「前回授業をサボった。どこか行く?」。
 壁を乗り越え、スタジオの天井へ。しかし映画監督に見つかる。逃げる小明に「そこの女学生。今何年生?」「中2です」「この子、いいだろう。オーディションを受けなさい」。(中略)(明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。