WOWOWオンデマンドで、黒沢清監督、黒沢清・高橋洋脚本の’2017年作品『予兆・散歩する侵略者 劇場版』を見ました。ドラマ版とほとんど同じ内容で、新たに付け加えられたショットは確認できませんでした。
さて、石坂敬一さんの20’17年作品『我がロック革命 それはビートルズから始まった』を読みました。「本書は、著者が2015年9月27日から2016年8月9日までの計13回、約20時間にわたって半生を語り下ろしたものをまとめたものです。」とのことです。以下、いくつか本文から引用させていただくと、
・「ビートルズの功績を集約するならば、感覚だけの存在だったロックに主体的な側面を与え、生命力を失い疲弊していたポップ・ミュージックに活力を与えた、ということになる。ロックという若者の風俗文化の一メディアをフィルターとして、社会の風俗や日常的な事項にまで影響力を広げていった。エルヴィスもシナトラも達することができなかった境地━━つまり、音楽を武器にしつつも音楽の世界から脱却し、若者の精神文化にまで侵入して得た偶像の地位、これこそ前人未到のビートルズの偉業であると考えた。エルヴィスは、“観に行く、聴きに行く”で終わっていたが、ビートルズは“観に行く、聴きに行く、真似もしにいく、最後は考える”というスタイルを残した。ビートルズは記録上も記憶上も最も鮮烈な印象を残したバンドだった。」
・「1972年にビートルズの担当ディレクターに就いてすぐに、ビートルズ初のベスト・アルバム『赤盤』と『青盤』(原題『THE BEATLES 1962-1966』『THE BEATLES 1967-1970』)が出ることになった。リリースは73年だが、イギリスの『メロディ・メイカー』や『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』では前年から出るという情報が伝えられていて、ついにリリースされるのかと思い、期待は高まった。ビートルズの歴史が一目でわかるLP2枚組の完璧な選曲で、大衆はこういう曲を好んでいるということを世に見せるいい機会だった。今聴いても『赤盤』と『青盤』は、数あるベスト・アルバムの中でも抜群の出来だと思う。『青盤』にジョージ・ハリスンの曲が多く収録されているのは、ジョージが選曲したという噂があったが、実際に選曲したのはイギリスのEMI。ジョージの選曲なら、逆に自分の曲は少なくするのではないか。(後略)」
・「「(前略)でもビートルズが凄いのは、ロックンロールに不良性がなくなり、研究開発型に変わっていったところだ。それは、その後のイギリスのバンドにも受け継がれていった。その重要なナンバーが『アイ・フィール・ファイン』だと思った。カントリー・アンド・ウェスタンのビートを使ったロックンロールで、さらに音が複雑でプログレの綾がある。また、この曲で聴けるフィードバック奏法も、先鞭をつけたのはビートルズということになる。『アイ・フィール・ファイン』こそが、すべてのロックの原点だと思っていた。日本ではビートルズ=『イエスタデイ』ということになるけど、『アイ・フィール・ファイン』も正当な評価を受けるべきだと思っていた。
僕のアイデアを汲み取り、アメリカのキャピトル・レコードが『ロックン・ロール・ミュージック』というベスト・アルバムを制作した。日本の企画をビートルズ側がのむという状況を作り出した。それがアメリカやイギリスに逆反射して、世界的なビートルズのルネッサンスを起こしている原因のひとつになった。イギリス人は利害関係をベースにして考えるから『ビートルズは地球の財産だ』という意識はなく、ビートルズが見えなくなっていた。僕はこの時、日本のファンはビートルズを育て、偉大にすることに大きく貢献したと思った。そういうムーヴメントの一角を担えたことに僕は非常に誇りを持ったし、時代の巡り合わせに幸せを感じた。思い通りの選曲になったこのアルバムのブックレットに僕が書いたキャッチ・コピーは、『この28曲にビートルズのロックンロール魂は埋め込まれているのだ!』。このブックレットもまた『赤盤』『青盤』同様、気合を入れて編集した。(後略)」
・「アーティストとの関係性を作るうえにおいて、とにかくいろいろな話をすることが大切で、その際には媚を売らず、居丈高にならず、共通言語を持つことが重要だ。そのためには、相手が何に詳しいかを見抜き、それぞれのアーティストに即した『カルテ』を持っていなければならない。矢沢永吉さんとは音楽の話が多かったが、忌野清志郎さんとは車、松任谷由実さんとは宇宙の話、長渕剛さんとは社会全般のいろいろな話題で盛り上がった。こちらが無知では話にならないから、音楽だけでなく、いろいろなことに精通しておくことが音楽ディレクターには求められる。」(明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。
さて、石坂敬一さんの20’17年作品『我がロック革命 それはビートルズから始まった』を読みました。「本書は、著者が2015年9月27日から2016年8月9日までの計13回、約20時間にわたって半生を語り下ろしたものをまとめたものです。」とのことです。以下、いくつか本文から引用させていただくと、
・「ビートルズの功績を集約するならば、感覚だけの存在だったロックに主体的な側面を与え、生命力を失い疲弊していたポップ・ミュージックに活力を与えた、ということになる。ロックという若者の風俗文化の一メディアをフィルターとして、社会の風俗や日常的な事項にまで影響力を広げていった。エルヴィスもシナトラも達することができなかった境地━━つまり、音楽を武器にしつつも音楽の世界から脱却し、若者の精神文化にまで侵入して得た偶像の地位、これこそ前人未到のビートルズの偉業であると考えた。エルヴィスは、“観に行く、聴きに行く”で終わっていたが、ビートルズは“観に行く、聴きに行く、真似もしにいく、最後は考える”というスタイルを残した。ビートルズは記録上も記憶上も最も鮮烈な印象を残したバンドだった。」
・「1972年にビートルズの担当ディレクターに就いてすぐに、ビートルズ初のベスト・アルバム『赤盤』と『青盤』(原題『THE BEATLES 1962-1966』『THE BEATLES 1967-1970』)が出ることになった。リリースは73年だが、イギリスの『メロディ・メイカー』や『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』では前年から出るという情報が伝えられていて、ついにリリースされるのかと思い、期待は高まった。ビートルズの歴史が一目でわかるLP2枚組の完璧な選曲で、大衆はこういう曲を好んでいるということを世に見せるいい機会だった。今聴いても『赤盤』と『青盤』は、数あるベスト・アルバムの中でも抜群の出来だと思う。『青盤』にジョージ・ハリスンの曲が多く収録されているのは、ジョージが選曲したという噂があったが、実際に選曲したのはイギリスのEMI。ジョージの選曲なら、逆に自分の曲は少なくするのではないか。(後略)」
・「「(前略)でもビートルズが凄いのは、ロックンロールに不良性がなくなり、研究開発型に変わっていったところだ。それは、その後のイギリスのバンドにも受け継がれていった。その重要なナンバーが『アイ・フィール・ファイン』だと思った。カントリー・アンド・ウェスタンのビートを使ったロックンロールで、さらに音が複雑でプログレの綾がある。また、この曲で聴けるフィードバック奏法も、先鞭をつけたのはビートルズということになる。『アイ・フィール・ファイン』こそが、すべてのロックの原点だと思っていた。日本ではビートルズ=『イエスタデイ』ということになるけど、『アイ・フィール・ファイン』も正当な評価を受けるべきだと思っていた。
僕のアイデアを汲み取り、アメリカのキャピトル・レコードが『ロックン・ロール・ミュージック』というベスト・アルバムを制作した。日本の企画をビートルズ側がのむという状況を作り出した。それがアメリカやイギリスに逆反射して、世界的なビートルズのルネッサンスを起こしている原因のひとつになった。イギリス人は利害関係をベースにして考えるから『ビートルズは地球の財産だ』という意識はなく、ビートルズが見えなくなっていた。僕はこの時、日本のファンはビートルズを育て、偉大にすることに大きく貢献したと思った。そういうムーヴメントの一角を担えたことに僕は非常に誇りを持ったし、時代の巡り合わせに幸せを感じた。思い通りの選曲になったこのアルバムのブックレットに僕が書いたキャッチ・コピーは、『この28曲にビートルズのロックンロール魂は埋め込まれているのだ!』。このブックレットもまた『赤盤』『青盤』同様、気合を入れて編集した。(後略)」
・「アーティストとの関係性を作るうえにおいて、とにかくいろいろな話をすることが大切で、その際には媚を売らず、居丈高にならず、共通言語を持つことが重要だ。そのためには、相手が何に詳しいかを見抜き、それぞれのアーティストに即した『カルテ』を持っていなければならない。矢沢永吉さんとは音楽の話が多かったが、忌野清志郎さんとは車、松任谷由実さんとは宇宙の話、長渕剛さんとは社会全般のいろいろな話題で盛り上がった。こちらが無知では話にならないから、音楽だけでなく、いろいろなことに精通しておくことが音楽ディレクターには求められる。」(明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます