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チェ・ドンフン監督『暗殺』その4

2018-08-06 07:14:00 | ノンジャンル
 このところ忙しくて、こちらの更新をするのを忘れていました。しかも「『暗殺』その3」をうっかりして消去してしまったようです。話が途切れて始まる形となりますが、何卒ご容赦ください。

では、前回の話の続きです。
(中略)
 オギュンのもとへ満子がやって来る。「あなたは誰? なぜ私たちの命を?」「双子の姉がいるって話は本当だったのね」「なぜパパを狙ったの?」「売国奴だから」「皆やってることよ。パパはいい人」。オギュンは満子にナイフを捨てさせる。「本当にそう思う?」「あなたと会えて本当にうれしい。(中略)独立運動家は好きだけど、あなたは止めて。下のタクシーで私の家まで一緒に行きましょう。パパが助けてくれる」「私は満州へ。友だちも母の墓もある」。写真を見せて満子「これがママ?」「ええ」「左側は乳母だけど、ママは右側よ」「1人で来たの?」(中略)「私は川口の嫁になる。姉さんに任せて」。憲兵隊がやって来て、カンはナイフを持っていた満子を射殺。「社長は怖い人だ。奥様だけでなくお嬢さんまで」「あんな女、私は知らん」「こうしましょう。この女は再び社長の命を狙い、逮捕途中で射殺された」。オギュン、窓から逃げる。「タクシー!」。
 「着きました。お嬢様」。車から降りるオギュン。(中略)
 女中「お部屋へどうぞ」オギュン「お願いします」「急に敬語なんか使って、どうされたんですか?」。
 部屋に飾られたウェディング・ドレスを見て泣き出すオギュン。
  ハワイ「招待状をもらう気で?」ウォンボン「明日、川口を殺す」「熱血独立家ですか?タダで日本の将校を殺したら、臨時政府が寄って来る。『これも投げて来い』と爆弾を渡されたら? 屁をこきすぎるとウンコが洩れちゃいます。」「だから爺やが好きだ。豚の玉を切る理由を知ってるか?」「そんなの知りませんよ。でも若旦那は死んじゃいけない。亡き奥様に頼まれました。」「母は関係ない。爺やは上海でヨムを追え。俺もすぐに行く」。
 ニュース「続報です。今日午前何者かに襲撃された川口司令官は軽傷。ご子息の結婚式は数日後、予定通りに行われます。憲兵隊は死亡した2人について引き続き調査中」。
  マダムの元にサンオク。「昨日誰かに撃たれた。何かが間違っている」「車を用意するわ。まだ船には間に合う。作戦は忘れなさい。その体じゃ無理」「作戦は気力だ。俺は武官学校出身だ。ドクサムが残した爆弾と俺の拳銃を。マダムは店を閉めて身を隠せ」。
  オギュン「お嬢様とそっくりな女。名前はアン・オギュン。百貨店の客」。様子をうかがう執事。彼が部屋に入ってきて、乱闘となる。「なぜ満子でなくお前がここに?」。警察に電話する執事。オギュンは電話のコードを切ってから執事の首を絞める。「川口様のお見えです」の声。
  川口「ああ、田中少尉」田中「おはようございます」「執事は?」「朝から見当たらないのです」。
  ベッドの下に執事の死体。鏡を見てオギュン「私は満子だ」。
  オギュン「誰? お客様?」川口「こちらは上海から来た田中少尉だ。これが僕の婚約者」オギュン「初めまして。この方はどのような御用件で?」「明日の警護のお願いをした」オギュン「上海にはおいしいお茶を飲める店があるそうね。ミラボ、ご存知? 朝鮮語は?」川口「朝鮮語が話せないから俺はよくなじられる」。オギュンとウォンボン、朝鮮語で話す。「なぜ上海に行かずにここに?」「奴を殺しに来た。君こそなぜ? 本物の娘は?」「死んだ。カンが私と間違えて射殺した。もう帰って。私の仕事よ」「どうする気なんだ?」「私は新婦だから式場に入れる」。川口司令官とカンを射殺し、ウェディングドレスを血で真っ赤に染めて倒れるオギュンの姿がスローモーションで示される。           「怖くないのか?」「怖いわ」川口「日本語で話そう。これは招待状だ」「田中さんは来れないそうよ」「でも満子さんが貴重な時間を快く過ごせるように、何とかして時間は作ってきます」。
  田中、去る。
  「朝鮮人であるヨム・ソクチンは上海と京城で大日本皇軍に献身した。これを高く評価し、特務隊捜査官に任ずる。昭和8年11月8日、朝鮮駐屯憲兵隊長・細川弘光」。
  店の奥の部屋でマダムに電話。「結婚式は?」「明日12時に三越百貨店の2階で。規制も厳しくなるし、検問も行なわれるはずよ」。突然店内に入って来る憲兵たち。「ここが有名な臨時政府京城支部ですか。支部は3つあると聞きました。残りの2つはどこです?」。マダムを殴る憲兵。「憲兵隊にご同行を」「コートを着させてください」。奥の電話に出て、「成功と無事を祈るわ。これが最後の連絡よ」。電話を切り、拳銃で自殺するマダム。(また明日へ続きます……)

 →「Nature Life」(http://www.muse.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 1886年から1995年まで東京の塾「早友」の教室長をし、1995年からは独立して「清新塾」を開いていた伊藤さん、次のアドレスにメールをください。
(m-goto@ceres.dti.ne.jp)。福長さんと黒山さんと首を長くして待ってます。また現在の伊藤先生に関する情報をお持ちの方も、是非気軽にお教えください。よろしくお願いいたします。