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瀬々敬久監督『ストレイヤーズ・クロニクル』

2018-08-26 04:28:00 | ノンジャンル
 WOWOWシネマで、瀬々敬久監督・共同脚本の2015年作品『ストレイヤーズ・クロニクル』を見ました。山根貞男さんが同監督の『最低。』を推薦していたからです。
 ワーナーブラザーズと日テレの提供。“幼年期の終わり”の字幕。雨。傘を差す喪服の大人たち。黒い車列。黒いコートを着た少年、少女たちが歩いて来る。1人の少年が車のボンネットに手を当てると、ボンネットが震えだし、車の窓が割れ、建物の窓も割れる。リーダーの少年「ヒロト、止めるんだ」。ヒロト、止める。
 去る一台の黒い車。
 ナレーション「1990年代の始め、ある実験が行われた。人は自分の意思において進化することが可能かどうか。その実験には2つの方法が選択された。1つは親の世代からストレスをかけ、異常なホルモンを分泌させて、突然変異的に進化を促す方法。そこからは脳のリミットを外し、人間の潜在能力を極限にまで伸ばした僕らが生まれた。もう1つは遺伝子操作によって能力を持つ子供を生み出す方法。ここから生まれた者が、違う生物の特殊能力を持たされた彼ら。実験から生まれた僕たちは大人になろうとしていた」。
 タイトル。
 ドアを蹴破ってほの暗いボーリング場に侵入する3人の青年。ライターをいじりながら横たわる娘。リーダーの青年「リョウスケ、入り口を監視しろ」「うん」。娘に「三上ユウリさんだよね。おーい」「ムダだよ。実際トリップ中でしょ? ねえ、見て。これ、めっちゃ生えてるよ、大麻、大麻」「そっちは関係ない。俺たちには」娘「ワー!」「あ~あ、キメられてんなあ」「これ飲んで」リョウスケ「ニニ、もう戻ってきたみたい」「早いな。思っていたより」。
 ボーリングで遊ぶ3人。5人の男が入っている。3人に「どちらさん?」ニニ「アカリさんですよね」アカリ「はい」「僕らを見逃してもらえれば、三上ユウリさんの誘拐はなかったことにします。彼女を返してください」「ふへっ」「誘拐の罪は重い。刑務所から出る頃はおっさんですよ」「バカだね。うちらもうおっさんですよ。で、何? お前ら誰だろう?(ユウリの頭に手を乗せ)三上に雇われた?」(中略)別のチンピラ「だから誰だって訊いてんだよ!」「おちついてください」「は?」。ニニの目のアップ。2人のチンピラのこれからの動きが見える。「てめえ!」。2人がニニに殴りかかるが、うまく避けて、2人の頭に手を乗せ、投げ飛ばす。ワタル「ニニは誰の相手にもならないよ。未来が見えてるから」。ワタルは肩と手をナイフで刺されるが、平気でナイフから体を抜くと、2人を倒す。アカリ「スカウトしたい。おい、肩痛くねえの? お前らよ、ヤクやってんなら買うか?」「話がしたい」。ユウリ、起きだして逃げ出す。ニニ「ユウリ! 三上さん!」。
 屋上。リョウスケ「やめなよ、死ぬとか意味ないし」ニニ「三上さん、こっちへ」アカリ「ちょっと待ってよ、こっちはおっちゃんなんだからさ」。ニニに向けて銃撃するが外す。リョウスケ「そんなに震えてちゃ当たりませんよ」「震えてるかよ」。ユウリ「キャー!」。ニニ、ユウリが飛び降り自殺する未来を見て、彼女の進路に駆け寄り、彼女の足を払って、彼女を倒す。ニニ、アカリから銃を奪い、馬乗りになって額に銃口を突きつける。(中略)リョウスケ、アカリを殴り倒し、ニニに「やりすぎだよ。この人もらしてるよ」と言う。「ああ」弟のワタルに「大丈夫か?」「痛い。さーて運び出そうか。じゃじゃ馬さんを」。歩き出すが、すぐにひざまずく。ニニ「ワタル! ワタル!」。ワタルは意識がなくなっている。……。

 これで冒頭の10分ほどです。この後、石橋蓮司さんが有力な政治家として登場するなど、話がいろいろと展開し、最後は特殊能力を持った青年たちが、戦いに勝利するという話のようでしたが、2時間を超える映画のようなので、この先を見ることを断念しました。改めて『最低。』を見てみたいと思いました。

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。

黒沢清+蓮實重彦『東京から現代アメリカ映画談義 イーストウッド、スピルバーグ、タランティーノ』その3

2018-08-25 05:46:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 「とはいえ、ロバート・オルドリッチやリチャード・フライシャーやドン・シーゲル、それにヨーロッパを活躍の舞台としていたとはいえ、ジョセフ・ロージーもまだまだ元気でしたし(中略)、サム・ペキンパーが『ワイルド・バンチ』(1966)を撮り、セルジオ・レオーネが『ウエスタン』(1968)を撮るのもその翌年のことです。ハリウッドに凱旋したクリント・イーストウッドがドン・シーゲルの『白い肌の異常な夜』(1971)に主演し、処女長編『恐怖のメロディ』(1971)を撮ってわれわれを驚かせたのは、それからほんの数年後のことでした。『遅れてきた』批評家としてスタートした33歳の私にとっての心の支えは、かつて、若い時分に大学新聞の匿名時評欄で、アメリカ映画は避けようという大勢にさからい、ごく短いものながら、ロバート・ロッセンの『ハスラー』(1961)を擁護する文章を書くことができたという記憶ばかりでした。
 黒沢さんと初めてお会いした1970年代の中頃から終わりにかけて、私は、ひたすらホークスの名前を口にしながら━━ときには、唐突に小津安二郎の名前をまぎれこませながら━━、(中略)ホークス━━あるいは小津━━が理解できなければ、映画など理解できるはずもないといった言辞を弄していたのかも知れません。しかし実際には、明日もまた、これまで通り、面白いアメリカ映画が見られるはずだという無邪気な確信を装いながら、ホークスに代償さるべき固有名詞を、オルドリッチやフライシャーやドン・シーゲルの中に必死に探し求めていたのです。(中略)
 クリント・イーストウッド、スティーブン・スピルバーグ、クェンティン・タランティーノという現代のアメリカ映画を代表する3人の監督について黒沢さんと論じあうという、わたくしにとっては例外的な書物の冒頭にいきなりこんなことを書いてしまったのは、70歳を超えてしまった『遅れてきた』批評家の言葉をなおも活気づけてくれるのが、明日もまた、これまで通り、面白いアメリカ映画が見られるはずだという楽天的な思いこみにほかならないからです。あるいは、この年齢で、ようやくにして、アメリカ映画を語ることだけが、真の意味で批評の言葉を鍛えてくれるのだという確信にたどりついたのだといえるのかも知れません。(中略)
 昨年末、世界のいろいろな場所で、21世紀の最初の10年の映画が回顧されました。(中略)
 それにしても心を動かされたのは、黒沢さんがスティーブン・スピルバーグの『宇宙戦争』(2005)を孤独にベスト1に挙げておられたことです。(中略)
 ロラン・バルトは、60歳にもならないうちに、しかるべき年齢に達しているのだから、もう他人の視線など気にすることなく、思いのままに振る舞ってよいはずだと自分に言い聞かせていました。(中略)」

 冒頭の蓮實先生の文章以外でも、いくつか引用させていただくと、

・(『ガントレット』で)あんなにバスに弾が撃ち込まれているのに、タイヤだけにはなぜか当たらないんですよね(笑)。」

・「(イーストウッドの監督作品は)全部すごいとしか言いようがないのですが、さしあたって意味もなく前期・後期などとわけてみると、前期だとやはり『ペイルライダー』が頂点でしょうね。後期だと、僕(黒沢さん)も『ミスティック・リバー』で、自分が出ていないということも含めて、心底驚愕したというのはありました。」

・「イーストウッドは古典を見ているから、違ってくるんです。古典を見ているから違ってくるのではなく、単に違ってしまうのがスコセッシとかベルトラン・タベルニエだと思いますけど(笑)。」

・「(イーストウッドの)『チェンジリング』でも、アンジェリーナ・ジョリーがけっこう感情的な芝居をしているところはあるんですけど、ストーリー的な山場では絶対にさせていない。」。

・「ええ、私(蓮實先生)もニューヨークの小津百年シンポジウムで『憤る女性たち』
というスピーチをしたり、「『とんでもない』原節子」という文章を書いたりして、小津は感情的な演技をさせているということを強調しています。しかし、それをけっして作品の調子と一致させない。」

・「やはりこの人(スピルバーグ)は一貫して同じことをやっている。わからない言葉を喋る人たちの間に自分が置かれたらどうなるか、ということをかなり本気でやっている。」

・「(前略)蓮實さんは壇上でふとこうおっしゃいました。『映画で、見つめ合った瞳を撮ることはできない』と。(中略)
 (それ)にもかかわらず、古今東西ほとんどの映画のほとんどの部分を占めているのが、実は『見つめ合う瞳』であるというこの信じ難い事実。」

 一気に読ませてくれる本でした。

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黒沢清+蓮實重彦『東京から現代アメリカ映画談義 イーストウッド、スピルバーグ、タランティーノ』その2

2018-08-24 05:51:00 | ノンジャンル
 昨日、TOHOシネマズ海老名において、J・A・バヨナ監督、スティーヴン・スピルバーグ共同製作総指揮の新作『ジュラシック・ワールド 炎の王国』MX4D版というのを見てきました。立体映画の部分はそれなりに楽しめ、座席はしょっちゅう揺れたり、下からどんどん叩かれたり、風が時たま吹いたりと、MX4Dは期待外れでしたが、映画はスリルに次ぐスリルで、結構楽しめました。またジェラルディン・チャップリンが出ていたり、『サイコ』のラストシーンへのオマージュもありました。

 さて、昨日からの続きです。
「アメリカ映画には、その錯覚に見あった強靭さがそなわっていました。実際、ホークスが死のうと、ヒッチコックが死のうと、フォードが死のうと、あるいはラオール・ウォルシュが死のうと、キング・ヴィダーが死のうと、フリッツ・ラングが死のうと、ウィリアム・A・ウェルマンが死のうと、ヘンリー・キングが死のうと、アメリカ映画は死んだりはしなかった。びくともしなかった、といってもよいかも知れません。ハリウッドの『巨人』と呼ばれるこうした映画作家たちの死によって深刻な打撃をこうむったのは、むしろフランス映画の方だったような気がしてなりません。ハワード・ホークスが理解できなければ、映画など理解できるはずもないといったのは、つい先日なくなったエリック・ロメールでしたが、その前提そのものが崩壊してしまったかに見えるからです。おそらく、ロメールは、現代アメリカの映画作家の中に、ホークスに代わる固有名詞をついに見いだせぬまま、あるいは、あえてそうしようともせずに他界したのでしょう。また、かりにフィクションとしてではあれ、『軽蔑』(1963)で引退後のフリッツ・ラングにあえて映画を撮らせてみたジャン=リュック・ゴダールにも、それに似た思いがあったはずです。それから三十数年後に完成したゴダールの『映画史』(1988━1998)も、その深刻な打撃のまことに真摯な傷跡をとどめていた作品だと思います。
 しかし、6歳という年齢の違いが、ゴダール的な真摯さから私を遠ざけていました。あるいは、16歳という年齢の違いが、ロメール的な真摯さから私を遠ざけていたといってもよいかも知れません。理由はいくつか考えられます。まず、批評家として出発した彼らと異なり、私にとってのアメリカ映画は、かなりの時期まで無責任な消費の対象でしかなかったからです。また、彼らのように、アメリカ映画を擁護することが、批評家としての、あるいは映画作家としての自己確立に不可欠な身振りだと考えたこともありませんでした。さらに、ヨーロッパ人である彼らと異なり、私には歴史認識というものが徹底して欠けていました。(中略)森の中から幻のように姿を見せる『サンライズ』(1927)の路面電車を初めてパリのシネマテークで目にしたとき、そろそろ30歳になろうとしていた私は、まぎれもなく、『遅れてきた』批評家だったのです。
 『メイド・イン・USA』(1966)を撮った翌年の1967年に、ゴダールは、アメリカ映画はもはや存在していないと宣言しています。(中略)これは、当時のアメリカ映画が、ムルナウのアメリカ映画など1本も見たことがない連中の撮った映画でしかないという歴史的な判断にほかならず、その時点で、きわめて真摯な感慨だったといえます。(中略)ところが、私の見るかぎり、アメリカ映画が、ヨーロッパ人の『真摯』な擁護にふさわしくあろうとしたことなど一度もない。アメリカ映画は、歴史意識を欠いたまま、ひたすら『有効』であることのみを目ざしていたからです。『有効』であるとは、スクリーンと向かいあう観客にとっての現在という何ともとらえがたい時間を、どう経済的に組織するかという実践的な戦略にほかなりません。(中略)
 明日もまた、これまで通り、面白いアメリカ映画が見られるだろうという思いを支えているのは、斬新さに背を向けたこの種の楽天的な再生産体制だったはずです。(中略)
 ゴダールが『アメリカ映画はもはや存在していない』と宣言した1967年といえば、アンソニー・マンが亡くなった年にあたっています。ロバート・ロッセンは『リリス』(1964)を遺作として前年に他界しているし、ニコラス・レイはもう映画を撮らなくなっており、1960年以来沈黙をまもっていたバッド・ベティカーが『今は死ぬときだ』(1969)を撮るのはその2年後のことにすぎません。その時期にまともな映画を撮っていたのは『銃撃』(1966)と『旋風の中に馬を進めろ』(1966)のモンテ・ヘルマンぐらいで、マイク・ニコルズやノーマン・ジェイソンやフランクリン・J・シャフナーといった連中にアメリカ映画をまかせておいていいのかといった危惧感をいだいたのも確かです。(また明日へ続きます……)

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黒沢清+蓮實重彦『東京から現代アメリカ映画談義 イーストウッド、スピルバーグ、タランティーノ』その1

2018-08-23 05:45:00 | ノンジャンル
 NHKのBSプレミアムで、久しぶりにドン・シーゲル監督・製作の1973年作品『突破口!』を見ました。何度見ても面白い映画なのですが、今回は冒頭のタイトルバックで、美しい夜明け、星条旗を掲げる老人、美しい牧場、逆光の中、馬に鞍を乗せる少年、スプリンクラーに走り寄る水着姿の少女、芝を刈る若い女性らが映る段階で既に映画の虜となり、マイケル・C・バトラーによるシャープな画面に魅せられました。またクレーンを使ったカットが多くあり、ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』への言及(丸いベッドで、ウォルター・マッソーの相手の女性が「まだ南南西では試してないわよ」と言う)もあることに気付きました。

 さて、2010年に刊行された、「黒沢清+蓮實重彦『東京から現代アメリカ映画談義 イーストウッド、スピルバーグ、タランティーノ』」を読みました。
 巻頭の「黒沢清監督に 蓮實重彦」の部分を引用させていただくと、
「太陽は、明日もまた、いつものように東の空から昇るだろう。ほとんどそう信じるのと変わらぬ故のない楽天性をもって、明日もまた、これまで通り、面白いアメリカ映画が見られるはずだと思いこんでいました。映画を見始めた1940年代の終わりから50年代の始めにかけて、ジョン・フォードやアルフレッド・ヒッチコックやハワード・ホークスの新作が、ほぼ毎年、ときには2本も見られたものですから、しかも、こうした映画作家たちがいつか他界するなどとは想像できないほどこちらの年齢も幼かったので、ついそんな気持ちになったのでしょうか。
 もちろん、あらゆるアメリカ映画が魅力的な作品だったわけではありません。しかし、中学から高校、そして大学にかけて、『B級映画』などという概念を知るより遥か以前のことですが、何の期待もなくふらりと入った映画館で、なにがしかの手応えがあり、思っていた以上に面白く、それなりに楽しめる拾いものはといえば、どれもこれもアメリカ映画でした。『ウィンチェスター銃73』(1950)、『拾った女』(1953)、『大砂塵』(1954)、『キッスで殺せ』(1955)、『恐怖の土曜日』(1955)、『七人の無頼漢』(1956)、『殺し屋ネルソン』(1957)などの作品と出会えたのもそのようにしてであり、アンソニー・マン、サミュエル・フラー、ニコラス・レイ、ロバート・オルドリッチ、リチャード・フライシャー、バッド・ベティカー、ドナルド・シーゲルといった名前を憶えたのはそのあとのことにすぎません。
 ことさら活劇やその達人ばかりを意図して選んだわけではありません。にもかかわらず、こうした題名や映画作家の名前がごく自然に思い出されるのは、やはり映画は活劇だという信念があったのかも知れません。中学・高校時代の私は、毎週末、ときには放課後にも、ごく当然のようにハリウッド製の活劇を見にでかけていました。たまたま書類の山からこぼれおちた古い資料によると、1951年というから15歳の年の3月21日に、ウィリアム・A・ウェルマン監督の『総天然色』作品『西部の王者』(1944)を渋谷松竹で見ているのですが、それがその年のその日付までに見た31本目の映画だと記録されているところをみると、高校進学前に、すでに1月に平均10本は見ていたことになります。そのほとんどがアメリカ映画なのは、戦時中にハリウッドで撮られた作品が戦後の日本で一挙に公開されたからで、それが毎週の番組をことのほか華やいだものにしていました。
 ところがなぜかはうまく説明できないのですが、当時の私の頭の中で、アメリカ映画とアメリカ合衆国とが素直に結びつくことはまずありませんでした。とはいえ、それは、誰もが『ヤンキー・ゴー・ホーム』と唱えながら口々に反米的な思想を表明していたとき、アメリカ映画に愛着を覚えてしまう自分を無理にも正当化するための韜晦術ではありません。だから、ゴダールのように、『合衆国政府を憎悪しながらアメリカ映画を擁護する』といった意識的な振る舞いを演じていたわけではなかった。(中略)
 もちろん、その時期に、日本映画はいうまでもなく、フランス映画を初め、ヨーロッパ映画もかなり見てはいましたが、そこには、明日もまた、これまで通りという故のない楽天性を許容する何かが欠けていました。(中略)
 映画など、いつなくなっても一向に不思議ではないといまでは思っていますが、というより、『映画崩壊前夜』に記したように、映画はその生誕の瞬間から崩壊前夜にあるというのがわたくしの思いなのですが、それでも、アメリカ映画がそっくり消滅することは、どこか、地球の運行に支障をきたしかねない超自然的な現象のように思えてなりません。(中略)(明日へ続きます……)

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エドワード・ヤン監督『恐怖分子』その2

2018-08-22 04:57:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 鞄に荷物をつめている郁芬に対し、立中は手伝ってやり、やがて二人は抱擁する。
 窓から見下ろす立中。タクシーに乗り、立ち去る郁芬。
 足が折れていた娘はギブスを自分で外し、母の眠っている間に部屋を脱出する。
 街頭でナンパされた娘は、ディスコに行った後、男とホテルに入るが、男がシャワー中に泥棒を働こうとするところを発見され、男の腹をナイフで刺し、逃げる。
 雨の夜。停まっていたバスの中で雨をやり過ごす娘。
 彼女が鍵で入った部屋は暗室になっていた。
 そこに住むカメラマンの青年は、「警察の手入れがあった時、ケガをした君を見て、救急車を呼んだ」と彼女に言う。壁一面に大きく引き伸ばされた自分の写真を見て「このバカな写真は?」という娘に、青年は「これは真剣な作品だ」と言い返す。キスする二人。青年は「君の写真を持って入隊する。毎日手紙を書く。一緒にいよう。待っててくれ」と言う。(中略)
 目覚めるカメラマンの青年。娘は他の男のバイクの背に乗り、去って行く。
 窓の黒い紙を剥がしていく青年。
 プールで泳ぐ少女。(中略)
 沈の会社で働く郁芬に電話。「編集部から文学賞を受賞したという電話が来ました」沈「ということはまた転職だね」。
 テレビ画面で語る郁芬「小説家に向いていないと思ってました。この小説はごく平凡な一組の夫婦に怪電話が引き起こす事件です。妻は電話の主を声しか知るすべがないというミステリーで、新しい試みです。私は今まで自分の感性を頼りに書いてきました」。
 青年「この人会ったことある」隣で寝る女性「今年の文学賞を取った人よ。『婚姻実録』。」「どんな小説?」「ある夫婦の話なんだけど、夫婦の仲はうまくいってなかった。奥さんにある女性から電話があって苦しむことになるの。旦那も事情が呑み込めないまま、悲惨な結末に。奥さんを殺して旦那も自殺。ある審査員が生活感はあるけど屈折していてゾッとすると言ってたわ」。
 郁芬「意外だったわ」立中「やり直そう。家に戻ってきてくれ。分からないんだ。二人の仕事は順調なのに」「言いたいことは全部言ったわ。まだ分からないの? これ以上は時間のムダ。傷つけたくないの。分かって」。郁芬は去る。
 郁芬「ただの小説よ。何をビクビクしてるの?」沈「怖いんだ。僕一人だけが知ってるんだ」「小説は作り事よ」「そんなことは分かってるさ」。(中略)
 立中、帰宅すると電話が鳴っている。最初は出ないでいると、一旦切れ、また鳴り始める。そこで電話に出ると「彼女はいない。誰だ? 分かった。行き先を」。
 立中、飲み屋に行き、主人に写真を見せる。「この二人を知ってるか?」「やつは大順(ターシュン)。こっちは奴の女でハーフ。こんな写真、どうした?」「さっきある男から電話で、是非会いたいと。女房が離れていった理由が小説に書いてあるって。彼らの居場所を知らないのか?」。
 路上でナンパされる娘。
 ホテルの部屋でシャワーを浴びてきた男に「俺の妹に何をしようってんだ?」と叫ぶ男。(中略)
 立中、沈の会社を訪ねる。
 郁芬「電話のせいもあったかも。でも重要なことじゃない。小説は小説。現実と作り物の区別もつかないの?」立中「黙れ! どうしてなんだ! 家に戻るんだ!」。間に入る沈。
 立中「遅くなった」彼の同僚「今日、発表があった。僕が課長になったよ」。
 部長の秘書「部長はいません。帰ったらお知らせしますから」立中「ここで待ちます」。
 部長の秘書「立中が帰ろうとしません」。困り顔の部長。
 あきらめて帰る立中が上を見上げると、部屋の中に部長がいる。
 沈と郁芬が帰宅する途中を車で追う立中。
 立中の知人の警官「連絡もなしにいつ来た?」立中「話があって。今日、新課長の人事辞令がやっと発表された。選ばれたよ。次期の課長に」「酒でも飲もう」。
 「そんなうれしそうな顔は初めて見た」立中「男には仕事が第一だ。他はどうでもいい。妻が去った。去るなら去れ」「飲め、飲め、もう言うな」。
 朝。ソファで眠っていた立中、目覚める。目からこぼれる涙。
 洗面所で自分の顔を見詰める立中。
 走る少女。歩く立中。車に乗り込もうとした部長、射殺される。
 目覚めて、立中とともに拳銃がなくなっているのに気づく立中の知人の警官。
 沈宅を訪れる立中。相手が立中と知って沈はドアを閉めようとするが、ドア越しに腹を撃たれる。そして倒れた後、背中からもう一発撃たれる。立中は郁芬にも照準を合わせるが、威嚇射撃だけにとどめる。
 警官「被害者の沈の容態は落ち着いた。立中の夫人も病院へ。病院を張り込め。奴は必ず来る」。(中略)
 立中の知人の警官は自宅の浴室で立中が自殺しているのを発見する。
 沈と並んでベッドに寝ていた郁芬はつわりからの吐き気を覚えて、映画は終わる。

 この映画も、バストショットより遠いショットだけから構成されていました。

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