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高野秀行『怪魚ウモッカ格闘記 インドへの道』

2008-07-26 15:42:32 | ノンジャンル
 高野秀行さんが'06~'07年に書いた「怪魚ウモッカ格闘記 インドへの道」を読みました。
 この本の題名、実はウソをついていて怪魚ウモッカと著者は格闘などしていません。ただ「インドへの道」というのは正しいのです。その訳は‥‥。
 著者は未知の生物を探すのが好きで、自分のブログに「探してほしい生物を募集している」と書いたところ、あるサイトでインドに仮名ウモッカという2mを超える長さで、背中に棘がびっしりと生え、足のようなものが4本生えてる魚を見た人がいる、と話題になってることを知ります。実際に見たという人に会い、その人がスケッチした魚の姿を専門家に見てもらっているうちに著者はこの魚を探すことにのめり込んでいき、最終的に大学時代にコンゴへ謎の恐竜を探しにいった仲間のうちの一人と一緒にインドへ魚を探しに向かいます。
 しかし、仲間の方は無事にインドに入国できたものの、著者は以前にビザ無しで国境を越えて強制送還になったことがあることがカルカッタ空港でばれ、何日も空港内に泊まらされた結果、今回もまた日本に強制送還されてしまいます。著者は多くの人にインドに向かうことを言っていた手前、強制送還されたとは言い出せず、自宅に潜んで仲間に魚の捜索をしてもらい、自分も早く再入国しようと試みますが、うまくゆきません。そして最後にはインド入国をあきらめ、ミャンマーとバングラデシュの海岸で仲間と落ち合い、魚を探そうとしますが、仲間がインドを出国しようとしていた時に野犬に咬まれてしまい、狂犬病の疑いもあるので、ワクチンを打つため足留めされ、結局ウモッカが出現すると思われる季節が過ぎてしまい、著者のウモッカ探しの旅は夢に終わるという話です。
 したがって、「怪魚ウモッカ格闘記」というのは、正確には「怪魚ウモッカを探すために著者がいろんなものと格闘する記録」という意味であって、著者がウモッカと格闘した記録ではありません。実際にどういうものを相手に格闘したのかは、本を読んで知っていただきたいと思います。
 ということで、この本が実はつまらない本か、というと、これが実に面白い訳で、高野さんの他の本と同じように、今どき何の意味もないようなことに夢中になれることの素晴らしさを感じさせてくれる貴重な本なのでありました。ご本人は大変苦労されたようですが、第三者から見れば、それも大変面白く感じられ、楽しい本を探しておられる方にはオススメの本です。文庫本が集英社から出ていますので、是非手に取ってほしいと思います。

キン・フー監督『大酔侠』

2008-07-25 18:33:43 | ノンジャンル
 WOWOWで、山田宏一氏が日本で最初に発見した巨匠、キン・フー監督の'66年作品「大酔侠」を見ました。
 罪人を運ぶ行列を盗賊たちが襲い、行列を皆殺しにし、長官を人質に取ります。拷問のあげく政府に捕らわれている盗賊の首領は処刑されると聞き、盗賊の若頭「玉面虎」は長官と首領を交換するよう、政府に向け長官に手紙を書かせます。酒場に首領を捕えた長官の妹の女性剣士「金のツバメ」ことイエンが来ると、雷鳴が轟き、盗賊たちはチェンに酒樽や銭を投げて実力を試し襲いかかりますが、イエンは返り討ちにし、5日以内に長官を返せば罪を軽くしてやると言い、盗賊も同じく5日以内に首領を返せば長官を返してやると言います。その夜、酒場の2階に泊まったイエンの部屋を訪れた「酔いどれ猫」は剣2つを盗み出し、イエンと追いかけっこをした後、橋に剣を置いて去ります。翌日イエンは「猫」に名を聞きますが、「猫」は相手にせず、歌を歌うから気に入ったら酒代をくれと言い、子供たちと歌い、もらった金を子供らにあげます。イエンは「猫」に兄の居所を尋ねると、「猫」は歌で居所が寺だと教えます。イエンは寺に乗り込みますが、玉面虎の毒針を受け、森に逃げて失神します。気がつくと、滝のそばにある「猫」の家にいて、「猫」が看病してくれていました。襲って来た盗賊を退治した「猫」は、死体を寺に届け、イエンが殺したと言い、金をもらって飯も喰わせてもらいますが、そこへ大師が帰ってきて、死体を見て「猫」の仕業だと言い、「猫」の正体は有名な剣士の「酔侠」だと玉面虎に教えます。酔侠は大師が自分の兄弟子のチャオコンであり、孤児だった自分を助けてくれた恩義があり、実力も自分より上だとして逃げだしますが、リャオコンの待ち伏せに会います。リャオコンは青竹派の後継者の証を渡せと言い、酔侠はイエンと長官を助けた後に決闘しようと言って、2人は別れます。人質交換でうまく長官だけを取り戻した酔侠とイエンは、盗賊たちに襲われますが、逆に盗賊たちを退治します。リャオコンも追い詰めますが酔侠は殺さず、逃がすことによって恩は返したと告げます。最後の戦いが酔侠の家で行なわれ、ついに酔侠はリャオコンを倒すのでした。
 前半でのイエンの実力を盗賊たちが試すシーンは、まさに「座頭市」シリーズでの曲芸のような技の連続です。またイエンの殺陣は舞踏のようで、見てて美しいものでした。乱闘シーンではワイヤーアクションは使われていませんでしたが、イエンと「猫」が追いかけっこをする場面ではトランポリンを使った曲芸のようなジャンプが多用されていました。「猫」が子供たちと歌うシーンはまさにミュージカル。時々いきなり現われる引きのショットが効果的に使われていました。
 この映画のイエンは人気が出たらしく、続編が別の監督で撮られています。ちなみに酔侠役の人は大泉洋にそっくりでした。
 文句無しに楽しめるアクション映画だと思います。オススメです。

ドン・シーゲル監督『殺人捜査線』

2008-07-24 16:06:24 | ノンジャンル
 ドン・シーゲル監督の'58年作品「殺人捜査線」(原題は「The Lineup(次々と起こる事件)」)をWOWOWで見ました。
 客船からサンフランシスコに降りてタクシーにカバンを投げ込み逃げ出す荷物係。タクシーは猛スピードで発進し、トラックにぶつかり、制止する警官をはねますが、その警官の今際の際の銃弾によってドライバーは死にます。カバンの中からはヘロインが見つかり、タクシーの中からはプロが番号を消した銃が見つかります。荷物係は翌日毒殺された水死体で発見され、ドライバーとともに前科のある者と判明します。ダンサー(イーライ・ウォラック)は飛行機で相棒とともにサンフランシスコに到着すると、運転手が死んだので、麻薬の運び屋をやってほしいと使い走りの男が依頼してきて、港へ依頼主に会いに行きます。依頼主は客船から降りて来た夫婦と母娘らが知らずに持って来たヘロインを回収した上、荷物係から直接ヘロインをもらうように指示を受けます。サウナに入っている荷物係を殺してヘロインを手に入れ、夫婦の家でも執事を殺してヘロインを回収しますが、母娘の家に乗り込むと、船上でヘロインを見つけた娘が人形の白粉としてヘロインを使ってしまっていました。証人として母娘を同行させ、ヘロインの届け先である遊園地の指定の場所に行ったダンサーは回収係の男を待ってヘロインの量が減った言い訳をしますが、車椅子に乗ったその男こそヘロイン取引の総元締でした。その男はダンサーが自分の顔を見たので、もうすぐ死ぬだろうと言い、ダンサーによって下のスケートリンクに向かって突き落とされ、殺されます。ダンサーらは車で逃げますが、パトカーに追いかけられ、行き止まりにはまってしまったところで、ダンサーは運転手を銃で殴りつけ、相棒を射殺し、娘を人質にして逃げようとしますが、警官に撃たれて、高速道路から墜落して死にます。「サンフランシスコ警察の協力に感謝する」という字幕とともに、映画は終わります。
 無駄なショットがなく、ほとんどがロングからバストショットであり、数少ないアップは登場人物の感情を強調しています。この無駄のなさこそ、B級映画の優秀さを示しています。傍役として知られるイーライ・ウォラックが堂々と主役を張ってるあたりも、B級の面目躍如といったところでしょう。白黒でスピーディーにストーリーを語るドン・シーゲル、次の作品も見るのが楽しみです。

土本典昭監督『水俣 患者さんとその世界』

2008-07-22 21:28:15 | ノンジャンル
 先日79才で亡くなった土本典昭監督の代表作である'71年作品「水俣 患者さんとその世界」をNHK・BS2で見ました。水俣病に関するドキュメンタリーです。
 「昭和45年夏 水俣病発生地帯の南端 鹿児島県出水市」という字幕に続き、漁をする小舟上の夫婦が、地元では魚が売れなくなるので水俣病が発生していることを否定する声が強く、3~4人が狂い死にしたと話します。昭和7年のチッソ工場の稼動から昭和28年の水俣病の発見を経て現在までの過程が年表で示され、バックに祈りの声が響き、タイトルが出ます。地図が示され、漁船からの風景をバックに魚がフラフラしていることの発見からチッソの工場の破壊までのことを語る昭和34年当時の漁民代表者、そして暴力的な漁民と水俣市民の対立、暴動を受けて昭和34年にチッソが一人当たり数万の見舞金で済ませようとしたこと、国や企業への陳情の様子などが語られます。妻と3才の娘を亡くした夫の話、異常な動きをする猫、皮膚は剥げ、肉は腐り、苦しみ抜いて死んだ夫のことを語る妻、脳が変形して優しい娘を亡くした母の話、水俣病で初めて東京に行き、厚生省の役人にやりこめられて情けなくて泣いた患者の話、昭和45年の熊本での患者の集会、東京まで歩いて浄財と署名をもらった会長の演説、水俣市全景、チッソの組合が会社を糾弾する声、株主総会で「お前も水銀を飲め」と言おうという作戦会議、楽しんで裁判闘争をしようという声、胎児性水俣病の15才の少年、妻を亡くした、タコ漁をする夫の話、「苦海基金」が100万円集まり、患者を持つ29世帯に貸すことを宣言する会の面々、水俣市長に10万貸してくれと陳情する人々、一株運動に反対する裁判弁護団、祖父を失った、漁をする妻の話、ボラの餌を作る様子、夫と祖父と娘を失った妻、18才の娘の患者を抱える母、15才の胎児性患者の女性、子どもとともに嫁ぎ先から追い出された女性患者、患者さん同志の会話、デモの様子、胎児性の18才の男性がオルガンを弾き、電器店店主からもらったステレオを聞く様子、耳がつぶれた胎児性の少年、リハビリセンターの胎児性の15才の子供たちの半数がやっと一ケタの計算をしている様子、胎児性で最も症状の重い少年、寝たきりの胎児性の20才の女性、リハビリで苦しむ胎児性の18才の女性、常に裸足の11才の胎児性の少年、やっと話す11才の胎児性の少年、目も見えず耳も聞こえない胎児性の14才の少女を長女なので宝だと言う両親、熊本地裁に駆け付ける患者とその家族、死者を弔う歌を歌う患者たち、水俣病患者の記録フィルム、発症した時の様子を話す患者、患者の街頭演説、認定されていない患者を探す患者、大阪でのチッソの株主総会に巡礼の姿で乗り込む患者とその家族、そして最後に水俣湾で漁をする人たちのバックに祈りの声が響いて、映画は終わります。
 監督が5ヶ月の間水俣にとどまって撮ったこの映画での一番の驚きは、胎児性の患者を当たり前のように受け入れている両親の姿です。あまりにも両親の笑顔が自然なので、兄弟たちが患者のマネを面白がってするまで、こちらも親の様子を当たり前のように感じてしまいます。しかし彼らが外に出ると、「怨」と書かれたノボリを立てて、猛烈な勢いでチッソに対決していくのです。私たちはもう水俣病は済んだことと考えがちですが、この映画から37年がたった今も胎児性水俣病に苦しんでいる人がいるに違いありません。そんなことを思い出させてくれた映画でした。

長嶺超輝『裁判官の爆笑お言葉集』

2008-07-21 15:27:58 | ノンジャンル
 昨晩にNHK教育で放送されたマキノ雅弘監督生誕100年を記念する番組を見て、映画評論家の山根貞男氏が顔つきもしゃべり方も山本晋也監督にそっくりになってきたことに笑い、マキノ監督の長女佐代子さんがとても若く30代に見えることに驚いたりしました。

 さて、確か阿曽山大噴火さんの「被告人、前へ」で紹介されていた、長嶺超輝さんの「裁判官の爆笑お言葉集」を読みました。
 北尾トロさんや阿曽山大噴火さんのような東京地裁を傍聴して本を書いてきた人によると、裁判は大半がつまらないものということなので、この本もあまり期待しないで読み始めましたが、案の定面白くない発言が多く収録されていました。しかも最後に参考文献が山のように紹介されていましたので、ネタになる発言があまりなく、無理矢理集めた様子が垣間見えたような気がしました。
 本の形式は、発言の紹介とどういう裁判のどういう場で発言されたのかが1ページ、感想が1ページという簡素なものです。
 そうした中でも面白かったものを書きますと、まず、オウムの松本智津夫被告人に対しての「しっかり起きてなさい。また机のところで頭打つぞ。」というタメ口。そしてこの阿部裁判長は219回の全公判で1度も同じネクタイを着用していなかった、という話。これ、誰がチェックしていたんでしょう?  裁判長の知り合いで熱烈なファンが初公判からずっと調べていたのでしょうか?  私は本人がどこかで発表したのに違いないと思うのですが‥‥。
 他には、定説で有名になった教祖が著書の中で「食事はエビ・ソバ・トマトだけ」と書いているのに、勾留中は出された弁当や味噌汁をおいしそうに食べていたということ、「刑務所に入りたいのなら、放火のような重大な犯罪でなくて、窃盗とか他にも‥‥。」という裁判長の犯罪を勧めているような発言、民事訴訟で使われる、いちいち証拠を出して証明する必要がないほど広く知られた、という意味の「顕著な事実」として、「寿司」と「うなぎの蒲焼き」が異なる食品であることが裁判で述べられたこと、「暴走族は、暴力団の少年部だ。犬のうんこですら肥料になるのに、君たちは何の役にも立たない産業廃棄物以下じゃないか。」という裁判長の罵倒、「飲酒運転は、昨今、非常にやかましく取り上げられており、厳しく責任を問われる。時節柄というか、そう簡単に済まされない。」という裁判長の「時節柄」発言、「今、ちょうど桜がよく咲いています。これから先、どうなるかわかりませんが、せめて今日一晩ぐらいは平穏な気持ちで、桜を楽まれたらいかがでしょうか。」と検察側の控訴が控えているが地裁では無罪になった被告人に対する裁判官の過剰な心遣い、「今年のゴールデンウィークは、家族と平穏な気持ちで過ごしてください。」と、暴走族の暴力に反撃して何と傷害の罪に問われた被告人に対するこれも過剰な心遣い、「この時期に、あなたを見ていて思い出した小説があります。チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』を知っていますか。」という、嫌われ者の金貸しが、見た夢をきっかけに貧しい人にお金を与えるようになったという小説を、老人を騙して高金利の金貸しをしていた被告人に裁判官が言った一言、「電車の中では、女性と離れて立つのがマナーです。」という訳の分からぬ発言、「今回は子どもの足を焼いたが、これからはわが身を焼く思いで、自分の子どもにとって何が最善か、よく考えるようにしなさい。」という、子どもの足の裏をライターで炙った(焼いたのではない!)親に対するシャレてる場合ではない発言、刑事裁判での有罪率が約99.92%(2005年)という事実、アメリカの裁判で、退役軍人記念公園の施設を壊した少年らに対し、社会奉仕活動と映画「プライベート・ライアン」の鑑賞を命じる判決が言い渡されたこと、などです。
 裁判の効率化を考えた時、著者はこうした裁判官の発言は歓迎されないのかもしれない、と述べていますが、他の裁判の傍聴に関する本と同じように、自分で実際に傍聴することを勧めています。今まで読んできた傍聴に関する本と比較すると物足りなさは感じますが、暇つぶしにはなるのではないでしょうか?