朝日新聞で紹介されていた、清水潔さんの’13年作品『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』を読みました。
日本テレビの社会部記者であった私は、杉本敏也社会部長から『ACTION 日本を動かすプロジェクト』という番組を1年かけてやらないかと誘われる。数日後、私は以前ワイドショーのレポーターをしていた杉本純子を呼び出し、協力を呼びかけ、未解決事件をリストアップし、隣接する群馬県足利市と栃木県太田市で5件の幼女誘拐事件(うち4人は殺害)があることに気づく。その5件は、幼女を狙った犯罪、3件の誘拐現場はパチンコ店、3件の遺体発見現場は河川敷のアシの中、事件のほとんどは週末などの休日に発生、どの現場でも、泣く子供の姿などは目撃されていない、という共通項を持っていた。私たちはこれを「北関東連続幼女誘拐殺人事件」と名付ける。しかし、これらが同一犯の犯行であるという私が立てた仮説は、致命的な欠陥を抱えていた。既に4番目の事件の「犯人」が逮捕され、「解決済み」だったのだ。それは通称「足利事件」で、逮捕されたのは菅谷得利和さん、犯人とされた理由は「自供」と「DNA型鑑定」だった。
しかし調べていくと、科警研によるDNA型鑑定が極めてずさんなものであることが分かってきた。自供も捏造された部分が多いことが明らかになる。
私は菅谷さんの冤罪を証明することが、まず先決であると考えるようになる。再現実験での矛盾、証拠の捏造、新たな2つの目撃証言の発見(菅谷さんは自転車の荷台に幼女を乗せたと証言していたが、新たな目撃証言では、男は幼女と一緒に歩いていて、アニメの「ルパン3世」に似た男だった)が明らかになり、3番目の犯行に至っては警察も当初は犯人が歩いていたとして情報収集をしていたことも分かってくる。
番組は2008年1月からのスタートと決まる。「『連続幼女誘拐殺人事件』の真相追及」と題し、ゴールデンタイムに差し掛かる時間帯でこのキャンペーン報道を開始することになった。放映後の反応は様々だった。そして後追いするマスコミは皆無だった。そして放送開始の翌月、突然、「足利事件」の再審請求が棄却された。私たちは「再審棄却 それでも残るナゾ」をオンエアする。
調べてみると、アメリカの一部の州では、受刑者が望めばDNA型鑑定や再鑑定を行わなければならず、その結果、型の数値が一つでも違えば無罪となり釈放されていることが分かった。私はそこを主眼にニュース番組『バンキシャ!』内で「アメリカDNA再鑑定」、夕方の『ニュース特集』「足利事件杜撰な捜査」……と報じ続けた。日本テレビの報道が孤立しているのは相変わらずだ。なぜ男を知る人が現れないのか。防犯ビデオ映像を扱い、男が店に入ってからの動きを分析してCGも作り、7月27日、『バンキシャ!』で日本中に送出した。が、ここで行き詰る。別の突破口の号砲が鳴り響いたのはキャンペーン放送開始から9ヶ月後だった。東京高検がDNA型再鑑定を許可したのである。10月16日、『NEWS ZERO』「足利事件DNA再鑑定へ」。それは1分ほどの短いニュースだったが、18年凍りついていた「足利事件」が動き出した瞬間を伝えたものだった。2009年1月、ついにDNA型再鑑定が始まった。警察での証拠の保存状態はひどいもので、鑑定不能の心配もあった。その頃ようやく各メディアが「足利事件」に注目し始めた。そして4月、社会部記者の野中祐美から「DNA不一致」の情報を得、各メディアにわずかに先んじて、そのことを報じることができた。5月8日になって裁判所と弁護士経由でもその情報が流されると、これまで静観してきた他メディアも怒涛のごとく動き出した。しかし科警研は自分たちが行った鑑定が間違っていたとは認めなかった。警察は今頃になって被害者のDNA型鑑定を密かに始めていた。そして6月4日、菅谷さんは突然釈放されることになる。私たちのワゴン車はどうしたことか刑務所に入ることを許され、菅谷さんを乗せて出発した。記者会見をはさんでずっと菅谷さんと行動を共にした私たちは、菅谷さんに『NEWS ZERO』に生出演してもらった。
栃木県警本部長は菅谷さんに謝罪したが、事件の再捜査が始める気配はなかった。一方、私は「ルパン3世」を既に特定していた。犯人の共通項から聞き込みを続けた結果、その存在を知り、生活を監視し、本人と話もし、目撃者から「似ている」との証言も得ていた。事件現場をヘリで撮影した時も、私は「ルパン3世」の家を意識的に撮っていた。(明日へ続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
日本テレビの社会部記者であった私は、杉本敏也社会部長から『ACTION 日本を動かすプロジェクト』という番組を1年かけてやらないかと誘われる。数日後、私は以前ワイドショーのレポーターをしていた杉本純子を呼び出し、協力を呼びかけ、未解決事件をリストアップし、隣接する群馬県足利市と栃木県太田市で5件の幼女誘拐事件(うち4人は殺害)があることに気づく。その5件は、幼女を狙った犯罪、3件の誘拐現場はパチンコ店、3件の遺体発見現場は河川敷のアシの中、事件のほとんどは週末などの休日に発生、どの現場でも、泣く子供の姿などは目撃されていない、という共通項を持っていた。私たちはこれを「北関東連続幼女誘拐殺人事件」と名付ける。しかし、これらが同一犯の犯行であるという私が立てた仮説は、致命的な欠陥を抱えていた。既に4番目の事件の「犯人」が逮捕され、「解決済み」だったのだ。それは通称「足利事件」で、逮捕されたのは菅谷得利和さん、犯人とされた理由は「自供」と「DNA型鑑定」だった。
しかし調べていくと、科警研によるDNA型鑑定が極めてずさんなものであることが分かってきた。自供も捏造された部分が多いことが明らかになる。
私は菅谷さんの冤罪を証明することが、まず先決であると考えるようになる。再現実験での矛盾、証拠の捏造、新たな2つの目撃証言の発見(菅谷さんは自転車の荷台に幼女を乗せたと証言していたが、新たな目撃証言では、男は幼女と一緒に歩いていて、アニメの「ルパン3世」に似た男だった)が明らかになり、3番目の犯行に至っては警察も当初は犯人が歩いていたとして情報収集をしていたことも分かってくる。
番組は2008年1月からのスタートと決まる。「『連続幼女誘拐殺人事件』の真相追及」と題し、ゴールデンタイムに差し掛かる時間帯でこのキャンペーン報道を開始することになった。放映後の反応は様々だった。そして後追いするマスコミは皆無だった。そして放送開始の翌月、突然、「足利事件」の再審請求が棄却された。私たちは「再審棄却 それでも残るナゾ」をオンエアする。
調べてみると、アメリカの一部の州では、受刑者が望めばDNA型鑑定や再鑑定を行わなければならず、その結果、型の数値が一つでも違えば無罪となり釈放されていることが分かった。私はそこを主眼にニュース番組『バンキシャ!』内で「アメリカDNA再鑑定」、夕方の『ニュース特集』「足利事件杜撰な捜査」……と報じ続けた。日本テレビの報道が孤立しているのは相変わらずだ。なぜ男を知る人が現れないのか。防犯ビデオ映像を扱い、男が店に入ってからの動きを分析してCGも作り、7月27日、『バンキシャ!』で日本中に送出した。が、ここで行き詰る。別の突破口の号砲が鳴り響いたのはキャンペーン放送開始から9ヶ月後だった。東京高検がDNA型再鑑定を許可したのである。10月16日、『NEWS ZERO』「足利事件DNA再鑑定へ」。それは1分ほどの短いニュースだったが、18年凍りついていた「足利事件」が動き出した瞬間を伝えたものだった。2009年1月、ついにDNA型再鑑定が始まった。警察での証拠の保存状態はひどいもので、鑑定不能の心配もあった。その頃ようやく各メディアが「足利事件」に注目し始めた。そして4月、社会部記者の野中祐美から「DNA不一致」の情報を得、各メディアにわずかに先んじて、そのことを報じることができた。5月8日になって裁判所と弁護士経由でもその情報が流されると、これまで静観してきた他メディアも怒涛のごとく動き出した。しかし科警研は自分たちが行った鑑定が間違っていたとは認めなかった。警察は今頃になって被害者のDNA型鑑定を密かに始めていた。そして6月4日、菅谷さんは突然釈放されることになる。私たちのワゴン車はどうしたことか刑務所に入ることを許され、菅谷さんを乗せて出発した。記者会見をはさんでずっと菅谷さんと行動を共にした私たちは、菅谷さんに『NEWS ZERO』に生出演してもらった。
栃木県警本部長は菅谷さんに謝罪したが、事件の再捜査が始める気配はなかった。一方、私は「ルパン3世」を既に特定していた。犯人の共通項から聞き込みを続けた結果、その存在を知り、生活を監視し、本人と話もし、目撃者から「似ている」との証言も得ていた。事件現場をヘリで撮影した時も、私は「ルパン3世」の家を意識的に撮っていた。(明日へ続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)