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内田樹・小田嶋隆・平川克美・町山智浩『9条どうでしょう』前編

2010-11-13 06:09:00 | ノンジャンル
 内田樹さんらによる'06年作品『9条どうでしょう』を読みました。日本国憲法の第9条の改憲論議の盛り上がりとそれに対する護憲派の動きを受けて、4人の方たちがそれぞれの主張を書いた本です。
 まず、まえがきで内田さんが「既成の護憲派とも改憲派とも違う『第三の立場』を探り当て、そこからの眺望を語」り、「護憲・改憲の二種類の『原理主義』のいずれにも回収されないような憲法論を書く」ことが本書の目的であること、そしてそのためには、「ラディカルな知性を好まない」日本のメディアとの対立を辞さず、「『国民全員を敵に回す』可能性」もあえて引き受ける、つまり「メディアからしばらく干されても構わない」人たちに書いてもらったという決意(?)表明がなされます。そしてこうした文章を書くのに必要なものは、「政治史や外交史についての博識でもなく、『政治的に正しいこと』を述べ続ける綱領的な一貫性でもなく、世界平和への誠実な祈念でも、憂国の至情でもな」く、「硬直的なスキームの鉄格子の向こうに抜けられるような流動的な言葉」なのだと内田さんは主張します。
 そして先ず内田さんの文章。主な内容は以下の通りです。すなわち、
1、改憲派が「武装国家」か「非武装中立国家」かの二者択一しかないと主張するのは、ものごとが単純でないと気持ちが悪いという「子ども」の論理であること、
2、「現実が複雑なときには、単純な政策よりも複雑な政策のほうが現実への適応力が高い」というごく当たり前の事実の指摘、
3、二者択一の結果選ばれた政策は外れた時のリスクが高く、日本が生き延びるための国家戦略として、はなはだ不都合であるということ、
4、そしてそうしたことを内田さんに教えてくれたのは戦後のアメリカによる対日戦略であり、彼らは財閥解体・婦人参政権といった一連の民主化政策によって権力と財貨と情報を集中的に占有してきた支配階級を解体してくれ、それはたいへん「よいこと」とされてきましたが、戦略的な見方をすれば、意思決定に大変な手間ひまがかかる非能率的な統治システムを日本に作ることに成功したとも考えられること、
5、「平和憲法」を制定した後、大日本帝国に変わってアメリカの主敵となったソ連中国社会主義国との覇権闘争に備えて、アメリカは「後方支援部隊」として日本軍を目的限定的に再建するという合理的選択を取ったことが戦後のアメリカの対日戦略だったのだということ、
6、こうしたアメリカによる日本の従属国化を日本はそのまま心情的に受け入れることができず、改憲派と護憲派に人格解離することによって精神的に苦しまなくて済む道を日本は選んだのだということ、
7、こうした日本の自己欺瞞にはアメリカ占領軍も深くコミットしていて、それは具体的には、占領軍による略奪やレイプなどアメリカ人の犯罪は一切報道してはならないという指示がGHQから出され、また占領軍を構成していたのが、日本軍と交戦経験のあるアメリカのベテラン兵士たちではなく、本土から呼び寄せられた戦闘経験のない新兵たちだったということ、
8、そして1960年の安保闘争は心情的には紛れもなく、日本を従属化したアメリカに対する反米=独立闘争であったこと、
以上が内田さんの文章の主な内容でした。
 ということで、ちょっと長くなったので、続きは明日に‥‥。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto