gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

綿矢りさ『蹴りたい背中』

2007-05-14 16:00:42 | ノンジャンル
 豊島ミホさんが「底辺の高校生の気持ちが分かる」と推薦されていた綿矢りささんの「蹴りたい背中」を遅ればせながら読みました。史上最年少で芥川賞を取ったことで、話題になった本です。
 高校生の私と男子のにな川には友人がいません。私はにな川の家に招かれ、私がファッションモデルに話しかけられた場所の地図を描かされます。彼がオリチャンと呼ぶそのモデルを、彼は熱狂的に愛し、彼女の載ってる雑誌や彼女がつけていたアクセサリーをコレクションしています。数日後、にな川は地図だとよく分からなかったから同行してくれ、と言います。にな川の部屋に寄り、彼がオリチャンのラジオをイヤホーンで聞いてる時、発作的に私は彼の背中を蹴ります。教室でも部活でも相変わらず私は人にしてほしいことばかりで、人にやってあげたいことなど何一つ思い浮かびません。
 中学時代、友人だった絹代のグループにも誘われますが、私は応じません。4日連続で休んでいるにな川を見舞うと、単なる風邪でした。にな川にオリチャンのライヴに誘われ、絹代を誘い行くことにします。盛り上がるライヴの中で、にな川はじっとステージを見つめています。私はそんなにな川が好きです。出待ちで強引に前に出るにな川が警備員に注意されるのを見て、もっと叱られればいい、もっとみじめになればいいと思います。バスのなくなった私と絹代はにな川の部屋に泊めてもらいます。夏休みの始まる前から二学期の10分の休み時間が怖い私。ベランダで起きていたにな川の背中を蹴り、彼は蹴ったのが私であるのに気付く、という話です。
 何かよく分からない、というのが正直な感想です。オタクのにな川は理解できます。でも主人公は何を考えているのか、よく分かりません。サディストなんでしょうか? 「底辺の高校生」というのはにな川であって、主人公ではありませんよね。なぜなら彼女には絹代という友達もいるし、一人でいることを自ら選んでいるからです。絹代の誘いに乗れば、グループの一員になれるのに。豊島さんは主人公を「底辺の高校生」と言っていると思うのですが、以上の理由で私は豊島さんの意見には同意できませんでした。皆さんはどう解釈しますか?