山暮らしあれこれ

田舎にUターンして感じたことなど

氏神祭り

2013-10-16 | 風習
小田神社の例祭では、「舟御幸神事(ふなみゆきしんじ)」がある。
昨年は悪天候で中止となったが、今年は天候に恵まれた。

この町は漁業も盛んで、豊漁と航行安全を祈願しての行事である。
神社は日本海沿いの高台にあり、境内からその様子が見える。

ちょうどお参りしたとき、宮司さん達がその様子を見ておられた。
私も一緒に見学させていただいた。



祭りといえば、昔は地区の公民館でも神楽があった。
今では、人口が減り、後継者もおらず行われていない。

また、ごちそうをつくって、親せきを招いてにぎやかであった。
だから祭りの前日はごちそうづくりで大変だった。

煮しめをたくさんつくり、もろぶた(木製の箱)にワラを敷いて並べた。
臼(うす)と杵(きね)でもちつきをして、あんもちをつくった。

お祭りに欠かせなかったのがバラ寿司で、
木の型(3種類の形)に入れて押し寿司をつくった。

できた押しずしの上には紅や山椒をのせたりした。
これらのごちそうは、親せきへの土産にもしたのでたくさんつくった。

今は、祭りといっても、みなさん神社にお参りする程度である。
祭りにつくらなくても、こうした料理はハレの日につくるなど伝承していきたい。

手づくりコンニャク販売!

2013-10-15 | 食物
畑で生長したコンニャク芋で、コンニャクをつくった。
たくさんできたので、「多伎いちじく館」へ出荷することにした。

母が、お祭りもあるので、煮もの用に売れるだろうという。
さっそく、開店前に持ち込んで売り場に並べた。

「コンニャク芋100%、お刺身でどうぞ!」と
手づくり看板も立てておいた。

一枚あたり260gから280gの大きさで、
「頭名こんにゃく」のシールを貼って、価格は150円にした。

つくったばかりなので、冷蔵庫でなく目立つ所に置かせてもらい、
売れ残ったら冷蔵庫に移してもらうことにした。

夕方、気になって見に行ってみると、
何と完売していた♪

お祭りの煮ものになったのか、
それとも刺身で酒のさかなになったのかな。

ブロック法面の雑木

2013-10-14 | 日記
氏神さんの例祭を控えて、
高齢者クラブのみなさんで清掃された。

道路と川の間の法面も除草された。
しかし、ブロック法面は危険なので残っていた。

ブロックのすき間から雑木が生えている。
種が飛んできて根付いたのだろう。

そこに落ち葉などが溜り、それを栄養に生長している。
氏神さんへ行く途中の道路下であるが、景観が悪い。



そこで、若手の出番である。
ガードレールをつかみながら、木こり鎌やノコギリで伐る。

下の方は、雑木の根元を足場にして作業をする。
何とか枝だけは伐ってスッキリする。



いずれは、川から脚立を使って、根元から処理したい。
道路の山側の支障木は、下旬に集落応援隊に処理していただける。

楽しみをもって

2013-10-13 | 趣味
普段何気なく見ている景色が、
とても生き生きして見えることがある。

何かいいことがあったときとか、
何か楽しみがあるときなどがそうである。

例えば、現役で働いている頃は、
休み明けの月曜日というのは何となく気が重かった。

でも、その週末に旅行など何か計画していると、
足取りも軽く、仕事も楽しくできた。

リタイア後は、毎日が日曜日でいいようだが、
思った以上にやることが多く、のんびりというわけにはいかない。

自治会をはじめいろいろな役を引受ける羽目になり、
かなりそちらに時間をとられてきて、忙しくなってきている。。

リタイア後でも、やはり何か目標や楽しみをもって過ごしたいものである。
昨年は、そばづくり教室や地域活性化のセミナーなどに参加した。

今年も何かと思っていたところへ、最近知り合った方からイベント情報が届いた。
竹を使い切る知恵を教えてもらえるイベントである。

わが家にも竹林があり、手入れしていくうえで知っておきたい知恵である。
すぐに申し込んで参加した。

Uターンしていろいろ活動していると、人のつながりが広がり、
こうして有益な情報もいただけありがたいことである。

婚礼と墓石?

2013-10-12 | 風習
朝市メンバーから聞いた話である。
昔は家で婚礼が行われた。

お嫁さんが歩いて嫁ぐ途中、
地域の人が、高いところから水をかけた。

婚礼のときには、お嫁さんを見たいため、
近所の人が縁側に上がり、障子に穴をあけた。

そのため、新しかった障子は穴だらけになった。
また、夜中に近所の若者が、よその墓石を運んで縁側に置いた。

翌朝、どこの墓石かわからないため、さがさなくてはいけないし、
わかったとしても、重たくて運ぶのが大変だった。

これは、お嫁さんに、「どっしりと家に居ついて、土になってほしい」
という意味が込められていた。

母は昭和21年に嫁いだとき、水かけは仲人さんの禁止令で回避できが、
墓石の洗礼はしっかり受けたそうだ。

他の地区でお地蔵さんを運ぶならわしはあるようだが、
墓石は珍しいようである。