木曜日のお昼休み、病室へ様子を見に行った帰り「またね」と声をかけて手を振る私に
「またな」と手を振ってこたえてくれていました。
その夜。ヨガから帰ってきた私に
「人工呼吸器をつけることになったらしい」と母から電話が入り
その深夜また「病院から連絡が来てお父さんが危ないらしいから来て」と電話があって
車で飛んで行って実家で母を拾って病院へ。
もうすでに父は人工呼吸器をつけて薬で眠らされていました。
え?お昼に会ったときは話をしていたよね?
酸素マスクはつけていたけど意識もしっかりして普通だったよね?
そんな状態で3日間。
父の兄弟も会いに来て海外赴任中のオトウトも帰国。
悪い状態でも安定していたのでオトウトは仕事のこともあるし
水曜日にでもいったん向こうに戻ろうかな~と
話していました。
そんな中お風呂に入って寝着いた途端病院から電話が。
まるでドラマのような状況で旅立ってしまいました。
夢を見ているようで現実ではないのでは?と何度も思いました。
今でももしかしたら本当の事じゃないのでは?と時々思います。
父は今月初め、肺扁平上皮癌の摘出手術を受けていました。
術後の経過は良好で
癌の摘出もうまくいき、検査の結果転移も見られないと
喜んでいた矢先の出来事でした。
もうすぐ退院という月曜日あたりから
熱が出始め急速に肺炎が悪化し低酸素状態になってしまったのです。
3日の間「もしかしたら持ち直して大晦日あたりに「あの時は大変だったのよ」とか話してたりして」
という希望もあったのですが。
あっという間の出来事でも呆然としている暇はありません。
菩提寺というものがない実家はお寺の手配からお通夜、葬儀と
とにかく目の前の仕事を3人でこなして行くのが精いっぱい。
重なるときはびっくりすることが重なるもので
父が危篤と連絡があった翌日、義兄も急性心筋梗塞で亡くなってしまいました。
オットはそちらへ飛んでいき
私は告別式だけは出るつもりだったのにその夜亡くなったので
結局義兄の通夜も告別式も参列できなくなってしまいました。
夫婦そろってそれぞれお互いの実家の残務処理で手いっぱい。
奔走しております。
(私の場合はオトウトが)
でもやっぱりまだまだ実感がありません。
父の日には靴をプレゼントするつもりが
伸び伸びになっていて
とうとう買ってあげられなかった。
耳が遠くなって来ていたので
集音器を買うつもりだった。
お蕎麦が好きだから
退院したら地元の美味しいと評判のお蕎麦屋さんに連れて行くつもりだった。
自分のこと優先で、こんな些細な親孝行も出来ないままでごめんね。
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タイトルは父が亡くなる時私が思わず言ってしまった言葉。
お父さん、お疲れ様。ありがとうね。