今日の出来事

毎日のことを少しづつ。

呉服屋での会話

2007年08月31日 | 着物のこと
先日の「紅型風浴衣」を買ったお店は私が振袖を買ってから
婚礼用の着物を買うまでお世話になったところです。

着物を着るようになった頃に何度が足を運びましたが
その頃は女将さん(マダムと言ったほうがお似合いな人)が体調不良のため
お店を休んでいらしたので
それはそれは悲惨な状態でした。

男性で知識のない店主がいるお店って本当にな感じでした。

マダム(笑)が復帰してからは時々遊びに行っていたのですが
Nで商品を見るようになってからはとてもじゃないが「買えん!」と思うものばかり。

一度マダムに「普段着は扱わないの?」と聞いたところ
「うちは婚礼だから」

と言われました。

ようは嫁入りに揃えるものと振袖メインということですね。
しかし展示してある振袖も蛍光色やら派手派手しく
とにかく派手で若い人受けするものという感じ。

マダムは一番最初に着付けも教えていただいたし(体調不良のため浴衣でおしまいでしたが)
とても良い方なのですがお店の方針はやはり相容れないものがあるため
ごくごくたま~にのぞく程度でした。

紅型調浴衣を見てしかも半額になっているときは
たまには掘り出し物もあるものだ!と思ったものです。

それはお盆の旅行に間にあわせて急いでいただいたので
着た所を見てもらおうと写真を持って(携帯電話のカメラですが)伺ったのです。

マダムは接客中だったので待っていたところ、お店のスタッフさんがお茶を出してくれました。
で、少しづつ話をなんとなくしていたのですが…
「いつも着物を着ていらっしゃるんですか?」
ここまではまだいいです。
出かけるときはなるべく着るように心がけています、と答えると

「着物って洋服の時と違って辛いとかそういうことないですか?」
「やっぱり慣れると苦しくないものですか?」
こういう質問を呉服屋の店員さんから聞くとは

つい一言
「毎日着られたらいかがですか?扱っていらっしゃるんだから」
言ってしまいました。

確かにNのAKさんでも着物を着るのは展示会の時と毎月月初の仕入れに京都へ行くときだけ。
普段も着たらいいのに…と言うと
「結構労働があって着物を着ていられない」と言います。
まあ、彼女の場合は「良い着物」しか持っていなくて
労働するのに着るには汚したり破いたりしたらイヤだというのもあるんでしょうが。

でも彼女は「この着物は着易い」「この着物は寒い(暑い)」
「こういう帯は締めにくい」「こうしたら綺麗に決まる」とか
こういうことはきちんと言ってくれます。

最近はいろいろチャレンジしてみて
今までは正統派の着方しかしていなかったけど
私が「半襦袢は着易い」と言うと自分で買ってみて「なかなかいい」とか
(でもやっぱり筒袖は振りがないからイマイチらしい)
きっちり腰紐と伊達締めだったけど
ゴムベルトとコーリンベルトを試してみて
「いいところもあるけどやっぱり着崩れしやすい」と教えてくれます。

最初のような質問を具服屋さんの店員さんから受けるとは思ってもみませんでした。
だって買うほうがいちいち質問して納得して買うんじゃないのでしょうか
今から着物を着たいからそろえてみようと思う人が
「着物って苦しいでしょうか?」
と質問して「いや~私もどうなんだろうって思うんですよね~」
と返されたら買う気失うような気がするんですけど

せめてやっぱり自分でも着ている人から買うなら買いたいな~と改めて思ったのでした。

月食

2007年08月29日 | Weblog
だ、だといわれていたので
期待はしていなかったけど
オットがまた呑み会でいないのでつまらなくなって
ベランダへ出たらなんと赤いような黒いようなお月様が。

曇っているのかしら?
と思ってみるとこれが月食というものらしい。

慌てて部屋に戻ってオペラグラスを持ってもう一度見てみると
ちょうど影から抜け出るところだったらしく
左の下からだんだん綺麗な明るい元の色に戻ってきました。

月食というからもっと真っ暗に月が見えなくなるかと思っていたけど
大気や光線の加減で赤っぽく見えるようです。

月ってなんとなく神秘的。


ばてたらしい。

2007年08月28日 | Weblog
宝塚から帰ってくる電車の中で
実は突然ものすごく暑くなって、吐き気がしてしまいました。
麻の着物だから暑いはずはないし、勿論電車も冷房がきいているのに
ちょっとおかしいな~と。

時々更年期に似たような自律神経失調症みたいな症状が出るときがあるけど
それかしら?と思っていました。

日曜日は完全にへたばってしまい、何にも食べられません。

この私が食べられない、食欲がないなんて!

とりあえず冷たいアイスクリームでも食べたらどうかと思って一口、二口食べましたがすぐに気分が悪くなって戻してしまいました。

あ~~~もったいない。

以前バレエをしていた時は週に2回夏はだらだらと汗をかき
昼休みもちゃんと軽い運動できていたし。

まず運動で汗をかかなくなったことが原因かな?
自分が軟弱になったようで情けない。

月曜日はちょっとましになりましたが職場でまだ
尼将軍親子がお手手つないで
チイパッパとやってくるのをまだまだ見ていると
気持ちも夏ばてです。

顔にもブツブツが出てきてしまった。

食欲はやっと今日戻ってきました。
お昼にがんがん食べられました。お腹ぽんぽんまで食べられて幸せ~
食事がおいしいって幸せだ。
やっぱり夏痩せはできない性分らしい…

楽しいことを考えようとするけど
いつもなら楽しいことを考えたら元気が出るのに
なかなか楽しいことが思いつかない。

早く涼しくならないかな?

ヲトメの世界

2007年08月25日 | 着物でおでかけ
15,6年ぶりに宝塚を観に行く事になりました。
前回もヅカファンの友達のお供でついていったものですが
今回もヅカファンにっぽんちゃんに連れられて。

今日は先日買ったみやっこはるみちゃんデビューです。

手馴れたにっぽんちゃんに連れられてスムーズに劇場まで。
その間初めてにっぽんちゃんと2人デートでしたので
仕事のことや宝塚のこと、沢山おしゃべりしました。

仕事のことはやはり永年勤続で新人を面倒見ているにっぽんちゃんにも
いろいろ困ったことや悩みはあるようで…
何処の職場も困ったちゃんはいるようです。

宝塚のこともなかなか面白くて
ヅカファンは規律正しいと聞いていましたが
出待ち、入り待ちもきちんと決まりがあるようで
それぞれのファンクラブで並ぶところや立ち位置などが決まっているようで
「軍隊みたい」と言いたくなるほどだとか。

それを見てみたかった・・・

それと各組の組換えとかトップの状況、下級生から上がってくる話などなど
ヅカファン20年のにっぽんちゃんの話は面白くて飽きません。
私も話しに引き込まれてヅカファンになってしまったような気分…

劇場は以前来たときから改装されていて大きく、綺麗になっていました。
劇場周辺も動物園がなくなって住宅展示場やレストランに変わっていました。

駅からの道も美しくまさに「オトメの街」です。

動物園だった場所が「宝塚ガーデンフィールズ」となっていて
そこで中華料理を。
お値段は手頃で本格中華のランチをいただきました。

劇場に入ると15年前とぜんぜん違う!
ホテルか空港のショップのように沢山のお店が入っていました。

子供連れの人とかもいたりちょっと不思議な感じ。
今は夏休み中だからそういう団体さんたちも来ているのだろうと。

劇場のスタッフもほとんど女性です。

劇場に入るとこれまた入り口に大階段をイメージした階段が。
美しい世界を壊さないような劇場でした。


横の宝塚ショップをのぞけば多くのヅカファンがそれぞれのファンの人のグッズを一生懸命見て選んでいます。

ここで思ったのですがたぶんいろいろなところから
観に来ていらっしゃるお客様達でしょうが
皆さんほとんどコンサバティブな服装です。
崩れた様なちょっと汚い(失礼!)格好の女性は見かけませんでした。
袖が膨らんだ薄いブルーのストライプのフレアなワンピースとか
超正統派ちっくな服装の方が多い。
もともとコンサバな服が好きなのでこういう人たちの中にいるとほっとします。
皆さんきちんと「宝塚を観るんだから~」とお洒落してきていらっしゃるんですね。

勿論着物の方もお見かけしました。
ちくせんのグレーの浴衣を着物風に着て桃色の紗献上博多帯の方が印象的でした。
思いっきり浴衣のお嬢さんもいました。
素足に下駄だったのであれはちょっと宝塚にはどうなのかな?とも思いましたが。
↑オバサン的発想か?

劇はまずショーから。
「MAHOROBA」というヤマトタケルとオトタチバナヒメの伝説を題材にしたショーです。
にっぽんちゃんは「今回はショーがイマイチかも」と言っていましたが
踊りがステキで。
衣装はゆったりしたチュニック調の衣装でちょうどくるみ割りのアラビアの踊りのような衣装。
踊りもバレエの要素が沢山あってシェネからフェッテをダブルでまたピケで進んで
ダブルのフェッテなんかあったり、
アチチュードの形が綺麗だな~と観ていたり
足が綺麗にアンディオールになっていて感心したり。
にっぽんちゃんが途中でオペラグラスを貸してくれたけど
こういう踊りはどうしても全体で観たいのでトップの人より
群舞ばかり見ていました(爆)
群舞でも上手な人は際立って見えますね~次はああいう人が上がってくるのかな~なんて思いながら観ていました。

しかしここでちょっとトラブルが。
歌の合間になにやら後ろから「ぐぉ~」と言う鼾が聞こえます。
その度ににっぽんちゃんの隣の人がぶつぶつ文句言っていました。
私もどうして隣の人が起こさないのだろうか?一人で来ているのかしら?
と思ってショーが終わって後ろを見るとどうやら横何人かで来ているらしい。
にっぽんちゃんも
「知らない人でもあんなに鼾をかいていたら起こすのが常識だよ。良いところで鼾が聞こえていやだった。観劇マナーが出来ていない」
とちょっと怒っていました。
にっぽんちゃんのお隣2人組はどうやらトップの「アサコサン」のファンの方らしく
そりゃ、ますますご立腹なことでしょう。

さて2部はお芝居。
これぞ宝塚!コメディ・ミュージカル。
やはり観ていると男役に人のかっこいいこと。
こういう人がいたらどんなに素敵だろう、と思ってしまいます。
ファンになるのも無理はない。
トップの人だけでなく、ちょうど下手側の端の席だったので
群舞の人たちが出てきたときに一番よく見えましたが
まだまだコールドで踊ったりお芝居している男役さんも皆さんかっこいい。

何でこんなにかっこいいのかと思えば皆さん「燕尾服」がとっても良くお似合いで
足がスラ~っと長く見えます。
娘役の人も皆さん笑顔でにっこり綺麗な笑顔。
さすがに夢を売る劇団です。

「アサコサン」はにっぽんちゃん曰く芝居も踊りも歌もうまくて
特に芝居の間合いがうまいのでこういうコメディはとても楽しく観られる。
女性役の人との息も合っているのでこの組の芝居は観ていて気持ちいいとか。

そういう解説を聞くとますます楽しく観られます。

ヅカファンの方は皆愛称で呼ぶので私はちんぷんかんぷんでしたが
(芸名もあやふやなのに)
お芝居に笑ったり実に楽しい時間でした。

最後は勿論大階段で大きな羽をつけての登場です。
まずは(たぶん)入団したばかりの人のラインダンスから。
足が揃っていて踊りも揃っていて綺麗。
これからどんどん成長していく人たちなんでしょうね~

だんだん大階段の上から歌い踊りながら出てきます。
手には花束のようなもの(なんていうのかな?)を持って。
トップになるほど羽が大きく豪華です。

娘役のトップのピンクのドレスと羽も素敵だったけど
やはり「アサコサン」の羽はスゴカッタ!
私も背負って見たい~~~
重量は20キロ位あるのでは?という羽を背負って
大階段を下を見ることなくスタスタと下りてくる様は圧巻です。
やっぱり「かっこいい~~~」と恋してしまうファンの気持がわかります(笑)

残念なのは宝塚はカーテンコールがないこと。
幕が下りてしまえばそれで終わり。
ちょっと物足りないかも。

本当に楽しい観劇でした。
階段を見ると思わず手を広げて歌いながら下りてしまいそうなくらい
楽しかった!

滅多に観に行けないものを誘って貰って本当によかった!
にっぽんちゃんありがとう!

でも次はにっぽんちゃんも着物でね(笑)




アーユルベーダ体験

2007年08月16日 | Weblog
お盆休み最終日は
ヨガの先生が大阪からスタッフを招いて初のアーユルベーダ体験を。

本当ならばスリランカ人にしてもらうはずだったのですが
帰国されたとかで日本人スタッフで。

初めての紙パ○ツです。

最初に問診されてそれで私に合った薬草オイルで頭、全身、顔とマッサージしていただきます。

腕と足は左右対称にしていただくため2人掛りで。
ほぼ同じリズム、同じ強さでマッサージ。

前面上半身ではわき腹がくすぐったくて思わず力が入ってしまいました。

前面が終わると後ろ側。
同じように腕、足、背中と続きます。

それが終わると足先。

すると「先ほど脹脛や腿は温かかったのに足首はかなり冷たいですね。
冷えていますよ」

自分では冷えている感覚がないのでびっくり。
そういえば最初の問診で舌を見てもらったときも「冷え性ですか?」と聞かれました。
冷え性かもしれないけれどここに車でエアコンなしの部屋にいたので
冷えていることはないと思っていたのに。

やっぱり知らず知らずに足元が冷えているんですね。

顔のマッサージの頃は完全にです。
薬草オイルの香りとやさしいマッサージでよく眠れました(笑)

終わった後ヨガの先生と問診の時のスタッフの方が私を見て
「ぜんぜん違う!」

肌はつやつやして目はきらきらして肩は落ちて胸が開いているとのこと。

自分では分からなかったのですが…

オイルも思ったよりベタベタしなくて気持ち悪くないし
マッサージも不快ではなかったです。

初めての全身マッサージ。
またこういう機会を設けたいと先生がおっしゃっていたので
お願いします!と今から予約しておきました。

こういうのを天国、極楽と言うんですね




暑い工場見学とお盆の送り

2007年08月15日 | 着物でおでかけ
ホテルから見る朝の景色
朝はホテルでバイキング
朝食後すぐに出かけるので勿論着物です。
今日は紅型調の浴衣、綿麻です。に半襟付けて帯は木綿の半幅帯。
ついでに足元
レストランの前で他のお客様に「今日は何かお祭りがあるんですか?」
と聞かれました。
「いえ…普段からちょくちょく着ていまして…」と答えると
ステキですよ~と褒めていただきました。

朝食はこんな感じで取って来ました。


長野から1時間ちょっとで富岡です。
また今日も暑い…
途中の横川SAによってちょっと休憩。ここは釜飯で有名です。
母はまたもや「こんにゃく田楽食べる?」と私達に聞いてきましたが
さすがにバイキングでお腹いっぱい食べた後なのでご遠慮しました。

さすがに世界遺産に登録しようと頑張っているので
高速を降りてすぐ案内看板が。道のあちこちで案内板があり迷うことなく駐車場へ。

富岡製糸場の近くの母の母校があります。
この辺りは母の懐かしい場所なのでした。
駐車場からの道も母は案内板がなくてもわかるので私たち夫婦は母の後をついていくだけ。
富岡製糸工場前で今から出勤します?

炎天下の中見学コースに入りましたが
どこか空調の効いた場所があるわけでなく、ただひたすら屋外で説明を聞きます。
木骨造りの珍しい建物。木材、レンガ、石材全て国産です。
ただしガラスと金属小物は輸入製。
躁糸場の建屋の屋根。こんなに太い梁を造らなくてももつ構造らしいのですがこの建物の設計図を見て(設計は外国人)
手がけた日本の大工が「こんなに細い梁で自分の目の黒い内に工場が倒れてはかなわない」とわざわざ太いものをつけたのだとか。

富岡製糸場が作られた時に職員を募集したところ誰も応募がなかったそうです。
もしも就職したら外国人に夜な夜な血を吸われると思ったからだとか。
ワインを飲む習慣があったのでそれを血だと勘違いしたからでしょう。
そこで政府が(最初は官営だったため)各藩の士族の女子に声をかけて
募ったのだそうです。

工女の中でも長州出身者は優遇されて上の仕事へすぐに昇格できていたそうです。
明治政府は薩長出身者で作られていましたから。なるほど~~~

繭倉庫窓が多いのは一旦蒸気で蒸して中の蛹を殺した時に
一緒に繭も濡らしてしまうので、乾燥させるため窓が沢山あります。
煙突はとても高い。黒いものを忌み嫌って黒い煙の出る部分を少なくするために高くしたらしい(裏覚えなので間違っているかも)
工場の中にあった写真。
これを見て母が
「昔おばあちゃんが家の中でこういうことしていたのよ。
自分達の普段の着物はこうやって糸を紡いで機を織って
染めは出したり自分でしたりしてね。
こういう機械もあったわ。亡くなった伯母さんがもう機もこういうものも捨てちゃったけどね」

面白い話もありましたが何せ暑い
見学コースの人たちも皆さんへとへとです。

やっと終わって売店でシルクのタオルを母にプレゼント。
「群馬シルク」と書いてありました。

製糸場を出ると母が「久しぶりだからこの辺を歩きたい」
というのでぶらぶら。でもお盆なのでどこのお店も休み。
母がアルバイトしていたお店とか、母の婚礼家具を買ったお店、
母の実家が懇意にしていた呉服屋さん。
母が結婚した時も実家へ帰ってくるとこの辺りで伯母達と食事したり買い物したりしていたとか。
今ではかなり廃れてしまった風情の場所ですが当時はここら辺しか繁華街がなかったのよ、と。


お昼はその昔、母が初めて祖母にラーメンを食べてもらったというお店で冷やし中華
お店の感じは変わっていない?と聞くと「覚えていない」(爆)

見学も終わって祖母の家へ。
祖母の家は築100年は経っているらしい古い家です。
建て替えしないまま今日まで。
下に写ったのは煙草を吸いに外へ出ていたオット…
祖母の家は禁煙だそうで
以前養蚕業をしていたので2階はこんな感じで養蚕で使っていた道具が放置されています。

広い2階も使われないままでもったいないと思うのですが。

家に着くと従兄弟(兄)の子供たちが今か、今かと母の到着を待っていました。
母は2人の人気者。おばちゃんでもおばあちゃんでもなく
「Hちゃん」と呼ばれています。

6歳男児モトと4歳女児ユーカですが2人ともこの暑いのに元気元気。
一秒たりともおとなしく出来ません。
お菓子を食べるのも飛び跳ねながら、汗ダクダクです。
誰かが言っていましたが、この無駄なエネルギーを発電に活かせたら本当にどんなにいいかと思うくらいエネルギッシュ!

汗ダクダクで
「mayおねーちゃんだいすき~~~」と貼り付いてきたり帯で顔拭いたり…
浴衣は洗えるけど帯は勘弁して~~~

母がお土産に買ってきた「あかずきんちゃん」の紙芝居を見て
「ユーカねえーあかずきんちゃんもいいけどおひめさまのかみしばがいいな~」
と言い出す始末。お気に入りは母の買ってきた花火の7色の出る物。
「ユーカあかいはなびがすき」と何度もその花火を持って見せにきます。

「お昼寝しなさい!」とママに言われても
「寝ないも~~~ん」とどこ吹く風。
以前彼等が昼寝をしている間に帰ってしまった事があり
それを覚えていて帰られたら困ると思っているらしい。

母が「お昼寝しない子は花火をしてはいけません」というとユーカのほうは
「ユーかはねんねするいいこだからHちゃんとはなびするもん。
いいこだからねんねするもん」
と部屋に行きましたがモトはなかなか「寝ないもん」と大好きなアンパンマンのビデオを見ています。

あ~~~~元気だ…このパワーはどこから沸いてくるのかな?

今日はお盆の送り火。
裏の山にお墓があるのでわらを燃やしてお墓の方向に倒してお盆で帰ってきたご先祖さま達を送っていきます
その前に90歳の祖母と記念写真を…

と思うと兄弟がすぐ一緒に写真に入ってきます
ユーカの変なピースは「2さいじゃなくて4さいだから」という理由で4です。モトは昔からお気に入りの輪投げのわっかを持ったまま。

元気で母が大好きなモトは母にべったり
お墓は山なので蚊がたくさん。虫除けスプレーが面白くてまた無駄にシューシューして困らせたり。
お盆の送りにはナスのお馬こんな風習、なかなか見られません。

お墓まで山を登っていきます

送った後お参りを済ませてもどります。

この辺りは全部桑畑で綺麗に植えられて手入れされていたのに今では養蚕業をほとんどの農家が辞めてしまって荒れ放題。
とても寂しいです。

送った後食事をいただいて私たち夫婦はさよならです。
帰り際に祖母に言われたのは「(私の母の)面倒見てやって」
いつまでも母親は母親。

次はいつおばあちゃんの顔が見られるかな?
また来たいな。




真夏の風林火山

2007年08月14日 | 着物でおでかけ
せっかくのお盆休みだからちょっと出かけようか?

という話が出たのは5日前。
母が実家へ行くというので我が家の車で送るついでに
ずっと行ってみたかった富岡製糸工場見学へ行きたい!

それならついでにどこかへも寄っていこう。

我が家にありがちな直前旅行が決定しました。

母は最初電車で実家へ行くつもりだったのですが
そういう話が出たので一緒にどう?と誘うと快く同行してくれることになりました。
オットと私は次の日には帰宅しますが母はその後も何日か滞在して帰りは電車です。

さて、そうなると宿泊を考えなければ。
時期が時期だけになかなか部屋が見つからず結局シングル3部屋という結果に。

行くのは長野善光寺と風林火山を訪ねてです。
母には出発4時には出ますといっていたのに目が覚めたのは4時半!
母から何度も電話がかかっていたようなのですが
まったく聞こえず父が我が家まで母を送ってきて出発は1時間遅れの5時に。

今回初めて10分以内に着物を着ることが出来ました!
名古屋帯ではなく半幅帯だったこともありますが…

急いで出かけて途中でデジカメ忘れたぁぁぁぁぁ!と気づきます

今回初めて携帯ですべて撮ることに…

伊勢自動車道→伊勢湾岸道路と続き中央道へ。
駒ケ岳SAで朝食と給油。今回は我が家のバレちゃん(ザッツ軽)で旅行です。

次に姨捨SAで休憩。すでに風林火山が…教わったとおり顔はいっぱいまで入れたんですが…
母はさっき朝食でおにぎりを食べたばかりなのに大福を購入。
やはりこういうところで食べ物を買うのも楽しみの一つ。
母のすごいところ。車の中でも日焼け防止のため、長袖帽子着用です。
ついでに今は仕事をしていなくて
家にいることばかりなのに化粧をしない日はありません。
とても私の母とは思えない…

まずは長野の真田宝物館と真田邸。

暑い…空調がきいていなくて母は早くもバテ気味。隣の売店でかき氷を食べて
「おいし~~~」「冷たくて嬉しい」と感激。
そこからちょうど風林火山のポイントラリーがあるとかで妻女山。

こちらは上杉謙信が川中島の合戦の時に陣を置いたところ
展望台には謙信の旗が
クイズラリーのヒントがあるので探していますが見つかりません
帽子を持ってこなかったオットに母が「嫌かもしれないけど熱中症になったら困るから日傘をさして」とお願いして母の傘を借りています。

次は山本勘助のお墓へ。駐車場から延々と歩きます。
お墓ではボランティアの人が説明してくれるのですが
最初に説明してくれた女性が途中でどうも熱中症になりかけたのか
「ごめんなさい、ちょっと調子が…とテントのほうへ。
この暑さです。大丈夫だろうか?と思っていたら
帰りがけにテントから出ていらして「説明が出来ずにすみません」
としきりに謝罪されます。
こちらが恐縮して「気になさらないで。暑いですから気をつけてくださいね」

今は大河ドラマの影響で観光客がこの暑いのに多いようで
町興しや活性化の手助けとはいえ大変だろうなあ。
オットはここで初めてクイズラリーの見方を教わり先ほどの妻女山で見つかられなかったものを悔しがっていました。

続いては川中島の合戦場跡。この辺りだともう猛暑、酷暑で全員へとへとです。
武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの像
日陰で休む母。熱風が吹くので扇子で扇いでも起こるのは熱風
ドラマでは美しいガクトさんが演じていますが銅像の謙信は渋いオジサマです。

やっとお昼で近くのおそば屋さんに入ります。
母が「せっかく信州だから信州そばを食べたい」と言うのですが
見つからずに適当にあった所に入りました。

なんだか硬いけど本当のお蕎麦はこんなものなの?
我が家はずいぶん柔らかく茹でてしまうのですが母も「本物は硬いものなのかしら」
と。

ちょうどチェックインできる時間が迫ってきたのでホテルまで急いでいきます。
ホテルは結婚式場も入っているのでブライダルフェアをしていて
エントランスロビーではこんなウエディングドレスの展示が

やっと一息ついてエアコンの効いた部屋で一休み。
オットが部屋で暑さに負けてビールを飲んでしまったのでホテルから近い駅からバスで善光寺まで。
暑くて汗だくになってヘロヘロな着物姿襟が全部隠れていますがちゃんと半襦袢着ています
珍しく母と一緒に。目隠しの下はコピーのようにそっくりです
善光寺前の参道はお土産物屋さんがいっぱい

ちょうど善光寺では年々振りかに復活した盆踊りと初めての夜店で大賑わいでした。地元のローカル番組をライブ中継していたり賑やか賑やかです。
しかし山門が修復中だったことと本道の地下に入って
暗いところにある何かを触るとご利益がある(母の説明)というのは
時間が遅かったことで地下への入り口が閉まっていました、残念!
屋台がでているとあってはオットが「やっぱりこれを呑まないと
帰りも参道をぶらぶらしていたらこんな看板が
おーこさんのヒントになればいいのに…と思って入ったけど写真は人が多すぎて撮れませんでした。
でもとんぼ玉の模様って何か意味があるの?お店の人がそんな説明していたけど、どうなんでしょ?おーこさん

夕食は「善光寺そば」でもよかったのですがお昼におそばをいただいたので
新しくレトロな雰囲気で出来た参道沿いのお店で豆腐定食。
豆腐尽くしです。
おぼろ豆腐の食べ放題がついているのでオットはお椀に大盛り三杯もおかわりしていました。
豆腐と言えどもお腹はぽんぽんです。オットが一日運転していろいろ連れて行ってくれたので母がその後ビールを奢っていました。

近くのバス停からまた駅まで戻ってホテルまで。
ホテルには珍しく最上階に展望風呂がついているので母と二人で入りに行きました。
背中でも流せばよかったけど洗い場が狭くて離れ離れになって一緒に湯船に浸かっただけ。

暑い中一緒に回ってくれたのでずいぶん疲れたことでしょう。
明日もよろしくね。

持つべきものは・・・

2007年08月12日 | 着物のこと
和裁のできる母親です!!!

昨日購入した「はるみちゃん」の袖をどうするか悩んでいたのですが
自分でうそつきを作るよりは母に袖を詰めてもらおう!
と他力本願全開で思いついてしまいました。

早速はるみちゃん持参でお昼もご馳走になるべく訪問。

さて、母にお願いしたところ

「え~~~~~、な~~~~んだ。黒いものが見えたから私に服でもくれるのかと思ったのにぃぃぃ」
と言われてしまいました。

そこをなんとか・・・

としていただくことに。

ごそごそと押入れの中から娘時代の和裁グッズ出してきました。
まずは袖を解いてもらいます(自分では反対側をしました)

面白いことにこの着物何人かの手を渡ったものかもしれません。
最初は2尺袖だったものを1尺5寸に上げてあったようです。

「これ、切っていいの?」
と母に聞かれました。切ってもいいのだけれどちょっともったいない気がして
「そのまま上げてくれない?」
と頼みました。こうなると15センチくらい上がってしまうので「みっともないんじゃないの?」ともう一度言われましたが
袖丸も付けてもらわなくていいし(最初の上げは本当にそうだったし)
ざくざくでいいよと言ったところ
じゃ、してみるわと。

昔は裁ち板にかけていたという半ネル。

そこにおいてヘラ付けです。尺定規がないので49センチにしてもらいます。

母は目が悪く針に糸が通らないのでそれは私の係り。
本当は糸を通したら切る前にこうやって指で弾くと糸撚りがとれると教わりました。

黒い着物で見難い所を一生懸命縫ってくれます。
和裁の運針ってこうするのね~指貫に針を当てて。

やっているうちに調子が出てきたのか、それとも袖丸をつけなければ気に入らないのか
「出来るかな~切らないで出来るかどうかわからないけどしてみるわ」
と袖丸をつける器具をごそごそ取り出してきました。
こんなものも持っていたのか>母よ。

話を聞くとすでに50年くらい経つ年代モノばかり。
くけ台も出してきて一生懸命縫ってくれています。

アイロンも50年もの…
でも今回久しぶりに(何年ぶりに)電源を入れたら使えなくなっていました
「あら…もうこれ駄目なのね。捨てなきゃ」
と母がいうので入れてあった箱だけ写真。昔のこての進化したものです。
当時は画期的だったかも

黒い着物なので絎けるときも針目が大きくなって
「昔はこういうことももっと細かく出来たし、サカサカ出来たのになあ。
年取るっていやあねえ…」
と落ち込んでいました。
それでも仕立ててある部分を見て
「あら、私はこういうところちゃんと開いて絎けるように教わったんだけど
この人は縫ったまんまにしてあるのね」
見ては言っていました。

無事の袖は1尺3寸になりました。
ただし袖丸のつけ方は片方は上げてからつけたので角ばってポコポコしてしまい
もう片方は反対側と角度を間違えたのでちょっと丸くなっています。
でもやはり「切ったらもっときれいに丸くできるのに…」とぼやかれてしまいました

縫い物苦手の娘のために頑張ってくれて頑張ってくれてお母さん、ありがとね~~~

また、何かあったらよろしくね~~~

銀河系ダイブ

2007年08月11日 | 着物でおでかけ
きむらにつくとまずうまこさんがいらしているのにびっくり。

嬉しい!!

さて着くと皆さんすでにホリホリして目当てのものを確保していました。
私はまだ気持ちが落ち着いていなかったので
椅子に座ったり、すうざんさんに飲み物をいただいたりして
なんとか一息。

それからホリホリ。
それぞれこんないいものがあるよ~~~と出してきてくれます。

本当は夏の博多献上が欲しかったのですが一歩遅かったらしく
他のお客様がお買い上げされていました。

まあ、今回はそんなに買わずともいいか…と思っていた矢先
きむらさんが
「ええもんあるんやに~~~」と出して来てくれたのは
宮古上布。

みやっこちゃんは色が黒いし、高いし、私には似合わないよ~~
と敬遠していたけれどおばちゃんが
「羽織ってみなさい。こんな大きいサイズ(私でも大きいサイズになります(笑))
で宮古は出やへん。それに値段がこの値段」
と出されたのは

おばちゃん、高いんですけど

躊躇する私に
うまこさん
「いや~~~これはいいよぉ~~~
麻はね、涼しいよ~~~それにこの値段だったら新品の浴衣をデパートで買うのと変わらないよ~~
それよりずっとこっちのほうがいいわよ~~~」

すうざんさん
「そうよぉ。もういいものから買わなくちゃね。麻だしいいんじゃない?
すてきよ」

きむらのおばちゃん
「そりゃ、私はこっちのその帯(私が選んでおいていたもの)も買うて欲しいよ。
そやけどだんだんええもん買って来てるやろ。
それに宮古でこういうサイズと状態のええもんは出えへんよ。
悪いこと言わへんから買うときなさい」

キママ
「いいんじゃな~~~い?すてきじゃな~~い?」

強力4人タッグの背中丼で見事宇宙(そら)からダイビングさせていただきましたことよ

ちょっと袖が長いのでうそつきを作るかいいモノなので袖を縫いこんでもらうか思案中です。

きむらを後にしてうまこさんは用があるので先にさよならです。
うまこさん、ありがと~~~

ママさんとすうざんさんと遅がけのお昼。
お店に入るとカレーのいいかおりがして全員思わず「カレーランチ!」
と注文したところもうすでに売り切れでがっかり。

それでもおいしいランチをいただきつつ、いろいろなお話をしつつ
楽しいひと時でありました。

ママさんのところで書いてある「ハグ」をしてもらったら元気百倍になりました。
あ~~~嬉しい。

本日の楽しい写真はママさんのところで

私は故障車両の証拠写真を撮るためにオットにカメラを渡してしまい
1つも写真を撮れませんでした…

キョーフのハイウエイ

2007年08月11日 | Weblog
本日、「きむら」でセールがあると聞いたので

「名古屋へ行くよ~」

とオットに伝えたところ、久しぶりにオットの伯母さんを誘って
自分も名古屋へ行くといいます。

オットの伯母3人は子供がなく、特に末のこの伯母はオットとオットの兄を可愛がっています。
伯母はお出かけ好きで以前は電車で毎週名古屋へ行っていたくらい。
ところが寄る年波には勝てず、時折帰省する義兄に名古屋へ連れて行ってもらうくらいになりました。

時折我が家もお誘いしていたのですが
ちょうどいいから名古屋の栄まで車で皆で一緒に行って
その後私だけ地下鉄できむらへ行くことにしたのでした。

伯母の自宅まで迎えに行きそこから近くの高速に乗って走っていました。
時期はお盆休み。
下り線はすでにかなりの渋滞でした。でもこちらは上り。
ややいつもより車は多いものの軽快に走っていました。

調子よく長良川を越えたあたりでいきなり

バン!!!

という音が!

オットと私は
「えっ?うちの車?うちの車?」とびっくり!
でも確かに何かを踏んだような振動がありました。
なにがなにやら分からないまま走っていましたが
リアシートに座っていた私が後ろを見ると
なんとなく窓が曇っているような…やけに水滴がついているような…

オットが「煙はいているかよく見て!」というのでよくよく見ると
なにやら白い煙が…

うちの車だよ~~~~

通りで後ろの車がだんだん車間距離をとっていたはず。

ど・ど・ど・どうしよう

ちょうどそこへインター出口の看板が。
「お願いだから出て!出て!」と私が叫びます。
オットはその先のインターまで行くつもりだったようですが
もしも火でも噴いたらえらいこっちゃです。

とりあえずインターで詰め所の前に空いた敷地に停めました。
するとすでに焦げ臭い匂いと車の下からなにやらボトボト漏れています。

オイルだよ!!!

火がついたら困る!!!慌ててオットはエンジンを切りました。

料金所手前だったので詰め所によって車の調子が悪いので
JAFを呼んで来てもらうまで入り口で待たせてもらうことにしました。

それからずっと40分、ひたすら待つことに。
約束の時間は近づいてきますがどうすることも出来ません。

事務所の方に駅までの道を聞くと「歩いて15分くらい」と言われました。
それならもう少し待っていてもいいかな~と
伯母とオットと待っていました。

JAFが来てくれた時にはもうすでに車は動かなくなり
トラックに載せて近くの同じ系列車会社まで行くことになりました。
JAFの人が
「よくこれで走っていたな…」

そこで私だけ駅に向かおうともう一度別の事務所の事務所の人に
「駅まで行きたいんですけど左でいいんですよね」というと
「えええ~~~駅まで歩いていくの?無理無理。30分くらいかかるよ。タクシーを呼びなさい」

この上タクシー代もかかるのか…

タクシーを呼んで近くの駅まで。
ちょうど名古屋まで急行で2駅のところだったし、急行が停まる駅だったことが幸いして皆に1時間遅れてきむらへ到着しました。

さて、きむらにいるときにオットから電話が。
やはりオイルの下のボルトが緩んでいたか、外れていたらしいとのこと。
車はエンジンオイルも入れてもらい、ボルトも締めたもののやはり心配なので
地元ディーラーにも連絡して取りに来て貰うことにしたので自分達は電車で名古屋まで行き、当初の予定通り少し買い物して帰るということでした。

JAFが到着した時に地元ディーラー
「おたくで車検してから2ヶ月も経っていないのにこういうことが起こるのはおかしい。何か整備で不備があったのではないか!」
とキィ~~~~と電話しておいたのですが
やはりJAFの人も搬送のトラックの中でオットに
「何か整備した時にボルトを締め忘れか締めるのが緩かったのかも」と。

きむらから帰宅してディーラーに電話するともうすでに向こうから車を持ってきたところだということでした。
点検してから車をお持ちしますと夕飯を食べ終わった頃に持ってきました。

営業と工場長とうちの車を整備した若い兄さんが来ました。

説明を聞くとやはり車検時にエンジンオイルを受けるところの
オイルパンのボルト(ドレンコック?)を
整備の人がきちんとしめていなかったことが原因だと思うということでした。

今回もう一度全部点検して異常がなくなったこと。
エンジンオイルがマフラーを伝って焼付けをおこしたので
かなり焦げ臭い。
そこでディーラーがマフラーも全部取り替えさせてくださいと申し出がありました。

あたりまえだろ~~~が!

一歩間違えば大事故大惨事になっていたかもしれない。

そして心ばかりですが…と持ってきたのは
5個いりティッシュのみ

すぐに頭に血が上る私は

「あのね。とってもとっても私、不愉快なんですよ。
車で行ってね、車で帰ってくるはずが延々JAFが来るまで待たされて、
遠方の修理屋まで行って帰りは電車で帰宅ですよ。
そしてもしももっとひどいことになっていたらこんな無事に帰ってこられないんですよ」

静か~~~に静か~~~に言いました。

すると工場長さんが

「あの・・・そういう今回かかった経費をもしよろしければ
こちらで持たせていただくことに…」

そうだろ、そうだろ、そうこないとね。
今度のマフラーも当たり前だが会社負担です。

しかし、会社自体がお盆休みになってしまい部品の売り注文がかけられないので
お盆開けになるとか。

それまで焼け焦げた匂いをかぎながら運転することになりそうです。

でもこういう事故でも助けられたな~と思うことが。
もしもこれが高速道路のど真ん中だったら炎天下の中JAFが来るのを待たなければいけなかったかもしれない。
たまたまインターが近かったことで降りることができたし
詰め所はきちんとエアコンが効いていて高齢の伯母にもよかったこと。
そして入ったインターが名古屋駅に近く、急行が停まる駅だったこと。
オットと伯母もやはり急行の停まる駅に近い修理工場だったので
工場の人に駅で送ってもらうことも出来たそうです。

14日から長距離で高速を走る旅行に実家の母と出る予定なので
もしもその時だったら早朝に出発だし、その時にこんなことがあったら
jAFだけで修理も出来ずに自宅にUターンということもあったかも。

こういう時、守っていただいてありがとうございますと
思わずにはいられませんでした。