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正月の縁起物にはどんな意味があるの?(子供のための年中行事解説)

2022-01-01 12:56:06 | 年中行事・節気・暦
お節料理の縁起物にはどんな意味があるの?
 縁起のよいことを願ったり、それを祝うための品物を「縁起物」と言いますが、日本の伝統的年中行事には実に多くの縁起物があり、めでたいことが重なる正月には特に多いものです。正月の祭りに関わるそのような縁起物を、拾い出してみましょう。ただし江戸時代の文献の確かな裏付けのあるものに限ることにします。お節料理でお馴染みの「きんとんは金運のよいことを表す」と言われますが、江戸時代には正月とは全く関係のないお菓子の一種でした。また「蓮根は先を見通す」と言われていますが、江戸時代にはそのような理解があったことを確認できません。ですから確実な根拠のないものは採り上げません。
 よく鏡餅の下に敷かれる裏白は、「うらじろ」と呼ばれる羊歯(しだ)の一種で、葉の裏面が白っぽいことからそのように呼ばれます。もともと南方系の植物ですが、冬も枯れずに年ごとに葉を広げて繁るので、そこにめでたさを感じ取り、「鳳尾草」(ほうびそう、鳳凰の尾のような形をした草)とも呼ばれました。また羊歯は「歯朶」とも表記されますが、「歯」は年齢を意味する「齢」(よわい)に通じ、「朶」は枝のことであり、裏白の枝は長いので、「齢が延びる」(長生きする)ことを意味すると理解されました。また左右の葉が対になっていることから夫婦円満の象徴で、「夫婦相生」(ふうふあいおい、夫婦共によく長生きすること)と記されています。現在では一般に、裏が白いことは心に裏表がなく腹黒くないこと(清廉潔白)を表していると説明されるのですが、そのような理解は江戸時代の歳時記には全く見当たらず、明治時代以後の文献に確認できますから、後にこじつけられたものでしょう。
 鏡餅や注連飾りに添えられる譲葉(ゆずりは)は落葉樹の葉で、新芽が伸びてくるまでは古い葉が落葉しないので、落葉樹でありながら緑の葉の途切れることがありません。そこにめでたさを感じ取り、親から子へ繁栄が続くことを表す縁起物とされました。しかし初めは「譲葉」という表記ではなく、弓の形に似ていることから「弓弦葉」と表記され、「譲る」という意味はありませんでした。鎌倉時代の『新撰六帖題和歌』という和歌集には、「年毎に 撫づとはすれど ゆづる葉の 甲斐こそなけれ 老のしほみは」という歌があるのですが、「毎年のようにゆづる葉で身体を撫でているのに、老いる身にはその効果もない」という意味ですから、鎌倉時代には、ゆづる葉で身体を撫でると若返るという信仰があったことを確認できます。つまり初めは新年に若返りを祈願するための歯固(新年に長寿を祈願して飾ったり食べたりする供物)の一つだったのです。それが「ゆづるは」という音から「譲葉」と記されるようになり、江戸時代になると親から子へ福を受け継ぐという意味に変化したわけです。
 乾燥させて昆布と一緒に注連飾りの材料になる穂俵は、ホンダワラと呼ばれる海藻の一種で、茎の各所に小さな卵形の気泡状のものが付いていて、これによって浮力が生じ、浮いたままで流れ藻となることがあります。この気泡状の形が米俵に似ていることから「米俵のかたちにつくりて穂俵と名づく」として、縁起物とされました。「穂俵」という表記に、その意図がよく現れています。
 鏡餅の上に置かれたり、注連飾りに付けられている橙は、「だいだい」という名前が「代々」を連想させることから、譲葉と同じように親から子へ福を受け継ぐ象徴と理解されています。しかし鏡餅の上に乗せるのは室町時代までは橙ではなく、不老長寿の世界の不思議な果実と信じられていた橘でした。つまり橙を乗せるの本来の意味は、親子継承ではなく、不老長寿を祈願することだったのです。
 お節料理の材料である芋頭は「やつがしら」と呼ばれ、「八頭」と表記されます。「頭」という言葉は、江戸時代までは大学頭(だいがくのかみ)・雅楽頭(うたのかみ)などの例があるように、官僚組織の責任者のことで、出世を意味するものでした。また家庭の頭である家長の雑煮には、子芋ではなく必ず頭芋を入れることになっていました。また周囲に子芋がたくさん分かれて付くので、「多子の義」、つまり子孫が増えるという意味にも理解されました。
 昆布は「こぶ」とか「こんぶ」と読まれ、蝦夷地(北海道)の特産物でしたから、「夷布」(えびすめ)とも呼ばれました。また幅の広いことから「広布」(ひろめ)とも呼ばれました。この場合の「布」は「荒布」(あらめ)「若布」(わかめ)の「布」と同じく、海藻を意味しています。「夷」(えびす)とは本来は古代中国東方の異民族の総称で、日本では東北・北海道地方の異文化を持つ人達を意味する言葉でしたが、七福神の一人である「恵比寿」と同音であること、また「広布」も末広がりを連想させることから、縁起物とされました。また「昆布は悦ぶといふ義(意味)を含む。結昆布はむつび悦ぶ意」とも理解され、さらに「結び」が正月(一月)の異称である「睦月」(むつき)に音が通じるとも記されています。
 現在のお節料理にはあまり見かけませんが、山芋も縁起物で、「野老」と書いて「ところ」と読まれました。ひげ根が多いことからこれを老人の髭(ひげ)に見立て、長寿の象徴と理解されたのです。髭が長寿の象徴といえば、すぐに「えび」を連想します。「えび」は本来は「蝦」と書くべきもので、髭が長く腰も曲がっていますが、ピンピンと活発に動くことが、長寿の象徴と理解されたわけで、「野老」に対応して「海老」と表記されることに洒落が効いています。ですから海老と野老をセットでお節料理に活かしたら、紅白の色が並んでめでたさが色にも現れてよいと思います。
 数子は鰊(にしん)の卵であることはよく知られています。「にしん」の別名は「かど」ですから、「かずのこ」は「かどの子」が訛った言葉でしょう。蝦夷地ではかつては処理しきれない程の鰊が獲れました。そして数の子だけを取り出して塩に漬け、年末の歳暮として贈り合う習慣があったものです。「数子」と呼ばれるのは、もちろん「多子の義」、つまり子孫が増えるという意味に理解されたためです。
 田作はカタクチイワシ(片口鰯)の稚魚を乾燥させたもので、豊作の祝意を込めて「五万米鰮」(ごまめいわし)とも表記されます。お節料理の中でも特に重視される祝肴(いわいざかな)三種に数えられていますが、祝肴三種は一般的には、関東では黒豆・数子・ごまめ、関西では黒豆またはごまめ・数子・たたきごぼうの3種とされています。江戸時代には鰯は乾燥させて、「干鰯」(ほしか)と呼ばれる効率の良い肥料に加工されていました。現在では一般には豊作につながるものとして「田作」と呼ばれ、縁起物になったと説明されています。
 黒豆は江戸時代には「開豆」(ひらきまめ)と呼ばれていました。現在では「まめまめしく働けるように」という意味があると説明されますが、そのようなことを示す江戸時代の文献的根拠はありません。また「黒い色は魔除け」を表すと説明されることがありますが、日本の歴史では、赤色が魔除けになることは古くから多くの例がありますが、日本の歴史では黒色がそのように理解されることはありませんでした。めでたいとされる根拠は、開豆の「開」という名前にありました。江戸時代には「かえる(かへる)」という言葉は不吉であるとして、「かえる」という代わりに、わざわざ「開く」という言葉を使う風習があったのです。
 串柿は「くしがき」と読み、「柿」が「掻き」に通じることから、福を掻き集める熊手と同じように理解されていました。また米俵の形に似て富を連想させるので、縁起物とされました。
 正月の縁起物には、同音異義語が多い日本語の特徴を活かして、洒落(しゃれ)を効かせたものが実にたくさんあります。駄洒落・ギャグと言ってしまえばそれまでですが、日本人は言葉の遊びであることを承知の上で、その面白さを大真面目に楽しんでいるわけです。



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