もうすぐ2月4日の立春を迎えます。「なぜ立春なのにこんなに寒いのか」ということがしばしば話題になるのですが、その度に「ああ、立春がどのようにして決められたか、この人は全く理解していない」と、聞くたびに嘆かわしくなるのです。ネット上にも同じようなコメントが一杯です。『早春賦』という唱歌にも「春は名のみ」という句があり、誤解を助長しています。そもそも古歌には「名のみの春」という発想はありません。「春は名のみ」「名のみの春」という語句を古歌の中から探してみましたが、今のところ見つかりません。膨大な量の古歌を隅から隅まで探せば、どこかにはあるかもしれませんが、慣用句になっていないことは間違いありません。
なぜこんなに寒いのに立春なのかということについては、私のブログ「うたことば歳時記」にしばしば書いているので、古くからの読者の方には、「またか」と思われるでしょうが、あまりにも誤解が多いので、くどいのは承知で、簡単にもう一度まとめておきます。
立春は中国華中地方の気候をもとに作られた暦の二十四節気の一つで、夏至・冬至・春分・秋分・立春・立夏・立秋・立冬の二至・二分・四立も二十四節気の一つです。この八つの目盛りの他に、大寒・大暑・雨水・処暑などの目盛りを合わせ、全部で24の目盛りで一年間を等分しています。誤解の最たるものは、「二十四節気は中国の気候をもとに作られたものであるから、日本の気候にはそのまま当てはまるとは限らない。そのためまだ寒さが厳しいのに立春ということになってしまう。」「そもそも二十四節気を日本の気候に当てはめること自体に無理がある」というものです。
なるほどもっともであると思われそうですが、実はとんでもない誤解なのです。そもそも誤解の始まりは、二至・二分・四立の決め方を理解していないことに始まります。その決め方は以下の如くです。まずは太陽南中高度の最も高い日を夏至とします。そうは言っても太陽を見つめることはできませんから、実際には影の長さを観測するわけです。次に最も影が長くなる日を冬至とします。ここまだ漕ぎ着ければあとは簡単です。夏至と冬至の中間地点が春分と秋分であり、これで一年が四等分されました。次にこの四つの目盛りの中間地点が、立春・立夏・立秋・立冬と名付けられ、一年が八等分されました。そして立春から春分をピークとして立夏の前日までが春、立夏から夏至をピークとして立秋の前日までが夏、立秋から秋分をピークとして立冬の前日までが秋、そして立冬から冬至をピークとして立春の前日までが冬と名付けられたのです。
ただし雨水・芒種・白露など、二至・二分・四立以外の節気については、日本の気候と合わないという主張はもっともだと思います。
二至・二分・四立はあくまでも太陽高度によって一年を八等分しただけであって、気温は全く関係ありません。もし気温で四季を決めるというなら、全国皆同じということはあり得ませんし、四季の長さがみな同じというのもおかしな話です。
古人の季節の感じ方は、気温によるものではありませんでした。どんなに寒かろうと、立春になれば春なのです。そして春霞が立つ様なことでもあれば、春をさらに実感したのです。また寒さが底を打って、もうこれ以上は寒くはならないからこそ、そこに春の兆しを感じ取ったのです。現代人は、春とはぽかぽか暖かい季節であると決めてかかっているので、つまり気温で春を決めているので、立春を春と感じることができないわけです。
気温ではわかりませんが、もう梅の花も咲いていますし、蕗の薹も膨らみ始めていますし、オオイヌノフグリの花もたくさん咲いています。人は縮こまっているかもしれませんが、自然界には春の兆しがあふれています。雪国の人には申し訳ありませんが、きっと何か兆しがあるのではないでしょうか。
詳しいことは「うたことば歳時記 旧暦の基礎知識」と検索して御覧下さい。毎回同じ話で御免なさい。
なぜこんなに寒いのに立春なのかということについては、私のブログ「うたことば歳時記」にしばしば書いているので、古くからの読者の方には、「またか」と思われるでしょうが、あまりにも誤解が多いので、くどいのは承知で、簡単にもう一度まとめておきます。
立春は中国華中地方の気候をもとに作られた暦の二十四節気の一つで、夏至・冬至・春分・秋分・立春・立夏・立秋・立冬の二至・二分・四立も二十四節気の一つです。この八つの目盛りの他に、大寒・大暑・雨水・処暑などの目盛りを合わせ、全部で24の目盛りで一年間を等分しています。誤解の最たるものは、「二十四節気は中国の気候をもとに作られたものであるから、日本の気候にはそのまま当てはまるとは限らない。そのためまだ寒さが厳しいのに立春ということになってしまう。」「そもそも二十四節気を日本の気候に当てはめること自体に無理がある」というものです。
なるほどもっともであると思われそうですが、実はとんでもない誤解なのです。そもそも誤解の始まりは、二至・二分・四立の決め方を理解していないことに始まります。その決め方は以下の如くです。まずは太陽南中高度の最も高い日を夏至とします。そうは言っても太陽を見つめることはできませんから、実際には影の長さを観測するわけです。次に最も影が長くなる日を冬至とします。ここまだ漕ぎ着ければあとは簡単です。夏至と冬至の中間地点が春分と秋分であり、これで一年が四等分されました。次にこの四つの目盛りの中間地点が、立春・立夏・立秋・立冬と名付けられ、一年が八等分されました。そして立春から春分をピークとして立夏の前日までが春、立夏から夏至をピークとして立秋の前日までが夏、立秋から秋分をピークとして立冬の前日までが秋、そして立冬から冬至をピークとして立春の前日までが冬と名付けられたのです。
ただし雨水・芒種・白露など、二至・二分・四立以外の節気については、日本の気候と合わないという主張はもっともだと思います。
二至・二分・四立はあくまでも太陽高度によって一年を八等分しただけであって、気温は全く関係ありません。もし気温で四季を決めるというなら、全国皆同じということはあり得ませんし、四季の長さがみな同じというのもおかしな話です。
古人の季節の感じ方は、気温によるものではありませんでした。どんなに寒かろうと、立春になれば春なのです。そして春霞が立つ様なことでもあれば、春をさらに実感したのです。また寒さが底を打って、もうこれ以上は寒くはならないからこそ、そこに春の兆しを感じ取ったのです。現代人は、春とはぽかぽか暖かい季節であると決めてかかっているので、つまり気温で春を決めているので、立春を春と感じることができないわけです。
気温ではわかりませんが、もう梅の花も咲いていますし、蕗の薹も膨らみ始めていますし、オオイヌノフグリの花もたくさん咲いています。人は縮こまっているかもしれませんが、自然界には春の兆しがあふれています。雪国の人には申し訳ありませんが、きっと何か兆しがあるのではないでしょうか。
詳しいことは「うたことば歳時記 旧暦の基礎知識」と検索して御覧下さい。毎回同じ話で御免なさい。
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